妄想族 奇蹟に気づく瞬間 おやすみです
近すぎて
見えない奇蹟があるね
広い宇宙(そら)の片隅
二人愛し合える
この時よ(SUMMR CANDLES)

これで記事書いてみます。
まだ心から大切だと
思える人に
出逢っていない頃

多くの人は
こんなふうに
思うだろうね

「こんなに大勢の人が
いるのに、
私はまだ誰とも
出逢えていない」
「こんなに大勢の人が
いるのに、私のことを
一番だと思ってくれる
人はいないのだろうか?」
気持ちが弱っている時

そんな思いはなかば
嘆きのように
胸を震わせる

もしも、そんな自分が
どこかにいるのなら

奇蹟はいつも
自分のすぐそばに
あることを思いだそうよ

まだ気づいていない

まだ自分には
見えていない何か
大切なことがあることをね

恋人や夫であっても、
うまくいく時ばかりではないよ

たとえ別れることに
なったとしても

「こんな人と
付き合わなければよかった」
と思うことは稀でしょう

悲しい恋も、
人生の一場面

一度愛したのだから、
自分の人生に
関わったのだから
大切な人です

恋人とうまくいかない時

夫とうまくいかない時

そんな時、
妄想族は杏里の歌詞で
「近すぎて見えない奇蹟があるね」
という言葉に
戻ります

それは原点みたいな
気持ちかなぁ

どんな関係に
なったとしても

自分の心が立ち返る
そんな場所を持つことは

揺らぐ心を
支えてくれますよ

近すぎて見えない
奇蹟がある

目を閉じて、
心の目を開いて

心の声を聞いて

必ず見つけられる

まだ見つけて
いないだけなんですよ

妄想族 人を愛するということ おやすみです
愛するということは
どういうことなのか

誰かに心を
寄せながらも

ずっと自分自身に
そう問いかけてきました

ただ相手を
好きであったり

その人のために何かを
したいと思ったり

そういう気持ちが
愛するということ
なのだろうか

確証のようなものを
見いだせないまま

浮かび上がってくる
様々な感情の波に
もてあそばれる

愛するとは
どういうことなのか

愛することについて
自問自答を
くり返しているうちに

喉のつかえが
とれるように

「答え」がわかる
瞬間がありマっする
けれど、
これは永遠の
真実ではなく

きっといくつもの
答えの一つでしょうね

もしかしたら明日は
違う答えが出てくる
かもしれないからね

共感して、共有すること

分かち合うこと

喜びは簡単に
分け合うことが
できマっする

一緒に喜んだり
楽しんだりするのは

それほど難しいことでは
ないように思います

でも痛みはどうだろう
いくら愛する人の
痛みでも、簡単に
共有できるだろうか

同じように泣いて、
同じように辛さを
味わうことはできるだろうか
同じように・・・・・
ということになると

自信がない

でも、
できることなら
分け合いたいですね

愛する人の悲しみに
寄り添っていたいと思う
決して
ひとつになれなくても

お互いに
寄り合うことができたら

そこに二人にしか
創れない世界が
生まれることを
信じたいね

愛することの意味を
探しながら

私たちは誰かを
愛します
そうして愛する気持ちは
進化すると思いますよ

妄想族 携帯電話?今はスマホかな? おやすみです
愛は目に見えません

そのため、
私たちは相手の行動で

愛情を
計ろうとします
電話の回数や
メール(LINE)の長さが

彼の愛情そのものだと考え

携帯電話の呼び出し音を
待ち続ける人も
いるでしょう

でも、電話やメール(LINE)に
価値を置きすぎると

自分からかけることにも

意味をもたせるように
なります

そうなると、
電話は楽しいものでは
なくなってしまいます

「声を聞きたかったから、
かけたの」
最初は純粋な気持ちで
かけていた電話も

そのうち愛する人との
駆け引きの道具に
変わっていきます

「昨日も私からかけたから、
今日は絶対かけないでおこう」
「彼からメールの返信が来ないのは、
他の女性と会っているからだ」
愛情表現を
道具に置き換えれば

必ずその道具に
振り回され

心を乱されるように
なるでしょう

そして愛情を
得るために使ったはずの
道具は

愛情を壊す原因に
変わってしまうんですよ

PS
電話やメール(LINE)の
回数と愛情の量は
反比例しませんが

決して、
比例もしませんよ
