アスティアのひとりごと -3ページ目

アスティアのひとりごと

ヤフーブログからの続編としてロレックス、チュードルなど腕時計中心のブログです。またの名を 続・ミルガウス増殖計画

 

 

”2025年10月にはWindows10のサポートが終了するので切替はお早めに!!”

 

 

 

知ってはいるけど、じゃぁどう困るの?

今でも十分にピンピンしているパソコンだから、古くなったという印象もないし快適なんだけど…。

家族のビデオ動画や写真データをTVモニターにつないで家族で見れる環境がなくなるのも嫌だし、

買い換えてもデータ移送や設定も面倒だし、

操作方法も変わるだろうし、

年を取るとそういうのって煩わしいんだけど。

 

と思って早や数年。もうタイムリミットが来ている!

 

 

妻のPCはアップアップの第4世代I3搭載のノートなので、しばらく購入しなくて済む高スペックノートPC(I7の12世代)を6月に入って買いました。

物凄くテキパキと仕事をしてくれており、ソフトもすぐに起動するし動画配信のカリキュラムもスムーズに動くので、満足しているようです。

 

タッチパネルになっているモデルでしたので、タブレットのような感覚で右クリック的な作業が要らない場合だと、マウスすらも必要ないとういのが最近のノートパソコンだったのですね。

win7から購入していないので知ってビックリでした(^^;

 

 

翌日、マシンのプライバシー設定をしましたが、いずれwin11が主流になるのは明らかで、せっかく覚えた設定の知識があるうちに僕もこのタイミングで変えておこうかなぁ…。

 

 

しかし自動車税2台の支払後の6月に、子供部屋にエアコンを2基、異階取り付けとカバーなどのオプションで作業工賃がエアコン2基相当額。そこに来ての妻のPC購入と重なった為、僕のパソコンは買うというわけにはいかず…。

 

苦肉の策としてユーチューブを見ながら、サポート対象外のパソコンにインストールする方法をしてみました。

 

 

 

僕のPCはi5-6500なので第6世代の様です。本来は第8世代からでなければインストールスペックではありません。

 

 

このPCはwin10が出たぞ~となった時期に様子見でwin7搭載機を選び、しばらく買い替えなくてもいいように当時割と高スペックだったマシンを購入したもので、9年前のものです。長生きしておりますなぁ(^^

 

 

TAIKIさんといわれる方の動画に沿って作業を進めます。説明も丁寧でとても簡単。

動画のモデルは第7世代のパソコンへのインストールでしたが、それよりも古い僕のパソコンでもできるのか?というのが一番の不安要素でしたが、約90分で完成。

 

 

最新アップデート版が収まりました。

ヤフー知恵袋ではトライしてみたとかうまくいった的な内容も書かれておらず、現時点の最新版24H2を試した珍しい人間なのかもしれません。

 

今のところネット閲覧、エクセル2003(古っ!)、画像編集、ビデオ動画視聴、不具合なく経過しておりますが、昔のように素早く動くことはなくなりました。

 

いずれは何度となくアップデートをしていくであろうwindows11のスペックに僕のマシンの限度が来るでしょうが、できるだけこのパソコンのままで(データ管理の面で)ラクしたいです。

ガンバレ!マイコンピュータ

 

 

久しくパソコンの事を学んでいなかったので、不動にならないか心配しながらの作業でしたが、色んな事を知ることができて楽しかったです。

最近息子が自主勉強に燃えています。

家庭教師のようなことはしたこともなく、正直うまく教えることはできていませんが、その都度わからないことを聞いてくる子に対してヒントを出すことはしています。

 

漢字であれば部首の寄せ集めの覚え方とか(「解」は牛の角を刀でそぐみたいな)、算数だったらテキストに載っている計算方法の説明がわからない時に一緒に解いてみて、僕なりの教え方をしてみたり、都道府県を覚える時は、奈良公園で鹿のエサやりしたろ?という感じで遊んだ記憶を織り交ぜて教えたりです。

 

雑談も多くなるので実質の問題に取り組む時間は少ないのですが、平日は帰宅後1時間、休日であれば午前午後で1時間ずつという毎日が定着しつつあります。自分の時間を失っても、子供が嫌がる勉強に取り組む珍しい時間を大事にしたいので、二人三脚で飽きないように気を遣っています。

 

 

問題を考えて理解していくのが楽しいというわけではなく、自主学習ノートがどんどん埋まっていって、他の生徒よりも2冊目3冊目と次のノートになっていくスピードが一番乗りで進んでいけるのが嬉しいだけで、反復しなければ正答率は上がらない…程度なので、身についてもいなければ賢くなってもいません(^^;

 

 

学習時間の計測は基本子供のスマホでタイマーにしていますが、子供部屋に持ってこなかった時があり、その際に代用したのが身に着けていたクロノタイムです。

 

 

”この上のボタンをくるくる回してでっぱりができたら押すとスタート、もう一回押すとストップするんだぜ。”

”真ん中は使わずに下のボタンもくるくる回してボタンを押すとリセットするんだぜ。”

 

 

子供はデジタルウォッチのストップウォッチは扱っても、針が動くストップウォッチは初めてだったみたいで、目を輝かせており、その日はこの時計を貸して針を動きを楽しんでいました。ただ子供の力では硬いのか、うまくプッシャーを押せないのか、指が痛いと言いながらもカチカチしておりました。

知っている僕はその機能や使い方は当たり前ですが、知らない事の発見というのは楽しいものです。子供もそんな感動を分かってくれたのだろうか…?。

僕もこの年になっても発見の喜びのために日々何かの調べものは欠かさずしております。これが勉強に向いていれば役に立つオトナであれたのかもしれませんが…(^^;

 

息子よ。

驚く事なかれ!

この家にその機能があるものはそれだけではないのだよ…。

 

 

 

数年後…

『好きなものを選びなさい』

 

 

って言ってそうな気がします。

手放すことができない僕の性分から考えると、多分手元に残ったままだろうから同じ腕のサイズ位になれば持って行ってもらおうと思います。ストップウォッチはあまり使う機会もなく状態管理ができていないので、それまでは手入れは怠らないようにしておかねばなりませんがね(^^

タイトルが適切なものではないかもしれませんので先にお詫びしておきます。またこれは主観によるものであることと、主語が長くなる関係上それぞれの立場も「知性」と「野性」で表記しますが、悪意を持って否定や非難といった差別する言葉ではないという点をお含みおきください

 

 

 

僕はもうすぐ50の峠が見えてきだしたアラフィフ世代ですが、まだ子供は小学生。

年金制度の破綻によって割を食うことになった我々第二次ベビーブーム以降の国民は、年金受給額は下がるけど受給年齢は引き上げられることは容易に想像でき、死ぬまで労働を課せられる世の中に進んできました。

 

子供が巣立つまで社会で働いて給料を貰って帰るという軸となる生活(食い扶持)は続けられるのであればいいのですが、能力が日々落ちている我々を果たして雇い続けてくれるものだろうか?たとえそれが叶ったとしても、働きアリのようだなと嘆く部分もあります。

 

 

 

ここまで生きてきて振り返って感じることがあって、

 

『大学へ進学して社会に出て通用する専門性を勉強し、就職し社会人となってひとしきり独身(キャリア・趣向・考え方・貯蓄)を熟成させ結婚が遅くなること』

 

 

『若くして授かり婚し、可能性があっただろう若い頃の自分の時間を削って家庭に捧げ、元気なうちに子が独立したり孫ができたりすること』

 

この時間の使い方、果たしてどちらが人生で無難かつ幸せと感じる事なのだろうか?

 

 

若い時の僕であれば、前述を「知性」後述を「野性」と仮称し、肉体的な快楽や感情的な高揚にほだされ、その結果知識を身に着ける事に時間を費やさず、将来なりたい自分を見失った、見つけられなかった人たち…と薄々ですがそう思うクチでした…(今は違うのだけれども、申し訳ない)。

 

 

でも自分が家庭をもって家事の分担や子育てをしてみると、常に反省で、正解が特にない難問続きだったです。今後子供が自立するまでに数々の難問を突き付けられると思うと、若くして家庭を持った方々は、人生経験も社会人知識や経済力も乏しい中でその判断や行動をとっていたのだから本当に大変だっただろうなと感じます。

 

そして僕ですら子供の為ならばと…自分を犠牲にする気持ちを普通に持つのですが、自由が欲しい若い頃の自己犠牲の尊さをも感じます。

 

 

きょうびはそのプレッシャーに耐えかねて子供に手をかける若い親も少なくない世の中ですが、それを乗り切った実力(実行力・判断力・忍耐力)は、「知性」と仮称した人たちに勝るとも劣らない素晴らしいものだ!と敬意を持っております。

 

 

 

この二つは幸福度に大差はなく、どちらが不安が少ないかで考えると、働いて経済的な余裕ができた後家庭を持つ方なのかなと少し前までは考えておりました。

でもこれだと晩婚化のままだし、若い人が家庭を持てるような時代に進まないと難しいのかな…と思っていると最近の新入社員の給料の高騰ぶりを見ても、早く家庭を持つことのメリットが十分に生かせる世の中に変わったなと思うようになりました。

 

(経済力と家庭をはぐくむ時間として)初任給も休日も大幅増だし男性も育休取れるようになったけど、肝心の若者本人たちの気持ちを(結婚したいというものへ)誘導できていないんですよね…。

 

好待遇になったとて『パートナーの存在は自分磨き(僕の経験上、どうせ好きなことにしか使わないのでスキルアップという磨くにはなりにくいが…)の足かせになるから不要。自分の事にお金も時間も使いたい』にならない考え方から教育しなきゃならないかと思います。

 

 

感情的な「野性(愛)」はつまるところ疎かにしてはいけない、むしろ伸ばさなければならないので、バックアップできる環境が家族レベルではない広がりが必要なのかと感じました。

 

 

20歳代までの若年者成婚(入籍)時50万、10年後も継続(同一生計を保証できる資料提出が必要)ならば100万っていう『おしどり夫婦給付金制度』でも作ればいいのに。

ご長寿で100歳に現金給付が悪いとは言わないが、袖の長さ(財源)は決まっているのだから引っ張り合わず未来を考えた方を長くするでいいいのでは?と感じます。

 

このCMを見た時、明日は我が身…。

そう思うのは年のせいかもしれない。

 

 

この時期は健康診断が毎年あります。

僕は心電図で大体引っかかります。

良くわからないけど、送られる結果に要治療となっていないし、問診では異常と扱われないので放置状態です。

 

ただ、異口同音で問診対応のお医者さんからはスポーツ心臓といわれます。

しかし本腰を入れた運動はしておらず(心当たりがあるならばマシン間の移動時間を除く全てのパワートレーニングのインターバルは30秒で、息が上がった状態で次のセットに移行をしているくらい)、プロのような過酷な心臓の使い方をしていないので、病気を見落とされていないかと少しだけ不安です。

こわがっている割にはその辺を勉強しておりません(--;

だって、怖いんだもの。

 

 

このコマーシャルでは急に心拍数が上がり始めた時があり、アップルウォッチが心房細動とよばれる病気の恐れがあることを通知し、無事に早期治療ができたという内容です。

もう保険会社のCMみたいじゃんか(><

 

心臓から遠く離れた手首に着けていて、しかもよく動かす部位なのに正確に心拍数を見極められるのか?というCMにありがちな眉つば臭さを感じていますが、『信じる者は救われる』という言葉もあるので、今後僕にもこんな時計をする日がくるかもしれないな…。

と最近感じております。

 

CMもかっこよかったり、オシャレだったり、大体は若いやつらに訴えるものが多かったものだと思いますが、まさかの熟年に向けてのCMという着眼点の素晴らしい感性を感じました。

 

”健康はお金に替えられない”

 

きっと高くても気にせずミドル・シニア世代が財布を持ってお店にやってくることだろうと思います。

ジラールペルゴの時計を初めて購入したモデルがGP4900です。

 

 

 

この時計は38mm径でありながらカレンダーとクロノグラフ機能がついていて、機能面では満足のいく実力を持っています。

 

 

また、クロノグラフがついているのでスポーツウォッチの印象かと思いきや、その見た目はドレスウォッチのよう…。

ベゼルがギザ10のコインの淵のようにギザギザになっており、コインエッジベゼルと呼称されていますが、ドレスウォッチに多いデザインです。

さらにはレザーベルトモデルが多く(ステンベルトもあるのだけど)て針がプレゲ針という観点からも、多機能ドレスウォッチというのが適当かなと感じます。普通ドレスウォッチは3針、ノンデイト、手巻きといった風にシンプルな程当てはまるものです。

 

 

 

しかしムーブメントの8000-164は、ETA2892ベースの2階建てクロノであることを知った時…

 

「なんだよー。マニュファクチュールのジラールペルゴなのにエタ改造だったのかぁ~…」

 

と残念がりましたが、いやいやそれが間違いだったというのが今回の発見でした。

 

 

 

 

 

ある時計店のHPに2階建てクロノムーブメントのメリットデメリットがありましたので、抜粋します。

 

巻き効率が良い

もともとETA2824やETA2892の機械の場合、裏のローターがどちらに回ってもゼンマイが巻ける両巻仕様となっていますが、ETA7750は片巻なので巻き方向の量が違うというところから、自動巻きの良いとこ取りでどちらに振ってもゼンマイが巻ける両巻式をとっているので巻き効率がいい点

 

不具合の切り分けができる

ムーブメントに不具合があった場合、クロノグラフ部分に何か不良があるのか、それとも三針部分に異常をきたしているのか、どちらに問題があるのかを分けて見ることができます。

通常のクロノグラフムーブメントの場合は開けて状態を見ながらどの部分がダメなのかというのを見なければならないんですが、2つが分離していれば修理や検査が簡単という点

 

 

 

逆にデメリットは

厚みが出てしまう

2階建てムーブメントいう構造上、どうしてもムーブメントの厚みが出てしまう点

 
オーバーホール料金が割り増しになる

ベースの3針部分と2階建てのクロノグラフモジュールの構造上、1階と2階をつなぐ「家でいうところの階段」的なパーツも含めると部品の点数がとても多く、伝達部分など壊れやすい箇所が増えてしまいますしチェックも厳重かつ多くなります。掃除をするにしても平屋と二階建てでは労力違うし、当然と言えば当然なのですが、維持費がちょっぴりかさみます。

 
ポン付けしたかのように見えがち

ムーブメントがそれぞれ別々に開発されているので、まるでポン付けしたかのように思う人がいるということです。

実際そんなことはなく、複雑機構として作られたもの同士がきちんと噛み合って動くという技術は本当はなかなかまねできない凄いことだと思いますが、それがポン付け同士でよくないという風な意見を持つ方が相当数いるということ。

 
 
僕も最初はエタ改造かぁーって残念に感じましたが、ベースはETAなれど、マニュファクチュールカスタマイズなのでこだわりがきっと多いと思います。(例えばETA7750というクロノムーブメントがあるのに2890ベース2階建てにしたのは、厚みを少しでも薄くしたかったからなのかも…とか)
 
このホームページのおかげで考えを改めることができ、より一層この時計を愛でることができるという自信がつきました(^^

 

 

 

日本人は限定という言葉にとても弱い。

よく聞く言葉だと思います。

 

数量限定や期間限定、抽選による当選者限定などよくもまぁこじつけたものだなぁと感心するものばかりです(^^;

 

性能とか、価格とか、必要か否かよりも次買えなくなるという切羽詰まった感が働いてしまうのでしょうか。

要不要にかかわらず結果「衝動買い」に走ってしまうわけでしょうね。

 

 

考える時間を与えない「限定」という響きは、どんな魔物よりも恐ろしい。

必要に迫られたものでなくとも「衝動買い」をさせる購買心理を突くうまい商法ですが、欲求度を高めるための刺激を存分に含んだキラーワードだと感じます。

 

 

 

国産腕時計も漏れなく同じであり、セイコー、シチズン、カシオ、オリエントスターと毎年「限定」を引っさげたモデルが出ておりますよね。
興味あるメーカー以外だと、冷静に判断ができますが…。

 

 

僕もその揶揄されるひとりで、オリエントスターは限定モデルを片っ端から保有しており、自分なりに分析した理由が、『それこそがオリエントスター道を究めんとするマニアだからだ!』という他人には全く共感を得られない謎の自負から築かれた、どうしようもない信念が原動力なのかなって思います。

 

また超右脳人間(感覚で生きている)みたいなので、”この出会いはきっと運命”というめちゃくちゃ前向きな思考で購入しているのでためらいがありません(^^;

 

 

でも気づいたのです。

 

 

 

結局オリエントスター(こればかりのたとえで恐縮です)で一番気に入っているのは通常版のムーンフェイズとクラシックスケルトンでしたし、「限定」などという小手先の販売に頼ることが多いメーカーは、ただの派生形態モデル止まりでいいものを作ろうとする意欲や技術力や販売戦略に限界が来ているのではないか、もう僕をときめかせるものを作ることはできないのではないか…と。

 

 

 

 

 
でもほとんどの人は限定が好きです。
このままの限定マーケティングを続けても失敗はないと思います。
 
世界的に見るとメーカーが限定というものへの比重は少なく、購入者の考え方が定番商品の安心感や永続的な安定性に着眼している方々が多いからかもしれません。
 
そんなことをふと考える時間ができ分析をしていくと、限定に踊らされている自分が馬鹿らしくなったので、これからはデザインや性能という「そのものの価値」だけを純粋に判別した目でコレクションを続けたいなと思いました。
 
(続けるんかぃ!)(# ゚Д゚)
 

都会の学校は知りませんが、僕が子供の頃は学校にはプールがあって当たり前だった時代でした。

水遊びは好きでしたが、泳ぎとなると息継ぎの際に耳の中に水が確実に入って聞こえにくくなるのが嫌で、水泳の授業は嫌いでした。

理由をつけては授業を見学にしていたら、2学期の体育が△になったこともあったなぁ。ズルはできないなぁ…。と遠い昔を振り返ります。

 

 

 

子供が通う学校のプールの老朽化で、建て替えには2、3億円がいるという噂をまことしやかに聞いたことがあったのが昨年春でした。

(連絡プリントを見ていなかったのですが)その年から学校のプールは使わなかったのでその見積額は本当だったという事と、修繕しなければ使えない破損があったのだという事が分りました。

 

その年の代替案として、近くにあるスポーツジムのプールを利用するという実験が始まったのですが、今では他県でも同じような事例から民間施設との契約による水泳の授業が広がりつつあるようです。

 

 

学校はプールの管理が不要になってよかった。

授業はプロの指導員により質が向上してよかった。

児童は室内温水プールで全天候授業ができるからよかった。

 

 

双方いいことはあるみたいです。

うちの子供らはジム所有のマイクロバスに乗ってプールに行けることが嬉しいと言っております。

僕も水泳は嫌いな方なので双方問題なきゃそれでいいのではと思うくらいで、興味はありませんが、往復移動に時間がかかるため、水泳の授業は2時間枠を消費します。そのため実際プールの授業は月に1回、温水プールだからちょっと早めの5月から始まりますが、夏休みを挟んで9月頃で終了なので、実際は4~5回しか泳いでいないというところです。

 

 

 

水泳の授業の始まりの理由はご存知ですか?

 

ずっと昔、高松へ修学旅行に来ていた学生がのるフェリーが沈没し溺死する大惨事があり、学校でも泳ぐ勉強をさせなさいと義務教育の学校を中心にプールが造られていった経緯があったのです。そのため水泳の授業は必須教育なのですが、プールが学校にない場合・または水泳の授業に必要な設備が整わない場合はしなくてもいいというガイドラインがあって、もはや形骸化した状態であるのです。

 

そんなことを考えると…

僕たちの時代は中学校からだった英語も今では小学生から始まっており、増えた授業枠から外してもいい科目の最有力候補が水泳という気もします。

しかし子供達はとても楽しそうで、翌日の準備のテンションが全く違うし、取り組む姿勢が凄すぎてまず忘れ物をしません(^^;

 

楽しく学ぶという観点でいうと、残してあげたい授業であるのも水泳なのです。

民間施設が遠い小学校は水泳の授業が維持できないなど同じ市区町村内の小学校でも格差を生じますが、オールオアナッシングではなく、できるところをカバーするより他ないのかな…と個人的には思います。

 

 

ところで、プールの監視員の時計ってチプカシとかGショック系の黒ラバーが多いなぁと思いまして、そっちの方は真剣に考えましたところ、救助などで目的地にクロールで泳いでいる最中、誰かにもし腕をぶつけた時にけがをさせない素材である事、防水性に優れている事があってなのだろうなぁと納得しました。間違ってはないと思うのだが…(^^;

 

ブログを拝見する時計ファンの方々にも、腕時計を両手着けしている方がいることを知り、案外自分って異端者ではなかったのかなと安堵しています。

 

 

オンオフ問わずに長袖の間は間違いなく両手着けをしております。

それはなぜか?

 

 

 

時計は使って楽しむのが醍醐味だからなのです。

(時計は大人になって楽しめるおもちゃ)

 

 

他の価値観だと…

 

売り時を見据え、高値で売る目的の保有者。

(時計はより豊かな生活をするための資産)

 

眺めるだけで満足できる収集が目的の保有者。

(時計は知識や我道を究めるための研究素材

 

ハイクラスの時計しか持たない上昇志向の強い保有者。

(時計はステイタスを示す道具)

 

あたりがいます。

誰とてそれら一つだけに属するわけではなく、ぼくもこの4属性は比率が違えどすべてに当てはまります。

 

そこには、

 

“上も下”もなければ、“善も悪”もない

 

 

両手に着ける意味はないだろう?とか、四六時中時計を眺めるほどお前は暇なのか?など、僕の価値観に対しての不信感を持つ保有者たちも当然多かろう…。

 

 

ただ違う価値観をメインに持つ保有者たちは僕らと同様で、それ(自分の価値観)が一番正しいと思っている傾向があり、どっぷりはまってしまった我々には既につける薬はなく、はたから見ればどいつもこいつもバカヤローなのだろうな…と感じるところです(^^;

 

 

保有数は数十個なので、愛着は甲乙つけがたくとも、どうしてもよく使うものと使わないものは出てしまいます。

一日にできるだけ多くの時計にふれあい、時折感じる発見であったり、いつもの至福の時を過ごすであったりが目的です。

 

 

 

両手着けをしていると左右の手首によっては時計を重く感じたり、ベルトが緩く感じたりと同じ時計でも感覚が違います。

腕も時計もまったくの左右対称ではないにしろ、ほぼ左右対称なはずなのにしっくりこない…。体の不思議なのか、頭(感覚)の不思議なのか答えが導けないでいます。

 

これは普通の身に着け方をする人にはきっとわからないだろうなぁ…。

そんなことを想いつつも文字にまとめてしまいました(ーー;

 

 

 

最近はアップルウォッチのたぐいとアナログウォッチのWリスティングが王道のごとくよく見ますが、不思議と同類と思えない狭量な僕なのです。どちらかというと世間様から見れば珍しい「お仲間」であるのですが…(^^;

スマホを見る時、書類や本に目を通す時、老眼の進行によりメガネがあわなくなりメガネを外して目視するという日常が数年続いております。昨年新しく造ったメガネもなんだかしっくりこないので、結局5年以上昔のメガネを使い続けておりました。

 

頭の上に上げ下げしながら作業をしていても、下向き加減のデスクワークだとおでこのメガネがすれ下がってきてしまい、とてつもなくストレスを感じてしまう日々でした。

 

老眼なので『メガネを新調したところで遠くと近くを同時に見るなどできないし作っても無駄』という自分の知識のなさを棚に上げてそう思い込んできた数年でしたが、ついに老眼鏡を作ることにしました。

40代での老眼鏡デビューというのは早い方かもしれませんが、全くいないわけでもなく普通にあるようです。

 

 

そこで眼鏡屋さんでおすすめされたのが遠近両用のメガネで、ガラスの下部分が近くを見る老眼対応で、真ん中より上にあたる部分が普段のメガネの度数で構成されており、境界線になる部分では歪みが生じ見えにくいと感じるので、慣れが必要という説明でした。

周りの感想だと、自分には合わないとか頭が痛くなるとか聞いていたので検討しなかったのですが、今のわずらわしさを考えると多少のデメリットは我慢もできる気がしておりましたので注文しました。

 

 

一週間後、出来上がったメガネをさっそくかけてみて驚きでした。

近くが見えます!目で追える視界の範囲は狭くなり顎を突き出して見下すような視線になってしまいますが、今まで手元の資料をメガネを外して確認し、モニター入力ではメガネをかけるという手間から解放されました(^0^

しかし明るさが足りない暗い場所だとやっぱり近くても見えにくく、眼鏡がない方が見えやすいので、少しはマシにできる眼鏡という程度ではありました。

 

 

 

特に今持っている時計の中でもムーンフェイズのカレンダーは特段見えにくく、眼鏡をつけたままでこの時計のカレンダーが確認できた時は嬉しかったです。ただし明るすぎるとカレンダーの円盤が照り返しを受けて見えないし、暗すぎても…なので常に鮮明ではないけども、老眼鏡の恩恵は大いにありました。

 

 

まだ早いと思って躊躇している人がおられるならば、最近のメガネは良くできていて遠近の歪み部分も度の落差さえ軽くしておけば気にならないのではないかと感じます。老眼が進行する前の方が慣れやすい気がします。

 

数年間、近くはメガネを外して確認していたクセは今以て抜けず、メガネを外して目視することもありますが、そのうちピントがある部分での見え方を見つけ無駄な動作をなくすことができるのかも(^^

今年windows10のサポートが終了でしたね。僕もおっさんになってしまい、パソコン歴も結構長くなりました。

そんなパソコンを初めて買った時の昔話になります。

 

 

 

大学入学の時あたりに、windows95という画期的なソフトを携えたパソコンが発売されました。

当時県外私学の金食い虫だった僕は、親の目の届かない場所では遊んでばかりのダメ人間になると感じ、これからの時代を見据えて清水の舞台から飛び降りる決意でパソコンを購入し資格取得のセミナーを受講しました。ゲームがしたくて買ったのではありませんぞ!

 

 

あの頃はモデム付きの記録メディアがハードディスク1ギガでも40万円超していたなぁ…。

今よりもずっとパソコンが高かった時代です。(でももう10年前はもっと高かったと聞きます)

 

 

ワープロ検定とかいう資格などを取ったのですが、今じゃ小学生がPCを扱う時代になってしまい、全然大したことをしていないのに我ながら凄いことをしているなという錯覚をもってうぬぼれていたなぁ~って今思うと恥ずかしい限りです(ーー;

 

 

その時期に表計算エクセルでちょっと使えるファイルを作りたいなぁと思い、手始めに小遣い帳の電子版を作ることにしました。

 

いずれ卒業し、企業の採用試験の面接で…

 

・こんなソフトを作ってみた、

・ここがこだわりだ、

・今後はこんなことにも挑戦したい、

 

が人前で言えるくらいのものを目指してfx関数の本とにらめっこしながら抽出条件でいろんな統計ができる小遣い帳を作りました。

 

 

 

 

 

そんな小遣い帳エクセルファイルは、四半世紀を過ぎても我が家の家計簿として今でも使っています(^^;

 

男が財布を握るのは良くない(男が金に細かいというのも嫌ですし…)と思いますが経理畑出身者であることもあって僕が我が家の財務(貯蓄・投資・出費)を管理をしております。

 

 

 

そんな昔ばなしを思い出したので試しに家計簿をつけている比率を検索したところ、家計簿をつけたことがないという人が40.9%もいるそうなのです。

 

 

 

 

「過去につけていた」の23.9%を合わせると64.8%が現在は家計簿をつけていないということになるのです!みんな数字が嫌いなのか??

 

 

最近はキャッシュレス決済が主流になり、紙媒体のレシートもなく、クレジットカード決済のような月またぎの精算となれば記憶から薄れる上に残金がいくらかであったり、いくら使ったのかが見えにくくなっています。記憶に残っているうちに精算するのがベターです。

 

というのも記憶というものは曖昧で、あの時の時計は結構安く買えたよなーと思って、my小遣いファイルを開くと全然違っていた!という事も割と多く、記憶は時間の経過による劣化とともに自分の都合がいいように変化できるので当てにできないです。

 

 

こんなものがなくてもきちんとお金を残せて生活できる人もいるのでマストではないのですが、今の生活リズムでいくら残っているのか?今後いくら残る予定かが把握でき、ローンや目標の貯金額が設定できたら何から抑えていくかの道しるべにできるので”あるに越したことがない資料”かなと思います。

 

 

しかし目標の貯金額に到達は難しい!

運命を感じる出会いの時計をしょっちゅう購入する性格なので…(TT