「コールド・スキン」(2017年作品)感想 | 深層昭和帯

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映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

ザヴィエ・ジャン監督によるスペインのホラー映画。主演はデヴィッド・オークス、レイ・スティーヴンソン、アウラ・ガリード。

 

 

<あらすじ>

南極海の小さな島にやってきた青年が半魚人の襲撃を受けた。島には灯台があり、グルナーという男が住んでいた。前任の観測員がチフスで死んだというので、青年とグルナーは対立しながらも共存関係を模索するしかなかった。グルナーは灯台に近づけるのを嫌い、青年によそよそしかった。

それはグルナーが灯台に半魚人のメスを匿っていたからだった。捕えているのかどうなのかもわからない。青年にはそれが奇妙に思えて仕方がなかった。やがてグルナーというのは、前任の観測員と同一人物だとの証拠が出てきた。でもなぜ彼がグルナーと名乗って灯台に住んでいるのかはわからなかった。

怪物の襲撃に対して共に撃退していたふたりだったが、グルナーは明らかにメスの半魚人のことで青年に嫉妬している。メスの半魚人もグルナーより青年になついていた。そして徐々に半魚人の襲撃は減っていった。

島の近くに船がやってきたので、青年は助けを求めようとした。グルナーは激しく怒ってそれを止めた。船は行ってしまった。青年はグルナーを疑い、彼の半魚人との闘いに疑念を抱いた。そしてメスの半魚人と共に彼を見捨てて灯台にこもった。そこに新たな観測員がやってきた。彼は灯台にいた青年をグルナーと呼んだ。

<雑感>

クリーチャーに襲撃される恐怖と、孤独からクリーチャーのメスを疑似的な異性と見做す倒錯が物語の柱になっているのだが、怪物への性欲を加味したことで怪物の恐怖演出を削ぎ、恋愛演出も中途半端になっていた。怪物はただの半魚人で、知性が人間より劣っているのもご都合主義的。

怖いなら怖い、エロいならエロイ、キモイならキモイとはっきりしないと、全体的に中途半端になる。最後にグリナーになった青年がおかしくなっているのも理由に乏しい。

☆2.5。なぜ人が狂うのか、その部分が明確でないと、心に迫る恐怖は生まれないのではないか?