「MASTERキートン」(1998年作品)第29話 感想 | 深層昭和帯

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映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

原作:浦沢直樹・勝鹿北星・長崎尚志、監督:小島正幸、制作:マッドハウス。

 

 

第29話(禁断の実)

 

会計事務所のコンサルティング部門で働くジェームズは頭の切れる完璧な男だった。

だが会長の娘婿の方が先に重役になってしまうことに不満を持っていた。彼は優勝劣敗を旨とする自由主義者であった。弱者が強者にたかることを何より蔑んでいた。

彼は節税に関する提案で会長に一目置かれる存在だった。周囲の人間はすべて彼の能力を評価していたが、本人はそれではまだ足らないと感じていた。

彼の会社では過去に3人の優秀な社員が重役昇進直後に亡くなっており、ロイス保険組合は彼らの死を不審と見做してキートンに調査をさせていたのだ。キートンは食後の飲み物が提供されたとき、口をつけないようにと重役たちに申し付けた。

ジェームズは確かに毒を盛っていた。彼は幼い頃に兄をベラドンナの実で失っていた。それから彼は毒物を使うようになっており、この日も会長の娘婿が愛飲するロシアンティーのジャムの中にそれを混ぜていた。

彼は運命をキートンに握られたと感じ、それを拒否するためにロシアンティーを飲み干した。

彼は神経毒でおかしくなり、窓ガラスを突き破って谷底へ落ちていった。

<雑感>

 

自分より優秀だった兄の死にショックを受けたジェームズが、自分の方が優れていたから生き残ったと自己を正当化するために毒物でライバルたちを殺し始めたという内容。優勝劣敗理論の極端な解釈になっている。

強いものが勝ち多くを手にすることで格差が拡がり、社会は不平等に陥る。それを平均的にならすのが税金で、自助と共助をバランスよく保つことで強者をなだめすかして搾取するのが近代国家である。強者は社会の安定の中での裕福さを保証される代わりに税を多く払う。

ところが行き過ぎた平等主義が自助と共助のバランスを崩し、主に弱者側が過大な要求を強者に対して行うことがしばしばある。これに対して優勝劣敗を説くのは一種の反動である。

優勝劣敗理論は自助に大きく傾けさせるために、結果として共助との間でバランスを欠くことになってしまい、弱者の過大な要求と同じ結果しか招かない。自助に傾こうが共助に傾こうが、その先には全体の破壊という結果しか存在しないのである。

全体が破壊されれば損失を被るのは個人であり、より共助に頼る者たち、つまり弱者が大きな損失を我が身に受ける。そして暴力的になり、強者も損失を被る。

今回の話は優勝劣敗を定めたものに対する疑義であって、人間に対する不信というより、神に対する不信を扱ったテーマであった。