あすまる358の成長応援ブログ -3ページ目

あすまる358の成長応援ブログ

あすまる358の自己成長応援ブログ。日々の気づきや成長につながる記事を書いています。誰かの成長の役に立てれば幸いです。無断転載禁止!

 

ブログで何を伝えたいのか?

ブログを始めるときの目的は、自分のライティング能力向上と脳内整理というものでした。

いわゆる雑記となるわけですが、その時自分に課したのが「時間制限を設ける」というものでした。

 

というのも、時間を掛けて書いて居ると冗長な文章になったりあれもこれも書きたくなって結局何が言いたいのか収拾が付かない状態になってしまうからです。

 

初めのうちは10分で書いて時間が来たら未完成でもブログをアップするというある意味罰ゲーム的な要素を持ってやっていたのですが、流石にこれは読んでくれた人に失礼と考えて10分で書き切る量を意識するのと間に合わなかった場合は時間を超えても完成させてアップするようになりました。

 

そんなこのブログも1年が経ち(正確には2020年に初公開、当時の記事はなし)、ここで新たに時間制限という自己満足的な要素をこのままタイトルに入れておくのも読んでくれる人に伝わりにくいと考えブログタイトル変更へと至りました。

 

人生の転機はどこにあるかわからない

 

人のターニングポイントとはいついかなる時も訪れる可能性がある。

しかしそのターニングポイントに気付くかどうかはその人の感じ方次第です。その感じ方を研ぎ澄ますのが自己研鑽という行為では無いでしょうか。

人はいつ来るか分からないそのチャンスを掴むため、そして自らチャンスを作り出す挑戦をするために成長して居るのです。

そして人生最後に悔いを残さない生き方をするために今を真剣に生きるのです。

 

このブログはそんな自己成長をしようとしている人や心にモヤモヤしたものを持った人に楔(くさび)を打ち付けるようなそんな存在になりたいと思います。

中には雑記のようなものもありますが、それでも人によってはそれが人生の転機になるかもしれない。

まずは世に出してみないと何も分からないのですからこれからも発信を続けていきますのでよろしお願いします。

 

あなたの伸ばしたその手が掴む未来を見るのはあなた自身。

 

対話が脳を刺激する

普段沢山の思考が浮かんでは消えていきます。

その殆どが記憶に残っておらず無意識の中に沈んでいきます。

その思考が無駄という訳ではありませんが、非常に勿体ないことは間違いありません。

 

あなたの考えていた内容はとんでもない発想を秘めているとしても、無意識の中に埋もれて世間に出なければ何も生み出さないからです。

 

それは本を読んだりして得た知識もそうです。

読んで分かったつもりになっても実際は断片しか理解しておらず、誰かに説明しようとしたときには既に殆どを忘れてしまっています。

 

この浮かんでは消える思考や覚えたのに忘れてしまう記憶をどうにか自分の物にする方法は無いかと考えるでしょう。

 

安心してください、その方法はあります。

 

それは「人に話すこと」です。

 

整理して出す

人は自分の考えている事を誰かに共有して欲しい時や共感して欲しい時、もの凄い早さで思考を巡らせています。

それは一人でただ考えている時とは比べものになりません。

何故なら、目の前にいる人は自分の言葉に対して刻一刻と反応して変化していくからです。

 

人は変化に対応することで今日に至ります。

人だけでは無く生物は常に変化に対応して生きていると言っても良いでしょう。

 

その変化が、自分の一言一言によって常に起こるのが会話です。

 

その時、脳が整理している情報はとてつもない量に上ります。

 

目の前の人の性別、自分との関係性、年齢、趣味、置かれている立場、時間など沢山の情報を整理しながら、更には自分の発した言葉に対する反応も含めて会話をします。

 

そんな会話の中で相手の事を考えず思いついたままを手当たり次第に話してしまえば、その人との会話は途端に破綻してしまいます。

 

だから伝えたい事は整理して言葉にする必要があります。

 

これが脳への良い刺激になります。

 

目の前の相手の反応を見ながら頭の中を整理しつつ適切な言葉を選び相手に伝わるように組み立てて話す。

 

私たちは日々、殆ど意識せずにこのような高度なことをしていますが、それを意識してやれば脳への刺激は何倍にも膨れ上がります。

 

何故なら、人は意識して体験することで無意識に体験することの何倍もの刺激を感じることが出来るからです。

それは人が思考する生き物だから。

 

受けた刺激に対して自分の今までの経験や知識、想像力などを総動員して感じる事で沢山の思考を巡らせて脳が活性化します。

その時、あなたの脳は無意識に沈んだ記憶を呼び覚まし新たな刺激として自らの言葉に組み込み発するのです。

 

その瞬間、あなたの発想は世界に飛びだし確実に存在する物として「あなた自身」が認識します。

この時新たな発想の種が蒔かれます。

その種は、思考により芽が出て、沢山の経験や知識という栄養を得て、会話で実となり認識して収穫するのです。

 

この繰り返しが、脳の刺激を循環させ新たな自分へと変化させていきます。

 

これからは「意識して会話をし、反応を意識的に体験する」ことをしてみましょう。

 

今までとは違った刺激を受けられるはずです。

 

 

 

 

 

 

 

学びは人生の必須栄養素

人は生きて行く上で必ず食事をします。

それは体の組織や活動するためのエネルギーが必要だからです。

食べなければ体は動かないし生きて行くことができなくなります。

 

そして食べ物で得る栄養素と同じくらい大切なものが「学び」です。

学びとは脳が正常に機能するための必須栄養素なのです。

 

人は学びが無いと成長出来ません。

それはどんなことにも言える事で、体一つ動かすことですら私たちは学びから得ています。

生まれたばかりの赤ちゃんが立って歩いたりしゃべったり出来ないのはまだ学びという栄養素が足りていないからです。

しかし赤ちゃんは親や周りから沢山の学びを得て徐々に体の動きや言語を自分の物にしていきます。

気がつけば沢山の言葉をしゃべるようになっていてその吸収力におどろくばかりです。

子供の頃の成長が著しいのは「素直さ・好奇心・行動力」があるからこそなのです。

 

大人の「頑固・無関心・怠惰」という病

 

でも、大人になるとその「素直さ・好奇心・行動力」は途端になりを潜めます。

何故なら大人になるにつれて諦めなど自分に沢山の制限を設けていって「頑固・無関心・怠惰」という病に罹るからです。

 

新しい事に対する考え方を否定し偏見に満ちた我を通そうとする頑固さ。

目の前の快楽以外に興味を示さない無関心。

自らの手で積極的に何かを掴もうとしなくなる怠惰。

 

これらの病にかかると人は成長を嫌うようになります。

それは成長するためには自分の今いる居心地のよい世界=コンフォートゾーンを出なければならないからです。

特に何も考えなくてもよい変化のない心地よい世界。

そしてそれは元の状態に戻ろうという人の性質「恒常性(ホメオスタシス)」によって強固に守られます。

 

何も考えなくて良いと聞くと、とても過ごしやすい世界のように聞こえますが、この世界は変化にとても弱いのです。

 

人間関係や仕事、環境や経済の変化、健康や老化など世界は変化に富んでいます。

そんな中で変化せずに居る事の息苦しさは如何ばかりか想像に難くありません。

しかし、人はそれでも考える事を止めて変化を見ないふりします。

思考停止というのは自分を守る為の一番手っ取り早い方法だからです。

 

でもその思考停止も一種の病です。

しかも無意識の内に侵食していき気がついたときには取り返しの付かない状態になっていることも少なくありません。

 

ではどうすればその病から抜け出せるのか?

 

それこそ「学び」という栄養素を沢山得る事です。

学びは変化です。

どんなことにも学びはあります。それを意識して体験することがこの病に打ち勝つ唯一の方法です。

何故なら学ぶ事を意識して体験すると人のコンフォートゾーンは動き続けます。

コンフォートゾーンとは心地良い場所と説明しましたが、これが動き続けることで「変化する事がコンフォートゾーン」へと変わるため外界の変化にも強くなるのです。

 

仕舞いには変化することが快感となることでしょう。

そうなればどんな変化が起きても恐れるどころか楽しんで生きる事ができるようになります。

 

ですがいきなりの変化は劇薬になりますので、自分に合った学びを少しずつ見つける楽しさを味わってみましょう。

 

 

 

 

目的の無い事は苦痛

人はなんの目的も無いことをすると苦痛を感じます。

仕事や勉強など何の為にやっているのか分からずただ黙々と目の前の雑務をこなしていると苦痛を感じるため考える事を止めて苦痛から逃げるようになります。

 

そうすると日々の暮らしにも影響が出ます。

苦痛から逃げるために快楽を与えてくれるものに流れるのです。

お酒やギャンブル、SNS、アプリゲームなど手軽に且つ瞬間的に快楽を得られる物を無意識に選ぶようになります。

 

こうなると自ら目的を持って行動することが無くなります。

何故なら目先の一番手軽な「考えず快楽を得る」という目的を達成しているからです。

 

こうなると日々の生活の中で快楽を簡単に得られる物に依存するようになります。

もちろんそれらの快楽が全て悪いわけではありませんが、そこに依存する形になってしまうことは人生にとって悪影響です。

 

では手軽な快楽に流れず人生を豊かにするにはどうすれば良いでしょうか?

人生の目的は何か考える

殆どの人は普段生活しているときに「自分はいつか死ぬ」という事を考えて生きていません。

私たちは生まれた瞬間死に向かって進んで行きます。

これは例外なく全ての人が辿ります。

でも自分の死について考える機会は中々ありませんし、常に考えている事も苦痛でしょう。

 

ここで大切なのは「いつか死ぬ」という事実を一度受け入れることです。

そして自分の人生最後の日を後悔なく迎える為にはどうありたいか考える事が重要なのです。

 

80才以上の方にしたアンケートで「人生で後悔していること」を聞いたところ70%以上の人が「もっとチャレンジしておけば良かった」という内容の回答をしています。

 

これは夢を追いかけるとか大きな事では無くて、日々の小さな事も含まれています。

もっと好きな人と話しておけば良かった。

子供を自由にさせてやれば良かった。

日々を大切に生きれば良かった。

 

これらもチャレンジです。

 

チャレンジとは挑戦。

こう聞くと大きな目的や目標に対して起こすことのように解釈してしまいがちですが「いまこの瞬間にやると決断して行動する」ことが挑戦だと思っています。

何故ならその行動には目的があるからです。

ゴミが落ちていたら拾って綺麗にするという目的がありそれに対して行動を起こすことは綺麗にするという目的への挑戦です。

 

だから例えゴミ一つ拾うにしても目的を明確に意識できればそれはあなたの達成感や充足感、自己肯定感をあげてくれます。

その小さな挑戦への成功体験が積もり積もって人生における挑戦にも影響してきます。

 

普段から目的に対して行動する癖を付けていると新しい事に挑戦する時にも決断と行動が速くなります。

そうすると後悔することはなく新たな目標に向けて進むことができます。

 

人生の目的が「後悔せずやりきったと言って死ぬこと」であるならば日々の小さな挑戦に真剣に挑んでいきましょう。

もちろん自分にとっての人生の目的は人それぞれですので、あなたの人生の目的をしっかり考えて日々を過ごしましょう。

 

あなたの人生はあなたが決められます。

 

まずは1日一個のゴミ拾いから挑戦してみてください!

 

 

 

 

  幸せとは何か?

あなたは幸せと聞くと何を想像しますか?

好きな人といる、お金が沢山ある、自由な時間があるなど人によってその幸せの定義は様々だと思いますがそのどれも正解ではありません。

 

正しく言うと、その事象自体が幸せなのではなく、その事象を幸せと感じる心を持っていることが幸せなのです。

しかもそれは他人と比較することでは得られません。

自分を知る事でしか得る事が出来ないのです。

 

何故なら他人との比較には際限がないからです。

例えば平均年収よりも沢山の年収であったとしても、他人と比較していると上には上がいるためその人と比較してしまうと自分は幸せでは無いとなってしまいます。

今以上に稼げるようになったとしても更にその上が存在します。

 

時間にしても自由に出来る時間の多寡を他人と比べても何も得られません。時間とはその人に与えられた物であり他人がその人の時間を感じることが出来ないからです。

 

 

幸せとは自分を知る事

ではどうすれば幸せを感じる事ができるのでしょうか?

それは「自分を知る」と言うことです。

自分はどういう人間か。

何が楽しくて、何ができたら嬉しくて、何に対して心が満たされるのか。

逆に何が嫌で、何に対して怒り、何をすれば心が乱れるのか。

 

その様々な心の動きや感じ方を知ることで自分に起きる事象や体験への感受性が高まり、変化に対して深く考える事が出来るようになります。

そうするとそこに「いまを意識する自分」が明確に存在するようになります。

この「いまを意識する自分」の存在が幸せになる鍵です。

何故なら「いま」を意識することでしか幸せを感じられないからです。

過去に何か良いことがあって幸せだったとしても、その幸せは「いま」のあなたが感じていることですし、これから先の楽しみにワクワクして幸せなのも「いま」のあなたが感じていることです。

「いま」とはこの瞬間にしか存在しません。

しかしその瞬間はあなたがあなたである以上永遠に存在し続けます。

あなたの時間はあなただけのものだからです。

 

それが理解出来ればあとはあなた自身の存在を認めるだけで幸せを感じる準備は完成です。

 

何故なら「いまこの瞬間を感じている自分」は他人とは隔絶されたあなただけの存在だからです。

 

そこに他人との比較は必要ありません。

むしろ比較のしようがないのです。

 

「私はいまこの瞬間を生きている」

 

そう感じることが出来る心を持つことこそ幸せなのです。