「ゼロの未来」(2013年作品)感想 | 深層昭和帯

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映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

テリー・ギリアム監督によるイギリスのSF映画。出演はクリストフ・ヴァルツ、デヴィッド・シューリス、メラニー・ティエリー。

 



<あらすじ>

「ある電話」を取りそこなうのを避けるために在宅勤務を願い出ていたコーエン・レスは、「ゼロの定理」を証明するよくわからない仕事を任され、念願の在宅勤務を勝ち得た。ところが一向に成果が上がらない。定理の証明は無理に思われた。会社は彼以外に人材がいないのか、任せっきりであった。

落ち込む彼に、会社はコールガールをあてがった。名はベインズリー。彼女は献身的にコーエンに尽くしたので、彼も心を開いて電話のことを話した。それは特別な存在に生まれなかった自分に存在の意味を教えてくれる電話であった。彼は以前にその電話を受けたことがあったが、受話器を落としてしまって通話が途切れたのだ。以来、再びその電話が掛かってくるのを待っていた。

ベインズリーは彼のために刺激的なVRサイトを用意してもてなしてくれた。だがもともと心を閉ざしがちなコーエンはやがて彼女を拒否した。会社で味方になってくれていたボブも会社から咎めを受けて去っていった。コーエンはまた独りぼっちになってしまった。

会社は無秩序から利益を生むためにおかしな電話を待ち続ける信念の人であるコーエンを「ゼロの定理」の研究に当たらせただけだった。そんなものは初めからなく、秩序は存在しなかった。会社はコーエンをクビにした。彼はベインズリーが自分を慰めるために作ってくれた架空の世界に独り佇んだ。

<雑感>

もうひとりの作家性の権化テリー・ギリアムの作品。彼の世界観そのものと言える作品だが、彼のそれまでの作風とは少し違っている。意図的にそうしたのか、あまりに作品が売れなくて商業主義的に寄せようとしたのかはよく知らない。むかし、CUTとかHとか、渋谷陽一が発行するインタビュー翻訳雑誌を愛読していたときと明らかに自分の中の情報量が違ってしまっている。

8年前の作品だが、出版社を辞めた2000年を境に精神的隠遁状態にあるせいか、ごく最近に感じてしまう。

彼が待っている「人生の意味を教えてくれる電話」はコーリングはおそらく宗教的な意味合いがあって、コーエンはずっと自分のことを「我々」と呼んでいるのは、自分が第三者的な立場にあって誰にも属していないことを意味している。それは自分自身に対してもそうで、コーエンはコーエンでありながらコーエンではなく、人生の意味を見失い、天からのコーリングを待っている。

そこへやってきたのがベインズリーで、彼女の導きこそが天の導きであったのだが、それを拒否して自分自身になろうとしたコーエンを彼女は契約上の関係で危険視して求めを拒否してしまう。それがきっかけになって気まずくなったふたりは別れてしまう。だが、コーエンは自分をわたしと呼ぶようになっており、以前の混沌の対極にあるコーエンではない。それで馘首になった。

そんな感じだが、テリー・ギリアムの作品のテーマはいつもこんな感じだ。生への執着を思い出す際には必ず金髪ブロンド美女が姿を現す。

☆5.0。この映画、Wikipediaによると日本での興行成績は2900万円だったようだ。爆死アニメ以下の成績である。作家性を貫くことの代償は大きい。