ピコピコって表現伝わるかなー
「今」がない自分に
「今」ってものをなんだか痛烈に感じさせてくれた作品。
なんか胡散臭く、(あまりにも思想的だという人もいるが)
井上三太の「トーキョー・トライブ」を感じさせる様な所があったり、
映画的な快楽っていうとこでは全然なのかもしれないが、
何かやけに引っ掛かるキーワードが、ちりばめられている。
毎日、ニュースで報道される東日本大震災、
収束する気配すらない福島第一原発…
だが、直接的に体感する被害を経験していない自分などは、
それこそ9・11と同じく、これらの報道も、
どこかTVの中の話…的なボンヤリとした感触で、
ただボンヤリと眺めているに過ぎないのである。
そんなありふれた日々のボンヤリとした意識操作で、
自己を失った世界(現実ってやつ)もボンヤリとしてくるものだろうか。
このPEEP“TV”SHOWの中の主人公たちは、映像の中にリアルがあるという。(求めている。)
だけども、自分は映像の中にも、現実にもリアルを感じない現実を生きている。
"ザ・ハーダー・ゼイ・カム "の主人公アイヴァンのように、
声高々に「おれは自分の分けまえを手に入れるぜ!」ってな具合の
強烈な意思の着地点などもちろん無く、
ただただ日々の己の感情にだけ振り回されているだけだ。
全然関係ない話だが、
職場の人間が言っていたこんな話も思い出す…
「一台の車を3人ぐらいで乗っていると、
後ろの席の奴は、会話にも参加せずに、
おもむろに携帯を取り出しては、
ピコピコと携帯をいじってばかり。
どこいくにしても携帯ばかりピコピコいじってやがって、
おいコラ、現実はそっちじゃなくて、こっちだろうが…
一緒に居る人間と、どうでもいい会話の一つでもしてみろボケ…
って思うんだけども、
自分も気が付けば、人の中で携帯いじってたりしちゃってるんだよ。」
「結局、現実っていうのかなぁ、そういうのがそっちにあるっていう、
そういうのを求めてるってのが問題なんじゃないかと思えてきたりする時がある。」
直視できない現実というのか、ただ単に居心地のいい仮想世界ってのに浸かり、
そっちに赴いているってのが、本当の現実ってのをボヤけさせている原因なのだろうか。
いやいや、そいとも、そっちの仮想の世界ってのが、そもそも本当の現実なのか…
んなコトをちょこっと考えてしまった。
2011/06/24
気まぐれな感情が
染み付いた匂いを甦らせてゆく
もう一つの街路で僕は恥を上塗りし続け
この街すらぬけださないまま
悪戯に時を費やし
覆い隠されてゆく復活の日
見えないものは心の奥へと投げ捨ててきた
百聞は一見にしかず・・・
そんなの一目瞭然さ
この気持ちをいったいどんな言葉で語れようか
想像のつかない速さで独り歩きしてゆく自分を
僕はいつも他人事の様にみている
そう君が、いつも僕を見ているようにね。
長い眠りの世界
時間や空間を超え
僕は犯行を目撃する
思いで作りのために
生きているんじゃないんだって叫びたい
だから僕をもっとメチャックチャにしてくれ
僕をもっともっとメチャクチャにしてくれ
漂白され
悲哀の色に塗りつぶされて
僕は人ごみの中
いつも抱きつづけている
自滅ギリギリの感性ってヤツを
昨日が僕を殺そうとしている
昨日が僕を押し潰そうとしている
うまい言葉がいつも見つからない。
2011/06/24
「そして今
118機の戦闘機が
目標へ向けて放たれた…」
子供部屋での狂気
TVによる洗脳
および宣言
響きゆく狂想曲
白熱
閉じこもったままの記憶から
埋め込まれたイメージを引きずりだす
反逆の子供たちよ
爪を捲り
飢えた息へと心はずませる
集団となった人間たち
剥がされてゆく冷静さ
神への挑戦
膨れ上がった幻想
終わりなき闘争
黒く
そして巨大な
カラスたちの夢
人類よ
西へむかえ