ブレット・ドノフー監督によるアメリカの西部劇映画。出演はニコラス・ケイジ、ライアン・キーラ・アームストロング、ケリー・クヌーペ。
<あらすじ>
アメリカ西部開拓時代、人里から離れてひっそりと暮らす男がいた。彼の名は、コルトン・ブリックス。かつては、賞金稼ぎに用心棒と殺しの世界にいた男も、今では1児の父として、雑貨屋を営みながら静かに暮らしていた。
ある日、自宅に1人でいた妻ルースの所に不審な4人組の男たちが訪ねてくる。ブリッグスと12歳の娘ブルックが帰宅すると家に保安官たちがおり、ルースが殺害されたことを聞く。悲しみに暮れるブリッグスは、二度と握らないと誓ったはずの銃を手にすることを決意し、娘と共に復讐のために犯人探しの旅に出るのだった。
だが、連邦政府の法律は、復讐を認めていない。ブリックスが好き放題やっていた時代とは違うのだ。保安官は彼を止めようとするが逆に縛り上げられて犯人の情報を話すよう催促された。ブリックスと娘はその情報を頼りに犯人を追いかけていく。
犯人の中にブリックスを知っている男がいた。狙った獲物は逃がさない。それがブリックスの流儀だった。犯人らは娘を人質にして彼をおびき出すことにした。ブリックスは罠と知りながら街に潜入して、犯人グループの男たちを殺していく。
しかし、娘を殺すと脅されて銃を抜けずに心臓を撃ち抜かれてしまった。犯人はブリックスを殺したと喜ぶが、娘が父の敵を討った。
<雑感>
無法地帯だったアメリカ南部が、アメリカ合衆国の一部になり、法治国家としての道を歩み始めたころを描いた作品。低予算なので徹底されてはいないが、個人的にはアメリカがちゃんと自分の国の歴史を描こうとしているところに好感を持った。
法は作文により成り立っているので、事実をどう作文するかによって事実と裁きが変わる。最後のシーンは、娘が死んだ父の亡骸にすがりながら、保安官との対話の中で父が英雄であるためにはどんな事実として作文するかの過程が描かれている。保安官は両親を亡くした娘の気持ちに寄り添いながら、事実を歪めない範囲で作文をして娘に提示する。
☆3.5。法治主義で作文を疎かにすると、誤った判例が社会を蝕む癌になるので判例は絶対であってはならないのだが、判例を吟味する立法府がなかなかうまく機能しない。