先日、ネットフリックスで『アンオーソドックス』をみて、
なんだか考えさせられました。
これは、厳しい戒律を遵守するユダヤ教超正統派のコミュニティで育ち、
その抑圧から、
抜け出した女性の自伝をドラマ化したもの。
重いテーマではあるものの、
脱出&追跡劇、のスリリングさ、
独特の文化の生活のリアルさ、が
ほどよいスピード感で描かれていて、
エンターテイメントとして楽しめましたし、
見失っていた自分をとりもどしていく主人公の姿には、
どこか気持ちが重なるところもあって、
夢中で観てましたよ。
主人公は、このコミュニティでは、
個性を批難されて生きづらく、不幸でした。
↑こちらのインタビューの中で、
主人公そのものとも言える
原作者のデボラさんが、
「脱出してから“自由”や“幸福”などの定義は変わりましたか?」と聞かれたときに、
「コミュニティ」のイディッシュ語(ユダヤの言語)には、
“自由”や“幸福”といった言葉が存在しない、んです、
という話をされるんですよね。
ちょっと衝撃~
だから、”定義が変わる” という以前の話。
「幸せの概念」を学ぶところから、あたらしい生活がはじまった、ということ。
もし「幸せ」が自分の人生から欠落していても、概念として存在しないわけですから、
その欠落自体を認識できないんです。
つまり、私は「幸せ」という言葉を学び、「幸せの概念」を学び、
さらに、アメリカ人が信じる
「あらゆる人間に“幸せの追求”の権利がある」という考えを、
学んで習得したんです。
読んだときには、うわあ、驚き、ってショックだったけど、
考えてみたら。
私だって、誰だって、
育った家庭や地域の中で学んだことや身についたことって、
当たり前のようにすりこまれているじゃないですか。
例えばそこに、「自分の感じ方を尊重する」って考え方がなかったら、
やり方も分からないし、そもそも、そんな概念があることすら知らない。
生きづらさを抱えている人(アダルトチルドレン)って、
日本人の8割、といわれているそう。
ふだんの暮らしやご相談をとおしても、
多かれ少なかれ、ほとんどの方が感じてらっしゃるものかもなぁと感じます。
デボラさんの言葉、人ゴトじゃないよね、と。
生きづらさって、自分が感じている本音に、
気づけなかったり、
否定してしまったり、
することでおこると思います。
まわりに合わせることを優先させすぎて、
自分の気持ちが分からなくなる、
自分らしくあることを許せない。
そういう生きづらさ、
これまでの(今も)日本の文化や教育の中で
つくられやすかったんじゃないかな。
***
パソコンでいうなら、
これまでの環境で身につけた考え方や意識は、ハードウェアとOS。
人間関係や仕事など、
あらゆる判断や選択(つまりソフトウェア)の土台として働いているものだから。
ここを変えないかぎり、生きづらさはなくならないんですよね。
そして、ここを変えるには、
自分では当たり前と思いこんでいる習慣を変えていかなきゃならない。
あたらしい考え方や感性を、すりこんでいかなきゃならない。
(ダウンロードとインストールで、アップデートする、かな)
それって、自覚的にするにはもう、
あたらしい言語や文化を学ぶような覚悟がいりますね。
とはいえ、習慣を変えるにはつづけること。
日々淡々と、できないときも温かくゆるく、
「今、どう感じているかな。」とあるがままに受けとめ、
今の自分が、カラダ感覚からしっくりとくる選択をしていきましょうね。
”感じ”が分からないときには、
まずは、食べ物をじっくりと味わうところから。
イヤだなぁとガマンしていることに気づくところから。
すぐに辞められるものは辞めましょう
毎日、とくに朝に、
頭に浮かぶものをノートにとにかく書きまくる、のもいいですよね。
家系などの集合意識から引きついでいる部分もあり、
なかなか気づけない、生きづらい心のクセ。
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