「新学期・操行ゼロ」(1933年作品)感想 | 深層昭和帯

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映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

ジャン・ヴィゴ監督によるフランスのドラマ映画。出演はルイ・ルフェーブル、ジルベール・プリュション、ジルベール・プリュション。

 

 

<あらすじ>

 

夏休みが終わり、寄宿学校の子供たちが学校に帰ってきた。自由のない生活の始まりに生徒たちはウンザリしていたが、とりわけ「操行ゼロ 日曜外出禁止」命令がいつ出るかと考えるだけで憂鬱になるのだった。

 

コサ、ブリュエル、コランにタバールを加えた4人は、学園祭当日、生徒の自由を訴えるために立ち上がるのだった。

 

<雑感>

 

子供のころ、こうした作品に心躍らされたものだった。子供は家庭や学校から多くの制約を受けているものなので、自由という言葉に憧れる。大学に入ればかなりの自由が手に入ってやりたいことができるようになるのだが、受験勉強から解放されたバカたちは「絶対自由」などという哲学的にまるで意味のないスローガンを掲げて悦に入ったりもする。

 

学生運動などをやるのは、こうしたバカたちであり、自由になっていざ何をすべきか自分と向き合わなくてはならないのに、高校生のように「自由をよこせ」と叫び、大人に無視されると今度は「自由が脅かされる」と言い出すのだ。活動家はこうしたバカの類であって、バカはまずもっと哲学を習得しなければ一生バカのまま終わる。

 

この映画は、将来のために自由を制限され勉学を押し付けられた裕福な子供たちの革命ごっこを描いている。子供はこうしたものに感情移入するのだろうが、もうこっちは白秋から玄冬に入ろうかという年代なので、「自由を得てからの方が苦しいのに」などと大人ぶった感想を持ってしまう。

 

だから、大人が見ても面白くない映画なのだ。見る人間の年齢によってこうした映画の評価は大きく変わる。

 

☆3.4。子供心を刺激する内容だが、「自由に空を飛びたい!」との願いは、空を飛び続ける苦しさを知らない雛鳥の要求なのである。