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2010/09/03

略奪(混乱)酔いしれて
傷を舐めあうルーザーたち
盲目の奴隷
欲望の翼をひろげ
犠牲の上に成り立つ魔術に犯されてゆく
感情の方向を操る刺激的な幻想
何かが変わろうとしている
それは太古の人類が体験した
ぼんやりとした未来への不安と期待のように
帰る道のない
危険な兆しのはじまり




 

ちば映画祭~GO!GO!ガラパゴス化計画2010

ちば映画祭~GO!GO!ガラパゴス化計画2010~

 

 

 

ガラパゴス化とは・・・

 

 

 

 



周囲から隔離された特有の環境の下、独特な生物が独自の進化を遂げた、

 

 

有名なダーウィンの進化論にちなんで特定の国や地域で、

 

 

技術やサービスが独自の進化を遂げることをガラパゴス化現象と呼ぶ。

特に日本のIT業界などで、日本特有の文化や、こだわりの消費に合わせ、

 

 

日本市場独自の進化を遂げ、高度な技術を持ちながらも、

 

 

世界的には通用しない、世界標準から大きく掛け離れてしまう現象を指すという。

                                          

 

 

                                      ~ウィキペディアより





どうやら製品市場などでは、このガラパゴス化現象というモノは

 

 

あまり良い意味で使われないみたいだ。

 

 

しかし、ちば映画祭が目指すのは正にコレであるのだ。

 

 

独自の進化を遂げ、乱立する名ばかりの映画祭(標準的な)というモノに対抗し、

 

 

(別に対抗する気はないが)独自の"ちば映画祭"なる映画祭を確立しなきゃなんないのである。

 

 

つーか、コレはちば映画祭なる僕等たちなりの表現手段なのである。



羅針盤が指針するのは決して世界標準ではない。

少なからず僕等に影響を与えてくれた&与え続けてくれるモノや、

 

 

それを形とする人達はみんなこうしてきた筈だ。

ココを忘れちまうって事、気付かないフリをするって事は、

 

 

日和って糞みてぇな世界標準になっちまうってコトだ。

 

 



そんなの自分等が、やる意味なんてない。

自分達ゃ、やりたいコトをやるだけさ。

別に誰かさんの為にやるわけじゃない。

自分達は自分達の為にやるんだ。

何故なら自分達がそうしたいから

自分達がそう感じたからさ。

 

 

 





これから今すぐに、市長は千葉に住む16歳の誕生日を迎えた若者に対して

 

 

ビデオカメラをプレゼントせよ。市長じゃなくても県知事でもいい、

 

 

長寿なんちゃらじゃなく、若者達に対して

 

 

行政は混乱やカッコ付けたセリフだけじゃなく形あるモノを若者達へ手渡してやれ。

そして、貰ったビデオカメラを若者がどう使うのかとか余計な詮索はするな。

その中の1人でもアカデミー賞でも何でもいい、

 

 

世界的に有名な映像の賞をとる人物が生まれたら千葉の名が少しは上がるってもんだ。

 

 

30歳以上のタメ息や文句や泣き言しか言わない奴等みんな無視しちまえばいい。

 

 

いいから今すぐ若者達へ若者達だけの法律を作らせろ。

 

 

 

 

 

 

 

GO!GO!ガラパゴス化計画2010にむけて


~プロローグ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何気ない日々への盲目的信頼

無表情な騒々しさに翻弄されて

純真さはいつの間にか別のモノへとすり替えられてゆく。

きっと、バカげた約束事への代償ってのが、

僕等が手に入れたこの灰色のニヒリズムに包まれたモノであるに違いない。



顔のない未来への

投影

と、その残像

2010年

予定調和に満ちた日々の中で、今じゃ誰もが 王の中の王。

(まるで全ての恍惚は

その存在意義を失っているかのようだ。)



右をみても

左をみても

どう転んだとしても目に映る景色は大して変わりゃしない。

ただ、世界標準ってのが君の内に渦巻くフラストレーションを

 

 

 

 

 

 

 

消しさってしまうならば、

ニンマリと笑う

このシュミレーションをぶち壊すってことが、

僕達なりのちょっとした挨拶になるはずさ・・・







GO!GO!ボンクラ共

街のあっちこっちに

火の手を上げろ!!

235

236みたく

太陽までひとりじめ。

そんな熱に犯されて

きっと誰しもが裸になるに違いないさ。

 

甘い夢

漫画家バンド大戦/オムニバス

 

 

個人的なベストトラックは7曲目のトカレフズの『甘い歌』

 

 

しまおまほさんの声に絡む花くまゆうさくさんのギター

 

 

詩も含めて

 

 

6曲目の同トカレフズ『クエスチョン』からの流れに何かやたらと胸が締めつけられる。

 

 

トカレフズってこんな感じだったのか・・・と、今更ながら痛感。

 

 

あと、4曲目のアーバンギャルズの『東京の女』のウニョウニョとした感じと、

 

 

11曲目のグラジオラスの『サル少女マリア』がやたらと心にひっかかりひたすらリピート。

 

 

 

 

以下の杉作J太郎さんのコトバが、漫画家だけでない

 

 

 

 

何だかこの時代に生きる僕等みたいなボンクラ中年男の叫びを

 

 

代弁してくれてるようで、やたらと感じさせてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

~漫画家が音楽やっちゃいけねぇって誰が決めたんだ。

 

 俺たちは生まれたときから漫画家だったわけじゃねぇ。

 

 

 食うために漫画家になったのさ。  

 

 

 そりゃあ最初のうちは描きたいこともあったさ。 

 

 

 好きで飛び込んだ世界だからと無我夢中、がむしゃらだった。

 

 

 だが気付いたらペンを持つ手の感触が、なんか、なんか違うんだ。

 

 

 言葉でうまく言えりゃ世話ねぇよ。

 

 

 恥ずかしい話、いい漫画描けるならってなんもかも犠牲にしたさ。

 

 

 人間関係はズタボロ、ろくな死に方もできそうにねぇ。

 

 

 もうこの世に未練も糞もねえよ。

 

 

 そんなとき、ペンを楽器に、マイクに持ちかえてみたら、 

 

 

 こんな俺でもまだなにかやれるんじゃないかって思っちまったんだ。

 

 

 こんな俺でもまだなにかを伝えようと、つながっていようとしてるんだって。

 

 

 間違ってるのかもしれねえ。 

 

 

 いや、間違っててもいい。

 

 

 こうしていればまだ俺も生きていけるなって。

 

 

 ただそれだけのことなんだよ。                             ~