深層昭和帯

深層昭和帯

映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

原作:尾田栄一郎、監督:鎌谷悠、脚本:豊田百香、制作:東映アニメーション

 

ONE PIECE ナミ ロビン ウタの華やか衣装

 

<あらすじ>

 

購入した靴の作りが粗く、足を痛めてしまったナミ。不満に思ったナミは靴を返品しに店へ行くと、デザイナーのルブノに出会う。彼はナミに「ショーに出てくれれば、靴を作り直す」と言うが、実際に靴を直すのは靴職人のミウチャだった。

 

<雑感>

 

「ONE PIECE」を知らないまま視聴。ナミというのが有名ヒロインらしい。もしかして知らないのオレだけ? まぁ、しゃーない。

 

ルブノとミウチャはともに靴職人。貧乏な頃はふたりで力を合わせて小さな靴屋を大きくしようと誓い合った仲だったが、やがてルブノのデザインが評価されたことから、彼は増長してしまい、顧客の脚にぴったり合った靴を作りたいミウチャをないがしろにするようになった。

 

そこに顧客としたナミがやってくる。彼女の要望は「戦える靴」。それを聞いたミウチャは彼女の脚にピッタリの靴を作り上げるが、ルブノは顧客の脚よりデザインを重視するあまり、ナミの脚に合わせることを拒む。

 

そしてクライマックスへ。そんな流れの作品でした。

 

☆5.0。「ONE PIECE」っていつからCGになったの?

 

 

 

 

 

滝田洋二郎監督による日本のドラマ映画。出演は吉永小百合、堺雅人、篠原涼子。

 

桜守 ポスター 霜と母子

 

<あらすじ>

 

1945年、南樺太に一輪の桜が咲いた。やっと咲いたその花は、江蓮てつたち家族にとって希望の花のはずだった。その年の8月、ソ連軍の侵攻が起こる。てつは息子二人と共に樺太を脱出。決死の思いで北海道の網走へと辿り着く。

 

そんな満身創痍の親子を待っていたのは想像を絶する過酷な生活だった。意識を失うほどの厳しい寒さと飢餓、その中を親子は懸命に生き抜くのだった。

 

1971年、成長した次男の修二郎は米国で成功し、日本初のホットドックストアの日本社長として帰国。15年ぶりに網走を訪れた。そこには長男の姿はなく、一人、夫を待ち続けながら慎ましい生活を送る年老いたてつの姿があった。修二郎はてつを札幌へと連れ帰り、面倒をみる決意をする。

 

息子夫婦と暮らし始めたてつだったが、薪を使い米を炊き、近所から苦情を受けたり、金を払わず八百屋から葱を持ち去ろうとするなど、徐々に不可解な行動が目立つようになる。年老いたてつは、戦禍によるPTSDの後遺症に陥っていた。そして、てつ自身もその変化を自覚していく。

 

そんなある日、てつが突然、姿を消す。立派になった修二郎に迷惑をかけたくないと思い、一人、網走に戻ろうとしたのだ。だが、網走の住宅はすでに取り壊されていた。帰る場所を失ったてつ。てつのために一緒に寄り添いたいと思う修二郎。二人は、北海道の大地を巡る過去への道行を始める。その旅は、親子の抱える禁断の記憶の扉を開けてしまうのだった。

 

父はすでに亡くなっていた。てつもそのことを知っていたが、忘れてしまいたい記憶だったのだ。てつが見つかったとの知らせが舞い込む。彼女は、夫と一緒に植えた桜を思い出させる桜守の仕事をしていた。

 

てつは、修二郎を夫と見間違う。そして大事そうに「これしか(守れなかった)」と江蓮家の表札を手渡すのだった。

 

<雑感>

 

吉永小百合の演技力だけで成り立った作品。母子の関係に涙する作品だが、では出来がいいかというとそうとは言えない。全体的に安っぽいし、時代背景と実際の映像が合ってない。母を想う息子、この関係性は男の子なら誰しも何かしらの気持ちを持っているもので、その琴線に触れることで情感を揺さぶることで映画として成立している。

 

☆3.0。ある感情を刺激するのは結構だが、もう少し完成度を追求してくれないとな。

 

 

 

 

堀川とんこう監督による日本の文芸映画。出演は吉永小百合、天海祐希、常盤貴子。

 

ひかる源氏物語 DVD ポスター

 

<あらすじ>

 

千年前、紫式部の元へ藤原道長から、娘・彰子の教育係として京の都へ来て欲しいという文が届く。源氏物語を完成させるという強い意志を抱き清少納言に静かな闘志を燃やしつつも、彰子の瞳の清らかさに心を打たれ、いつしか自らが人生をかけて紡いでいる長く壮大な“女と男の物語”を説いてゆく。

 

主人公は、桐壷帝の子・光源氏。何不自由のない人生を送っているかに見えた源氏だったが、帝の寵愛する義母・藤壺中宮に恋心を抱いていた。源氏は藤壺の館を訪れ、なかば強引に一夜を共にし、藤壺は源氏の子を宿してしまう。

 

言い知れぬ罪の意識に苛まれ、次第に光源氏を遠ざける藤壺。煩悩を刺激された源氏は、さらにあまたの姫君と関係を持つ。

 

<雑感>

 

源氏物語の映像化は難しいとの懸念がそのまま現実になってしまった作品。光源氏のキャラクターをどのように造形するのか、通い婚だった当時の風習をどう物語に落とし込むのか、そのあたりの懸念が消化不良のまま終わってしまう。

 

映像の美しさや、天海祐希の存在感に頼ってしまった感は否めず、どう評価したらいいのか迷う作品だ。映像の美しさも、悪いとは言わないけれども、発色が悪くて、画面全体でどのような印象を作りたいのか意図が見えないまま。

 

☆3.0。天海祐希に男役をやらせたことが唯一の良い点。

 

 

 

 

 

成島出監督による日本のドラマ映画。出演は吉永小百合、松坂桃李、広瀬すず。

 

いのちの停車場 ポスター 医療ドラマ

<あらすじ>

大学病院救急救命センターに勤める救急医白石咲和子にトンネル事故の怪我人が大量に運ばれてきた。そこに車に撥ねられた少女が運び込まれてきた。医師が対応できず、まだ免許を持っていない野呂聖二が点滴を打つ決断をした。これが問題になり、白石咲和子が病院を辞職して責任を取った。

故郷に戻った咲和子は、終末医療専門病院まほろば診療所で働くことになった。診療所には余命いくばくもない患者が5人おり。それぞれの事情を抱えていた。懸命に患者を励ます日々を送る咲和子のところに野呂がやってきて働かせてほしいと懇願した。野呂はまだ医師免許を取っていなかった。

さらに旧友の囲碁棋士中川朋子がやってきた。彼女は末期癌と闘っていたが、闘病に疲れ果てていた。彼女を診療所の患者に紹介して一緒に食事を摂ると、朋子は徐々に生きる気力を取り戻して帰って行った。だが朋子はじきに死んでしまった。冬になり、他の患者たちも命を終えていった。

野呂は医師免許を取って必ず戻ってくると約束して東京へと帰っていった。咲和子の父は襲い来る病魔に耐えられず自殺を図り、娘に安楽死を頼んだ。娘はそれを受け入れた。

<雑感>

北陸=暗い、自殺ってイメージやめてくれるかな。文化的でいいところなのだが。有名俳優がたくさん出ていて悪くない作品ではあるが、日本映画界は昭和の時代のステレオタイプからなぜ抜けられないのか。

良い作品ではあるが、命に未練がありすぎるかなという印象。最後にちょっとだけ話題になった安楽死についてもっと攻めてほしかったが、まだまだ「生きる」ことの比重が大きいようだ。

「生きる」か「死ぬか」と考えるから間違うのであって、「生きたら死ぬ」と捉えれば、「この世に生まれてきてこうして生きているのに、死についての整備が不完全だ」と考えれば死の選択肢を増やす必要を理解できるのではないか。

老衰による自然死を理想として、ごく一部の人間以外は理想の死に方ができず、病気に苦しみ、暴力に晒され、事故で唐突に命を奪われ、苦しんで自殺するしかないなど間違っている。病院で安楽死ができるようになれば、死の選択肢が増え、余計なことに怯えずに計画的に死んでいける。

そもそも老人がバカみたいに金融資産を貯め込んでいるのは、いつ死ぬかわからないから金を手放せないのだ。「大体やりたいことはやったし体も動かなくなったからそろそろ死ぬか」と病院で注射1本で静かに死ねねばこんないいことはない。金を使いきって死んだり、子供に託して安心して死ねる。

☆4.0。「安楽死」と聞いて「死」の部分にだけ目が行き発狂する知恵遅れどもは、「安楽」の文字を見てよく考えてみればいい。誰も病気や事故で苦しんでから死んだり、孤独死の恐怖に暗澹たる気持ちを持ったまま長生きしたくないのだ。「安楽」に死にたいのである。

 

 

 

 

 

堤幸彦監督による日本のドラマ映画。出演は吉永小百合、竹中直人、窪塚洋介。

 

まぼろしの邪馬台国 ポスター

 

<あらすじ>

 

昭和31年、博多。ある日、全盲でありながら島原鉄道の社長であり郷土研究家でもある宮﨑康平が行方不明になり、無事発見されるが、「わが郷土、島原は遺跡の上に出来た町」と、神がかりなことを言い出す。

 

復旧作業が始まると、次々と土器が発掘される。しかし、康平の解任によって雲仙観光バスは廃止。バスガールの長浜和子も島原を去ることになるが、駅で和子を待っていたのは康平だった。こうして、康平の妻として、和子の新しい生活が始まった。

 

それは目の見えない康平の代わりに和子が魏志倭人伝などを読んで聞かせ、康平がそれを読み解き、“まぼろしの邪馬台国”の場所を探すという共同作業だった

 

<雑感>

原作の宮崎康平はいわゆる地元の郷土史家で、その道の権威というわけではないが、この問題をメジャーにした人物という評で合ってるはずだ。高校のときに古田武彦と宮崎康平を読んで、九州説を危うく信じそうになったのでよく覚えている。

宮崎康平の書籍「まぼろしの邪馬台国」は、宮崎の自伝である。彼は郷土史研究に生涯を捧げており、であるがゆえに彼の自伝がそのまま邪馬台国九州説を論証する足跡になっているという構造の本だ。

劇中にも出てくるが、彼は邪馬台国への旅程が九州の大きさにそぐわない問題を、旅程が円を描いていたと仮説することで解決を図った。古田武彦は邪馬壹国説、単里(中世の1里の距離と古代の1里の距離は違うという考え方)で説明していた書籍もあったはず。朝鮮に残ってる古地図には、魏志倭人伝の記述そのままに日本列島が南に延びているものもある。

九州説を採用する人は魏志倭人伝を疑わず(記述は正しいとした前提で)、矛盾点を解決するために新しいアイデアを出しているところが面白かった。高校生のときに危うく九州説を信じそうになったのは、当時から面白い方を信じて人生を楽しむという姿勢だったためだ。本当にロクでもない。

九州説が地元の郷土史家らによる地元愛の熱情に溢れたものであるのに対し、畿内説は一流の学者が中心で、しかもそこはかとなくもやんごとなくも天皇家を味方につけているところがズルい。

 

さらに、継体天皇以前の畿内はのちの畿内人種とは違って、寒冷化に伴って南下してきた東北民かもしれないと思い至り、邪馬台国がどこにあったのかとか、邪馬台国はヤマト国なのかとか、そういうことはすべて保留する立場になった。それより、本州の豪族が東北縄文人の子孫なのかどうかの方が重要に思えてきたからだ。

畿内には飛鳥時代以降大陸から多くの人種が流れ込み、縄文系の色合いは薄くなっているが、それ以前の豪族とその連合が縄文時代の「縄文ネットワーク」を維持していたのかどうかわからないと、大和王朝の数々の謎は解けない。邪馬台国などそれに比べれば些細なことではなかろうかと。

日本国を統治する正当性の根源の問題は、邪馬台国にはおそらくないのだ。

ということを考えていたのは、高校1年生のころだ。妄想好きの男子高校生たちは、バカなことばかりしながらも競って読書していたものだ。

☆4.0。何とも懐かしい。そんな気分を思い起こさせてくれる映画であった。

 

 

 

 

 

行定勲監督による日本のドラマ映画。出演は吉永小百合、渡辺謙、豊川悦司。

 

北の零年 DVDカバー:吉永小百合、渡辺謙

 

<あらすじ>

 

明治3年。淡路の稲田家主従546名は、明治政府から北海道移住を命じられた。家臣・小松原英明の妻も凍てつく大地に立ち向かうが、さまざまな不運に見舞われる。英明は家族を残し、厳しい環境でも育つ稲を求めて札幌に旅立つが、半年経っても戻ってこなかった。

 

<雑感>

キャラの掘り下げも丸っきりダメだし、なんか話が噛み合ってないし、分析的に視聴すればおかしなことはたくさんありそうなのだが、こんな退屈な作品を2度観られる人間がこの世に存在するのだろうかというくらい退屈なのだ。しかも長い。

超大作として撮るなら、もうちょっと調べなきゃいかんよ。それでも元の資料の少なさからしても100分が限界。下手に話を膨らませようとするからおかしなシーンが何度も挟まる。テーマも何もないし、あるのはボンヤリした反体制の気分だけ。阿呆なのかな行定勲。

それに、ウチの母方の曾祖父までは南樺太でアイヌやっていたけど、日本人はあんなのばかりじゃないぞ。アイヌの取材をしたのかどうかも怪しい出来だが、したとしてもビジネスアイヌにウソの歴史を吹き込まれただけじゃないの? 反体制ならウソ吐きまくっても構わんなんて態度で映画を作るなよ。

☆2.0。左翼に金を使わせるなと。

 

 

 

 

 

山田洋次監督による日本のドラマ映画。出演は吉永小百合、大泉洋、永野芽郁。

 

こんにちは、母さん 映画ポスター

 

<あらすじ>

 

大会社の人事部長として日々神経をすり減らし、家では妻との離婚問題、大学生になった娘との関係に頭を悩ませる神崎昭夫は、久しぶりに母・福江が暮らす東京下町の実家を訪れる。

 

「こんにちは、母さん」 しかし、迎えてくれた母の様子が、どうもおかしい。割烹着を着ていたはずの母親が、艶やかなファッションに身を包み、イキイキと生活している。おまけに恋愛までしているようだ。母はボランティアリーダーをやっていた。

 

久々の実家にも自分の居場所がなく、戸惑う昭夫だったが、お節介がすぎるほどに温かい下町の住民や、これまでとは違う“母”と新たに出会い、次第に見失っていたことに気付かされてゆく。

 

<雑感>

 

後半のあらすじも書くつもりでメモを取っていたのだが、延々老人の話を聞かされてウンザリ。お前も老人だろといわれると返す言葉もないが、必死に生きる若者と、必死に生きる老人を、同じものとして描いていいのだろうか? これはいつも疑問に思うことだ。

 

心折れて死にかけている若者がいれば、何とか励まして社会復帰させられないかと無い知恵を絞るが、老人に「生きろ。まだ生きろ。生活保護を受けてずっと生きろ」と励ますのは何か違うだろうと。その負担をしているのが若者で、重税で苦しんでいるとなるとなおさらだ。

 

「若者は生きろ。ワシら老人はそろそろ死のう」でいいのではないか?

 

☆3.0。山田洋次は優しすぎるのであろう。良い映画なんだけどね。

 

 

 

 

森永健次郎監督による日本のドラマ映画。出演は吉永小百合、髙山秀雄、青山恭二。

 

吉永小百合主演「花と娘と白い道」ポスター

 

<あらすじ>

 

花屋のみや子は街でモテモテだった。そのみや子に縁談が持ち上がった。相手は鉄道員の清吉。だが彼には、咲枝という愛人がいた。咲枝は未亡人で、みや子の姉だった。咲枝は家出をしてしまう。そのことを知ったみや子は、清吉の父に掛け合い、咲枝と清吉が結婚できるよう計らった。

 

みんなで咲枝を探し、お嫁に行かせる。

 

<雑感>

 

そりゃ吉永小百合みたいなのが花屋にいたら、みんなびっくりするだろうよ。あ、でも最近の若い子はみんな可愛いよな。吉永小百合のような目鼻立ちがはっきりした美人は少なくなったが、笑顔が可愛い女の子が増えた。

 

☆3.0。吉永小百合主演映画のポスターは綺麗に残ってるんだよな。

 

 

 

 

 

堀池清監督による日本のドラマ映画。出演は川地民夫、吉永小百合、奈良岡朋子。

 

青い芽の素顔 映画ポスター、吉永小百合

 

<あらすじ>

 

山中みどりはおもちゃ工場で働きながら大学受験を夢見ていた。あるとき彼は、高木誠という学生と知り合いになる。彼は金持ちの息子だったが、金がないフリをして、女をひっかけて遊んでいたのだった。しかし、みどりの真面目さに惹かれ、真面目に交際を考えるようになった。

 

誠と交際することになったみどりは、女子大生だとウソをついた。つきあいを続けるうちに、身分違いに気づいたみどりは、やがて誠と会わなくなる。誠もみどりがウソをついており、工場で働く女性だと気づいた。

 

みどりはしょげ返っていたが、兄弟たちの励ましもあってふたりは交際を再開した。

 

<雑感>

 

昭和の時代は格差がなかったなんて言うのはウソで、もちろん大きな格差があった。ただ、世の中の多くが貧乏人だったために、平等のような錯覚に陥っていただけなのだ。

 

☆3.0。大学へ行けたのは全体の15%だけ。

 

 

 

 

 

山田洋次監督による日本のドラマ映画。出演は吉永小百合、二宮和也、黒木華。

 

母と暮せば ポスター 山田洋次監督作品

 

<あらすじ>

 

医大生の福原浩二は、米軍の原爆投下によって死んだ。母の福原伸子は、息子が死んだことを受け入れられないまま数十年の時を過ごした。あるひのこと、ひょっこりと死んだはずの浩二が、亡霊になって家に帰ってきた。

 

浩二は自分が死んでしまったことを受け入れられずにいた。浩二には町子という恋人がいた。町子と伸子は、浩二が死んでからも交流を続けていたが、町子が家に姿を見せると浩二は消えてしまった。町子には黒田という戦争で脚をなくした男が求婚しており、伸子は町子の背中を押してふたりの結婚を後押しした。

 

そして伸子が亡くなる日がやってきた。彼女の魂を迎えに来たのは、浩二であった。

 

<雑感>

 

この映画はすでに視聴済みだったが、感想記事がなかったので追加しておく。

 

山田洋次お得意の人情もので、戦争で息子を亡くした母親と、戦争で母と生き別れた息子の再会をファンタジーとして描いている。設定はファンタジーだが、年老いた母と、母の記憶の中で歳を取らない息子との関係がリアルに描写されている。

 

記憶の中の子供はいつまでも子供のままだし、記憶の中の両親はいつまでも30代だから、肌感覚で理解できる設定だった。オレも、母が死んでもう20年になるが、記憶の中の母は30歳くらいのままだったりする。

 

☆5.0。山田洋次はこういう話を撮るのが本当に上手い。