G+『激闘の記憶~三沢NOAH編~』(4)創設GHCヘビー級王座 観戦記 | 俺ってデビルマン!?

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知ってる人は知ってるし、知らない人はまったく知らない…私、元・週刊ゴングの鈴木淳雄と申します。かつて所属していたプロレス業界に限らずに、今現在の私をありのままに記していきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。

 この番組の冒頭で、NOAHのTV中継が2001年4月1日福岡大会より、日本テレビによる全国地上波中継がスタートしたことを告げていた。実は2000年の会社設立から8月6日の旗揚げ戦、そしてこの福岡大会までの半年間、NOAHの中継をめぐって様々な会社の思惑が複雑に絡み合い、本当にすったもんだしていたのだ。

 正直言って、始めから日本テレビが付いていてくれたら、旗揚げ当時、あんなに苦労することはなかった。過去を振り返るときに、NOAHの旗揚げ時が順風満帆だった…、と世間では軽く流してくれているが、それはとんでもない話。資金難からくる自転車操業は凄まじく、何とか急場を凌ぐべく色んな打開策を探るのだが、危機感の薄い一部の人間の非常識な行動、そして幾つかの会社からの妨害工作などが弊害となり、寸前でご破算になることも多々あった。とにかく日本テレビがつくまでの半年間は、本当にいつどうなってもおかしくない状況がずっと続いていたのだ。

 実際、その半年間はスカパーのサムライが、旗揚げ二連戦に至ってはスカパーPPVでの中継も含めて放送してくれたが、地上波との放映権料の差は余りにも大きく、経営が安定することはなかった。その間、1度だけ関西地区限定で毎日放送が地上波の1時間枠で放送してくれたが、これはある会社の思惑にのる形で複数の会社が絡んでいたので、NOAHに入ってくる放映権料はサムライよりも安く、まったくの問題外。何とか念願の地上波を一刻も早くスタートさせることが旗揚げ当初のNOAHには経営を安定させる必須条項だったのだ。

 実は2000年秋、私はある広告代理店の社長を通してスポンサーになってくれそうな上場企業の社長さんを紹介して頂き、三沢社長と共に念願の地上波中継を開始するべく動いていた。そして実際に日本テレビ以外の局と2001年1月からの地上波中継を、しかも深夜0時からの1時間枠でスタートできる話を契約寸前までこぎつけたのである。当然、この頃には日本テレビからの条件提示もされていたが、私が動いていた話の方がスポンサーも付いていることで放映権料も上、しかも放送枠も日本テレビは30分と短く、どう考えてもこちらの方と契約した方が会社にとっては利のある話だったのである。

 しかし三沢社長は、日本テレビの方を最終的に選択した。「これまでを含め、日本テレビとは長い付き合いだから。さすがに契約書にはそこまで書いてないけど、永久契約みたいなもんだから」と言っていた。利益よりも人情を選択した、ということだ。いかにも三沢さんらしいといえば三沢さんらしいが。その後、日本テレビでの地上波中継は消滅し、三沢さんはリング上で還らぬ人となってしまった…。NOAHは度重なる親会社の変更などを経たが、何とかその名を残している。そして日本テレビでの中継も地上波ではなくなったが、G+で今も続いている。

 ここで書いた話は、当時のNOAH内部でも知る人は少なく、日本テレビのプロレス担当者の人も或いは聞かされていないかも知れない。しかしすべて真実だし、実際にあった話です。だから現在のNOAHの人も、日本テレビの人も、もっと日本テレビでのNOAH中継というものを大事にしてほしい。そうでなければ、あの三沢さんの選択が間違っていた、ということになってしまう…。それだけは避けてほしい、この番組を見てそんなことを思ってしまった。
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