「どろろと百鬼丸」(1969年作品)第6話(無残帖の巻・その二)感想 | 深層昭和帯

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どろろの過去編2回目。父である火袋が野党の頭の座をイタチに盗まれ、一家は流浪の身となる。



イタチは火袋が作り上げた義賊を奪い自分のものにするが、火袋、お自夜、どろろを殺すことまではせず、火袋の脚を矢で射って片輪にした。脚が悪くなった火袋にはもう野党をまとめることは出来なくなった。一家は土地を追われて、流れ者になってしまった。

行く先々の村で火袋は家族のために何とかしようと考えるが、どこの村もいくさで疲弊し、片輪を受け入れる余裕はなかった。それでも先へ行けばなんとかなる、いつか働く場所が見つかると希望を持ち、一家は旅から旅を繰り返した。

だが、どこへ行こうといくさのない土地など見つかるはずもなかった。

育ち盛りのどろろはいつも腹を空かせていた。どろろの食い扶持くらいは稼ぎたいと思ってもそれもかなわない。そんなとき、通りすがり牛車に乗った貴族がどろろを哀れんで饅頭を恵もうとした。これに腹を立てた火袋は、身分の高い人間すべてを呪う言葉を吐き、大立ち回りを演じてしまう。

火袋は脚が悪いとはいえ元野党の棟梁。三下の侍では叶うはずもなく散々に彼らを打ち据えるが、最後には槍に貫かれて死んでしまった。

火袋を失った母子は、さらにあてどない旅を続けるものの、雪の山中で力尽きて倒れ、どろろの母お自夜はどろろを温めながら死んでしまった。

ここでどろろの目が覚めた。百鬼丸は、風鳴りは妖怪がお前の悲しい生い立ちを嗤う声だと教える。

それに対してどろろは、お前ら妖怪に優しい父ちゃんと母ちゃんなんかいないだろうと大きな声で叫び、胸を張るのだった。

こんな話なんだけど、傑作すぎて泣ける。戦争中に腹をすかせた経験のある手塚ならではの描写の数々。反戦的気分は多分に戦後民主主義の影響であろうが、食い物がなくてとにかく腹を減らせているどろろの描写は体験的なものだろう。

強く正しい父と、優しく逞しい母の想い出さえあれば、あとは自分でなんとでもしてみせるというどろろの気概の高さよ。どろろの強さが心に迫ってきて泣きそうになる。

脚を矢で射貫かれ片輪にされても、強きに媚びず、曲がったことは決して赦さない火袋も格好良かった。手塚の漫画をどこかで読めないものかね。図書館へ行ってみるか。