「苺の破片」(2004年作品)感想 | 深層昭和帯

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映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

中原俊監督による日本のドラマ映画。出演は宮澤美保、梶原阿貴、小市慢太郎。

 



<あらすじ>

マンガ家の猫田イチゴはスランプに陥っていた。かつて絶大な人気を得た少女マンガ『チェリーロード』を手掛けたイチゴだったが、それから12年、ついにそれを超える作品を生み出すことはできなかった。『チェリーロード』のモデルであり、もうこの世にいない憧れの楠瀬センパイのことが忘れられず、新しい作品が描けないのだった。

これまで二人三脚でやってきたマネージャーの知子もそんなイチゴをどうすることもできない。2人とも苛立ちと焦りばかりが募ってゆく。そんなある日、イチゴは不注意からトラックにはねられてしまう。やがて目を覚ましたイチゴは、海辺のガレージにいた。そして、彼女の目の前には12年前に死んだはずの楠瀬の姿があった。

夢で見たことを再び書き始めたイチゴだったが、知子と編集がベッドインしている姿を目撃してしまい、またやる気をなくしてしまう。退院した彼女は実家から母を呼び寄せ、新連載のネームを書き続けた。そして別の雑誌にネームを持ち込む。しかしどこも引き取ってくれない。

立ち寄ったバーで楠瀬の母からの手紙を読んだ彼女は、知子の家に行き、楠瀬の13回忌に赴いた。そこで楠瀬の彼女だった女性と初めて口をきいたイチゴは、本当の楠瀬を知っているのは付き合っていた彼女で、自分が知っているのは漫画の中の、イチゴが作り上げた楠瀬なのだと気づいた。

<雑感>

この作品、どうも世間的な評判は芳しくないようだが、すごくよくできた作品だった。主演の宮澤美保は、スランプ中のつっけんどんした漫画家を演じている。若くして売れっ子になり、天狗になったまま中途半端な大人になった姿が表向きの彼女で、本当はずっと死んだ先輩のことを想い続けている子供なのだ。宮澤美保のどこか子供っぽい雰囲気が、虚勢を張っている主人公とぴったり合っていた。

マネージャーの知子はもちろん大人で、編集とセックスする。編集ももちろん会社勤めのサラリーマンだから、イチゴで儲かるかどうかしか興味がない。イチゴは子供のまま取り残されているのだ。そこに母がやってきて、子供のころのように甘えながら創作に打ち込む。彼女はここで子供に戻ったわけだ。

ところが出版社は彼女を終わった漫画家と見做してまともに取り合わない。本当は大ヒット作の続編など持ってきてくれたらそれが売れようが売れまいが大喜びなのだが、劇中では「あの人の絵が嫌い」などと冷たくされる。子供のように漫画を描いても、子供だった頃のように周囲はちやほやしてくれない。

また大人びた様子で強い酒を飲もうとしたところで、彼女は楠瀬の母親からの手紙を読む。心が過去に取り残されたままの彼女は、自分の心と向き合うために事件のことを思い出す。すると、夢で見たように楠瀬が死んだのは修理に持ち込まれたバイクが原因で、自分のせいなどではない。そして、楠瀬には彼女がいた。その彼女は別の男性と結婚して子供がいる。

何もかも自分が想像していた「楠瀬先輩の実像」と違う。そして彼女は、自分が知っている楠瀬と本当の楠瀬の違いに気がつく。

最後の海辺のシーンで、彼女は創作者として一皮剥けたのだ。カッコいい先輩に憧れ続ける少女ではなくなり、カッコいい先輩の物語を描いた漫画家猫田イチゴになったのだ。これは長年のスランプから脱することを意味しており、少女時代との決別を現している。最後のシーンの宮澤美保の表情の中に、少女っぽさはない。

なんでこんないい映画が評価されないかなぁ。

☆5.0。中原俊と宮澤美保は「櫻の園」のコンビ。素晴らしい映画だった。