「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」(1968年作品)感想 | 深層昭和帯

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映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

湯浅憲明監督による日本の特撮映画。出演は本郷功次郎、渥美マリ、八代順子。



<あらすじ>

バイラス星人が地球侵略を開始した。ところが初戦でガメラと遭遇。円盤を破壊されて撤退を余儀なくされた。 子供たちの味方ガメラは、国際海洋研究所の潜水艦にいたずらして乗り込んだ正夫とジムとともに水中遊覧を楽しんでいた。そこにバイラスの第2陣がやってきた。

バイラスはバリア光線を発射してガメラと潜水艦を包んでしまった。酸素は残り少ない。ガメラは子供たちを守ろうとするが、バイラス星人はガメラの脳波をスキャンして弱点は子供にやさしいことだと突き止めた。正夫とジムはバイラスのスーパーキャッチ光線に捕まった。バイラス星人は子供を人質にしてガメラに日本の破壊を命じた。

調子に乗ったバイラスは、国連すらも恫喝。子供たちは自分たちの命より地球を守ってと大人に懇願する。そのときふとこのふたりに科学知識があることを思い出した隊長が潜水艦にしたようにバイラスの宇宙船にいたずらをしたらどうかと持ち掛けた。ふたりはさっそく実行。するとすべての配線が逆になってしまった。

解放されたガメラが大暴れ。バイラスはたまらず合体して本来の宇宙怪獣バイラスの姿に変身した。ガメラ対バイラスの戦いは海にもつれ込んだ。戦いはバイラス優位で進んだが、ガメラに機転によりバイラスは寒気で凍らされ海に叩き落されて粉砕した。

<雑感>

ガメラ映画第4作目。第3作から子供向けに振り切るよう指示が出たガメラであったが、現場の対応はその指示に追いつかず、はっきりと子供向けの内容にはなっていない。今回からそれが徹底され、脚本の段階から子供とガメラの交流を中心に描かれることになった。

さらに「ガメラマーチ」が完成。ガメラはゴジラより早く「子供たちの味方」の立場を明確にした。これには良かった面と悪かった面がある。良かったのは、ガメラの立ち位置を明確にしたことでシリーズ化ができたこと。「大巨獣ガッパ」(1967年作品)や「大魔神」(1966年作品)は一般向け特撮映画の体裁から抜けられなかったためにシリーズ化が困難になった。

悪かったのはやはり子供向けになったことで低予算を強いられ、オイルショックとともに消えざるを得なかったところだ。これはゴジラも同様ではあるが、より低年齢層をターゲットにしてしまい、営業の弱い大映作品だったガメラは早くに撤退を余儀なくされた。だが、シリーズ化されていなかったとしたら撤退もなかったわけで、結局この路線変更は大正解といえるだろう。

世代的に、あるいは住んでいた地理的に大映作品とは縁のない人生を送りながら、なぜかガメラマーチのサビのところだけは強く記憶に残っている。さほど多くないテレビの放送で耳にして、以来ずっと覚えていたのだ。レンタルもサブスクもない時代の子供たちは必至でテレビを見ていた。記憶力が半端ない。

出血シーンが多いのもガメラの魅力といえるだろう。これは当時のプロレスの影響が強いとは前に書いたが、力道山が死んで日本プロレスが崩壊、馬場と猪木が袂を分かったのち、マイナー団体として旗揚げした国際プロレス(1967年旗揚げ)の雰囲気がガメラにはある。血なまぐさく、マイナーで、後ろめたい雰囲気だ。そうした昭和ガメラの悪いイメージを払拭したのが平成ガメラだったわけだが、それは後述することになるだろう。

前3作で多用された「ガメラが海の中に怪獣を引きずり込むシーン」は、この映画では敵をイカにすることで封じている。ガメラの得意技が「窒息死」にならなかったのはバイラス星人のおかげといっていい。敵をイカにしなければ、この映画でもガメラはバイラス星人を海に引きずり込んで窒息死させていただろう。そのイメージが固定されなくて助かった。

☆5.0。昭和の怪獣映画に駄作なし。特撮映画に栄光あれ。