ボンジョールノ
日本滞在中の11月初期、両親を連れて高野山に出かけました。
父85歳、肺の難病を患ったので、歩くことは
100m歩くとハーハーし、休憩しなければいけませんし
トータル1kmは歩けません。
でも高野山に行きたかったし、父はお留守番で
母と二人で出かけようと思っていました。
前の有馬温泉は一人でお留守番してもらいましたし。。
高野山までは、車で実家からは2時間の距離。
それに1時間はカーブの多い細い山道を登らねばなりません。
金剛峯寺

「お父さん、高野山に明日行くけど、お留守番しとくよね」
「えっ、あ〜、そうやな。明日に決めるわ」



あれっ、行きたいような様子。
まあ、確かに歩かなければ行けるか!
で、結局一緒に行くことになりました。

高野山へは日本に帰ってから40日目ぐらいに行ったのですが、
この日まで毎日三人で、些細なことでも大笑いする日々を過ごしていました。
テレビを見てても、どちらかがいつも大きな声でコメントするから
テレビの音と話し声が重なって、テレビの内容がわからなくなることも多々
「シーーー!」と言いたいこともありましたが、
それだけ楽しんでるということだから
まあ、良いかっ
ていう毎日でした。

うちのお父さんはよく言えば個性的。
悪く言えば天使と悪魔が同居してるような人で、
若い頃は苦しい思いもさせられましたし、
だから反抗も大いにさせてもらいました。
でもいろんなところに連れて行ってもらいましたし
楽しい思い出もたくさんあります。
85歳になって病気を患い、強がりな父がいまは物の言い方も
今まで聞いたことのないような優しい話し方をしたり。。
だから正直「ああ、歳をとって気弱になってるんだな」と
密かに思っていました。
母に言わすと「YUKOに甘えてるのよ」と。
そうかもしれないけど、しょうがないですよね。
こうして一緒に居られるのも今しかないから
私には一生懸命笑顔を向け楽しく過ごそうとしてくれているんだろう、
と思っていました。
欠点は数え切れないぐらいある父です
人を怒らせるようなことを言う天才ですが、
でも有難いな〜と思うことは、
二人ともグチぐち言わない、病気の事も。
(補充、人を怒らせもするけど、笑わすのもできる父)

でもこの1ヶ月以上、毎日驚くぐらい楽しく過ごす中で
父の様子を見ていますと、何かを取ろうとする手がブルブル震える日が
続いて、血圧も薬を飲んでいるのに160以上になる日も多々ありました。
そして「しんどい」とも珍しく言う日がありました。
肺の病気を患っているから「息が苦しいの?」と聞くと
胸が(気持ちが)苦しいと言います。
すると父がある日
「お前が帰ってきてくれるのはすごく嬉しいんやけど、
この歳になった人間には刺激が強すぎるのかもしれん。
別に嫌なことや腹が立つことがあるわけではないのに、しんどい」
と言いました。
両親にとっても私が帰国するというのは、大きな環境の変化になります。
それは私にとっても毎度、嬉しさが大きければ大きいほど、
同じ大きさの苦しさを感じます。
それはまた別れる日が来る、というのが念頭にあるからです。
この気持ちをコントロールするのは難しい。。
おそらく父も同じなのでしょう。
今まではそれなりに健康だったので、別れの日になるまでは
そういう悲しい姿は見せていませんでしたが、
今は年齢的に耐える気力がなく
ストレスと軽い鬱になっているかもしれません。
あの父が鬱だなんて、想像できませんでしたが、
それを本人に話すと「そうかも知れん」と自分でも認めたので
担当医に安定剤を数回分処方してもらいました。

最初、「自分で治すから大丈夫!」と安定剤を飲むのに抵抗し、
飲もうとしませんでしたが、
ある日、あまりにもしんどかったのでしょう
密かに飲んだようで
「飲んだら気分がスッキリしたわ〜」と笑ってました。
高野山奥之院

さて高野山。
最初の金剛峯寺では入り口のところで座って1時間待ってくれたお父さん。
お昼ご飯を挟んで次は奥の院へ。
ですが、奥之院は歩くのに片道50分ぐらいかかりますから
お父さんは車の中、また時々外に出たりして2時間待ってくれました。
歩けないから、しょうがない。
でも家で一人で待っているよりは、
外に出ることで気分転換になっていると思います。
こんな遠いところへは、もう一人で運転してこれないのですから。。

高野山へは以前にも何度か来ていて、前回は娘と夫と来ています。
奥之院は織田信長や明智光秀、有名な武将のお墓、
また一部上場企業のお墓もたくさんあります。
私はこの長い参道を歩くのが別世界に触れるようで、大好きなのです。
母と二人、いろんなお墓をお参りしながら往復2時間歩きました。

長い時間 車で待たせた父に「大丈夫やった?」と一応いたわりの言葉をかけ
また2時間かけて家路を走りました。
今度は急な下り坂をゆっくり降りていくわけですが、
あまりブレーキをかけたらブレーキが消耗するので
ギアを下り坂用に変えゆっくり降りて行きました。
それに年寄り二人を乗せカーブの山道は車酔いするのではないかと
注意を払いながら、ゆっくり運転していました。
ところが30分ぐらいした時、
この滞在期間中の大きな
ターニングポイントが起こりました。


何十回目かの下りカーブで少しだけスピードが早かったか?!
(私はそう感じませんでしたが)
見計らったように父が怒り始めました。


ここで父の悪魔的部分が出はじめたのです。
でも当の本人は昔からそうですが悪魔的だなんて思ってもいません。
無意識なんです。
私は父の性格を嫌という程分かっていても、カッチーン
ときて、そこから
大喧嘩勃発です。
お母さんは初めなだめようとしてましたが、
お父さんの一言一言がまるでガソリンのように
私の怒りの火にどんどん注ぐわけですから大火事で消しようがありません



お父さんは決して怒鳴るわけではないのです。
言い方と言ってることが腹たつのです。








同じことを言ってても、言い方で伝わり方が変わりますよね。
怖い怖い

そこから家に帰っても、お互いしばらく口を利きませんでした。
私は、言いすぎたと反省をしていましたが(悪いのはお父さんですが
)
あんな85歳に言い過ぎて大人気なかった。
それに父の鬱が悪化するのではないか?!と
正直心配でした。
で、次の日、様子を伺っていますと、予想に反し
なんと! 手の震えも止まり、
血圧も安定しているではありませんか






おそらく私に対しての依存が、
喧嘩をしたことによって
吹っ切れたのかもしれません。
それは同時に私も同じでした。
あのまま、仲良く毎日笑ったままで、
別れの日を迎えなければならなかったら
お互い耐える事が出来たのか?
耐えなければならないですが、
実際、喧嘩をした事で辛さが半減した
というのが正直なところです。


喧嘩をしてから1週間ほど、嘘みたいに三人がいっきに静かになりました

その後は、またどちらからともなく話し始め
最後の1週間は親戚と一緒に出掛けたりしたこともあり
普通に過ごしていましたが、
それでもお互い少し距離をあけ過ごしました。
それはお互いの精神を守るための安全な距離でありました。
依存を切り離す
両親は、実際私にのっかかってくることはしませんが、
一緒にいてほしいと思う気持ちがひしひしと伝わって来ます。
依存という言い方は悪いですね。親あるいは子であれば
切り離せない気持ちがありますから。
「想い」
「依存」
明らかに違う二つの感情ですが、時にこれらの感情が混ざり合い
はっきり区別しにくい場合があるように思えます。

出発の日。
この日は毎回 最悪の日です。
息が詰まりそうです。
お昼ご飯を食べてから、車で最寄りの駅まで両親に送ってもらいました。
母は空港バスが出る大阪上本町駅まで送ってくれる事になっていたので、
父とは最寄りの駅でお別れです。
いつも言葉は短くなります。
「ありがとう」
「体に気を付けや」
だけです。
毎回帰国する時、これで会うのが最後かも。。。と
お互い思いながらお別れします。
そんな事思いたくないけど、現実です。
いつも腹が立つぐらい強気な父が初めて弱気な言葉を言いました。
「次 帰って来たら会うのは俺の遺灰やわ」
と、笑いながら言ってました



「また、そんな事言って!」とポンと肩を笑いながら軽く叩きましたが、
正直、辛すぎました
「もう時間がないから次は早く帰って来てくれ」という
気持ちから出た言葉かもしれませんが。
結婚する前の父

イタリアに戻ってからも、スカイプでいつも話しています。
母曰く、私が日本に帰国してからというもの、私だけには
優しい顔をして嬉しそうに話をするらしいです。
寂しいんだと思います。
相手をしてくれる人が少なくなったからね。
しょうがない。
と、親子関係のぶっちゃけ話になってしまいました


スカイプではこんな感じ

昔、親友の両親に会った時のことですが、私に親友のことを褒める親友の親を見て、
親友を羨ましく思いましたし、
こうして褒めてもらえるから素直でこんな良い子に育ったんだな〜と思い、
正直自分の父のことを恨めしく思ったことはあります。
ですが縁があってこうして、この父と母の元に生まれて来たのです。
親友のご両親のようではなく、デコボコな親子関係であったかもしれませんが、
この二人の元に生まれたことに意味があるんだと思いますし、
今の私には感謝でしかありません。
とにかく、こんなに長生きしてくれたんですもの。
精神的な支えであったのは間違いありません。
本当にありがたいです。
まだもう少し頑張って、お父さん
それでは、皆様にとって良い1日となりますように

イタリア個人旅行のアテンドをしています。
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