「旅路の果て」(1939年作品)感想 | 深層昭和帯

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映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

ジュリアン・デュヴィヴィエ監督によるフランスのドラマ映画。出演はヴィクトル・フランサン、ミシェル・シモン、マドレーヌ・オズレー。

 

 

<あらすじ>

 

マルニーは同僚のサンクレーヌに妻を寝取られてから自信を失い、役者として大成せず田舎に引っ込んだ。そのまま月日は流れ、皆が老人ホームに入ったころ、役者として大成功したラファエル・サクレールが入所してきた。動揺したマルニーは、ここを出ていくと言い出した。

 

華麗な恋愛遍歴を持つ彼の登場により、老人ホームの中の秩序は壊れていく。老人ホームの経済状態は火の車で、名優を迎え入れることは財政的に避けられないことだった。マルニーは何事もなかったかのように接してくるサンクレーヌが許せなかった。

 

経営に行き詰った老人ホームに解散話が出たころ、義援金を申し出てくれる企業が現れた。見返りは、ホームにいる元役者たちによる慈善公演だった。マルニーはその気になれないと舞台には出ず、主演は事故で降板、代役は老いぼれて科白を忘れてしまい、楽屋で死んだ。

 

そのころ、サンクレーヌはマルニー相手に演劇論を語っていた。彼は、女を口説くのは観察するためで、すべてを舞台に捧げてきたという。マルニーの妻もそのひとりだった。激怒したマルニーは、サンクレーヌを拳銃で殺そうとするが、彼はすでに頭がボケてしまっており、自分が誰なのかわからない有様だった。サンクレーヌは療養院に移った。

 

マルニーは、舞台で失態を演じたのちに死んだ男に、思いのたけをぶつける弔辞を述べて見送った。

 

<雑感>

 

老人映画。突然ボケたり、突然死んだりするので全然先が読めない作品だった。老人をこうした形で使うのはオレにとっては斬新だった。道化回しというわけではなく、物語に思いがけない変転をもたらす道具としての老人は使えそうな気がする。

 

かつてはそこそこ名優で、いつまでも子供を自任する男が、舞台に立った途端に科白を忘れてしまい、自分の老いに直面する。すると彼は激しく動揺し、部屋で倒れてあっという間に死んでしまうのだ。

 

サンクレーヌも、舞台に命を捧げた男の鼻持ちならない恋愛自慢かと思ったら、彼はすでに頭がボケて、舞台と現実の区別がつかなくなっている。何もドラマは起こらないのに、物語は激しく変転するのだ。とても意外だったよ。

 

☆3.1。そういう装置だと考えれば、老人というのは面白いものだ。