Vol.583 脱限定に弱いを目指す | アスティアのひとりごと

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ヤフーブログからの続編としてロレックス、チュードルなど腕時計中心のブログです。またの名を 続・ミルガウス増殖計画

日本人は限定という言葉にとても弱い。

よく聞く言葉だと思います。

 

数量限定や期間限定、抽選による当選者限定などよくもまぁこじつけたものだなぁと感心するものばかりです(^^;

 

性能とか、価格とか、必要か否かよりも次買えなくなるという切羽詰まった感が働いてしまうのでしょうか。

要不要にかかわらず結果「衝動買い」に走ってしまうわけでしょうね。

 

 

考える時間を与えない「限定」という響きは、どんな魔物よりも恐ろしい。

必要に迫られたものでなくとも「衝動買い」をさせる購買心理を突くうまい商法ですが、欲求度を高めるための刺激を存分に含んだキラーワードだと感じます。

 

 

 

国産腕時計も漏れなく同じであり、セイコー、シチズン、カシオ、オリエントスターと毎年「限定」を引っさげたモデルが出ておりますよね。
興味あるメーカー以外だと、冷静に判断ができますが…。

 

 

僕もその揶揄されるひとりで、オリエントスターは限定モデルを片っ端から保有しており、自分なりに分析した理由が、『それこそがオリエントスター道を究めんとするマニアだからだ!』という他人には全く共感を得られない謎の自負から築かれた、どうしようもない信念が原動力なのかなって思います。

 

また超右脳人間(感覚で生きている)みたいなので、”この出会いはきっと運命”というめちゃくちゃ前向きな思考で購入しているのでためらいがありません(^^;

 

 

でも気づいたのです。

 

 

 

結局オリエントスター(こればかりのたとえで恐縮です)で一番気に入っているのは通常版のムーンフェイズとクラシックスケルトンでしたし、「限定」などという小手先の販売に頼ることが多いメーカーは、ただの派生形態モデル止まりでいいものを作ろうとする意欲や技術力や販売戦略に限界が来ているのではないか、もう僕をときめかせるものを作ることはできないのではないか…と。

 

 

 

 

 
でもほとんどの人は限定が好きです。
このままの限定マーケティングを続けても失敗はないと思います。
 
世界的に見るとメーカーが限定というものへの比重は少なく、購入者の考え方が定番商品の安心感や永続的な安定性に着眼している方々が多いからかもしれません。
 
そんなことをふと考える時間ができ分析をしていくと、限定に踊らされている自分が馬鹿らしくなったので、これからはデザインや性能という「そのものの価値」だけを純粋に判別した目でコレクションを続けたいなと思いました。
 
(続けるんかぃ!)(# ゚Д゚)