「いつまでも君を愛す」(1933年作品)感想 | 深層昭和帯

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マリオ・カメリーニ監督によるイタリアの恋愛映画。出演はエルザ・デ・ジョルジ、ニーノ・ベゾッツィ、ミノ・ドーロ。

 

 

<あらすじ>

 

アドリアーナ・ロゼは娘を出産した。彼女が相手の男性を待っていると、クレーリチという女性がやってきた。そして、ディエゴは来ないと告げた。彼女は不倫の末に子供を産んだのだった。孤独に育った彼女は、他に頼るべき人がいない。

 

経済力がなく男に頼りきりだった母親は、男に殺された。アドリアーナは、孤児院で寂しく育った。それからずっと幸福になることを夢見てきたが、彼女が頼った男性は遊び人のディエゴだった。アドリアーナが出産した日、彼はゴルフに興じていた。

 

数年後。誰にも頼れないと知った彼女は、大きな美容室で働き始めた。安定した収入を得て、娘と暮らす日々。だが彼女が働く美容室にディエゴがやってきて状況は変わった。ディエゴはアドリアーナを求めるが、彼女は逃げ回った。ディエゴはやり直そうと持ち掛ける。

 

美容院で働く会計士がアドリアーナに好意を持っていたが、彼女が子持ちだと知ると怖気づいた。その間にもディエゴは復縁しようとしつこく付きまとう。彼は美容室の上客だったので、無下にすることはできない。弱気な会計士を見下したディエゴに腹を立てた会計士は、ついに彼を殴り、アドリアーナもろとも馘首になってしまった。

 

これからどうしたらいいのかと泣きじゃくるアドリアーナを、会計士が追いかける。そしてついに「娘さんを迎えに行って、一緒に住もう」と愛の告白をする。いったんは拒んだアドリアーナだったが、会計士の家には母がいて、彼女を気に行ってくれていると知り、会計士の愛を受け入れることにした。

 

<雑感>

 

全然知らない作品だったが、これは意外にも傑作だった。

 

自分の親に似た運命を歩んでしまうことはよくある。アドリアーナの母は金を稼ぐ手段がなく、複数の男に頼りきりだった。誰かの愛人になるしかなく、最後は娘であるアドリアーナの目の前で殺された。

 

これがサイドストーリーとして効いていて、アドリアーナと娘が同じ運命に陥るのではとハラハラするのだ。結局は彼女もディエゴという金持ちの遊び人に引っかかって、出産の日から孤独を味わう。だが彼女は仕事を得て、母親とは違う人生を歩み始める。

 

いったんホッとするのだが、そこにまたディエゴが登場。女を性欲の対象としてしか見ていないディエゴは、自分の子供のことなど記憶になく、アドリアーナだけを目当てに言い寄ってくる。ここでついて行ったら、アドリアーナは娘に自分と同じ苦しみを与えてしまう。必死に踏みとどまる彼女だったが、会計士の暴力の巻き添えで美容院を馘首になってしまう。

 

そのあと会計士が、自分には家族はあるが妻がいないことを何とか説明して、アドリアーナの信頼を得る。あなたが好きだではなく、娘さんも一緒にと口にしたことで気が変わったのだろう。

 

原題の「T'amerò sempre」は邦題と同じ意味なのだが、会計士がアドリアーナを愛するという意味の他に、小さな子供を孤独にしない、子供を愛する家庭を大切にするという意味も含まれている。男が女を好きになるだけの内容では決してない。家庭が孤独を癒す話なのだ。

 

本作は、マリオ・カメリーニ監督により1943年にセルフリメイクされている。そちらの方が有名らしいが、オリジナルは味のある素晴らしいドラマ映画だった。

 

☆5.0。会計士が早く結婚して母親を安心させたいと願う気持ちもよくわかる。