つい言いたくなる「あの人は才能がある」
自分には出来そうも無い事をやり遂げている人を見るとつい「あの人には才能があるから」と言いたくなります。
私も特に気にすること無くそんな言葉を言っていましたが自分が学ぶようになってその言葉は呪いの言葉なのだと知りました。
何故呪いなのか?
それは才能があると言うことで、自分には才能はない努力しても無駄だからやめようという気持ちになるからです。
しかも自分には縁が無いであろう事でもその言葉を使うと努力をしなくなります。
ようは才能というものが絶対であると無意識に刷り込まれることで、才能が無い自分には到底無理だ、何をやっても「あの人のようには」なれないんだと諦めるようになるのです。
この呪縛に囚われると何をするにしても無気力になります。
それが常態化して「学習性無気力」になります。
学習性無気力とは、継続して自分にはできないと思い込むことで本当は出来るのに出来なくなってしまう現象です。
有名な話では、子ゾウの頃に足をロープでつながれて逃げられないと学習してしまったゾウは大きくなってロープを引きちぎる事が出来るようになっても逃げられなくなるというものです。
それが人にも起こりえるのです。
あの人には才能がある。
逆に言えば自分には才能が無い。
そういった気持ちを持って居いると「どうせ」「無理」「駄目」などネガティブな言葉を使う頻度が高くなり、その言葉が無意識に呪いを掛けて学習性無気力となっていくのです。
ではそうならないためにはどうすれば良いのか?
答えは簡単です。
「才能の一言で片付けない」
確かに才能はあったのかも知れませんが、それを開花させたのは表には出てこない「目的を持った努力」です。
その努力の存在を認めることで自分の努力に対しても前向きに取り組む事が出来るようになります。
目的を持った努力は裏切らない。
まずは自分にも努力が出来ると言うことを知りましょう。