「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」(1967年作品)感想 | 深層昭和帯

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湯浅憲明監督による日本の怪獣映画。出演は本郷功次郎、上田吉二郎、笠原玲子。



<あらすじ>

日本列島で火山の噴火が相次ぎ、炎をエネルギー源とするガメラが飛来してきた。炎を食い始め、危険性を増していくガメラの対策本部が設けられる。一方、二子山では謎の怪光線による事故が相次いでいた。光線を発していたのはガメラとは別の怪獣であった。新たな怪獣は新聞記者を食い殺し、さらに案内役の少年英一をも食おうとした。

そこにやってきたのがガメラであった。ガメラは英一を助けると甲羅に載せて遊園地まで運び彼を助ける。英一少年により、謎の怪獣はギャオスと呼ばれることになった。ギャオスは超音波をメスのように使いなんでも切断してしまう。夜行性で人肉を好むことなど生態が明らかになっていった。

夜になり、ギャオスは名古屋に侵入。人間を襲撃するギャオスであったが、光に弱いために中日球場が避難場所に指定される。さらにガメラがギャオスに襲い掛かる。名古屋上空で二大怪獣による空中戦が繰り広げられた。ガメラはギャオスを伊勢湾に墜落させ、さらに海に引きずり込んで殺そうとする。ギャオスはたまらず自分の足を超音波で斬り落として逃げ出した。

対策本部はギャオスの切り落とされた脚を回収。すると日光に当てると瞬く間に縮んでいくことがわかった。ギャオスは一晩で脚を再生させるものの、人間とガメラ双方に攻撃され、最後は富士の火口に引きずり込まれて最後のときを迎えた。

<雑感>

「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」はガメラ映画の中でも1、2を争う傑作である。第4作以降ガメラが「子供たちの味方」になっていく礎になった作品でもある。

1962年の「キングコング対ゴジラ」により、それまで災害の象徴であったゴジラがそこはかとなく「日本の味方」「日本の怪獣」という仲間意識を持たれるようになってから、怪獣はキャラ付けされていく運命だったのかもしれない。

ガメラは第1作で子供を助けたシーンが好評だったらしいが、第2作ではその点は脚本に反映されなかった。ガメラ第2作「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」は、「モスラ」(1961年作品)が脚本の下敷きになっている。欲に目のくらんだ日本人(高度経済成長の象徴)が、原始的社会を経済的な理由で破壊し冒涜するというものだ。

それに対し、この第3作「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」から怪獣プロレスの要素を導入している。人肉を好んで食べる怖ろしい悪の怪獣ギャオスに対し、子供の味方ガメラが制裁を加えるまさにプロレス的な内容だ。ただそれが徹底されておらず、土地開発とそれに寄生する地主の醜い争いなどが話の中心になっている。映画には社会批判が盛り込まれるべきとの意識がまだ残っていたのだろう。

ゴジラもすでに怪獣プロレスを開始しており、ガメラもそれに追随する形になった。その際に、原爆や戦争のメタファーであったゴジラより、後発のガメラは有利な立場にあった。火を吹く、空を飛ぶ、カメなのに二足歩行ができるなど映画的に見栄えのするキャラを最初から作れたのだ。

第3作は、空を飛ぶというガメラの特徴を、同じく空を飛ぶギャオスと戦わせることで魅力をいかんなく発揮させた。これはゴジラにはできない芸当であった。ゴジラの場合はラドンが飛行怪獣というキャラ付けであったために、「ゴジラ対ヘドラ」になるまで空を飛ぶことはできなかった。ガメラはその点最初から空を飛ぶ設定を与えられたために、第3作目にして早くも空中戦が展開されたのだ。

ゴジラではかなり後からなされた出血シーンも、ガメラは第2作から派手にやっている。これは当時大人気だったプロレスの影響であるのは明らかだ。「グフッ」「ドスッ」などのやられた際の効果音もガメラは早くから導入されている。後発のガメラはあらゆる面で東宝怪獣映画を手本にしている。

☆5.0。これを子供のころに観たかった。ガメラ映画は「強いぞガメラ」の歌が挿入されたものしかテレビで放送してなかった。