*SNOWFLAKES*

*SNOWFLAKES*

40代に向かって歩いて行く

日記やエッセイまがいの文章を書きなぐって自己満足するというブログです。



月1回、友人が主催するイベントのお手伝いをしてます。


詳しくはこちらのブログで。→masakoのブログ

参加アーティスト・観覧者大募集ですよー。



アメンバー限定記事は自分の記録用として使いたいため、アメンバーは受け付けておりません。

Amebaでブログを始めよう!

うさぎが亡くなってからというもの、一人でいるのが嫌で新しいことをはじめたり。

 

もうすっかり元気だけれど、更新前にブログ読んだら泣いてしまった。

 

去年の誕生日で39歳になり、今年の12月までが30代最後の1年間になる。

 

 

更新しようと思ったのは気まぐれだけれど、この一年をかけて過去の自分と向き合うつもりで書いてます。

 

12日は母の誕生日。

 

19年間絶縁していたけど1年ほど前から連絡をとるように。

 

メールしても返ってこないことがほとんどなので電話をかけてみた。

 

 

乳がんらしい。

 

 

つい先月、私自身が胸に違和感を感じて検診受けてきたばかり。

異常なしである通知が来た日にまさか母が乳がんであるとわかるなんて。

 

絶縁してただけあって様々な確執があるのだけど、それらは乗り越えた・・・つもりだった。

 

会わない間、蓋をしていただけだった。

 

母との電話のあと、過去の記憶が溢れるように蘇ってきて、もう一度絶縁しようかと感がるまでに至りました。

 

病気の母と絶縁なんて極悪非道だと思われても仕方ないけれど、このままだと自分の日常生活すらままならないので・・・

 

お葬式とかの様子を細かく書いてます。悲しい話が苦手な人は読まないでね。












いま、きなこの火葬から帰ってきました。


あっという間のことで、すべて終わるのに一時間くらい。



まず線香あげて、手を合わせて…簡単なお葬式。



外で掃除機かけてんのか、こんな時にと思ったら…

火葬車(移動式の小さな焼き場)の動力音だった。

きなこを焼き台にのせ、まるで窓辺でまどろんでいるような可愛い顔で横たわる冷たい身体をみて、パニックをおこしかけた。

それでも流れ作業のように、すべきことを伝えてくれる葬儀社のおかげでなんとか意識は保っていられた。

こういう時は、事務的な対応がかえって助かるものだと思った。

食べなくなっていた大好きなパインと、牧草の穂を傍に起き、摘み取った花を敷き詰めてあげた。

すぐには離れることができず、頭を撫でながら、がんばったね、ありがとう、元気でね、いってらっしゃいと声をかけた。

まわりの人はそれを黙って見守ってくれていた。

離れ難いけれど、ちゃんと断ち切った。きなこを自由にしてあげたいから。

扉が閉まる瞬間は見れなかった。

止めてしまいそうで。

またパニックをおこしかけて、呻くように泣き、

ただいま火をいれさせて頂きました、と言われた。

控室に呆然と入りソファに沈んだ。

外で聞こえる炎の轟音になんどか涙の波が襲った。

次第に思考が冷静になり、お世話になった病院に電話をいれ、もう治療の必要がないことを伝えた。

出されたお茶を飲んだ。

待つ30分の間、最後の手触りを思い出していた。

右手に鮮明に残る冷たさとかたさと、それに相反する毛並みの美しさと柔らかさ。

そこには死と生が共存していた。

しばらくすると、控え室にある棚におかれた本が気になり始めた。

はだしのゲンや、こち亀があった。

ここでこんなん読むテンションになれるのかと突っ込んでしまった。

そうかと思えば、犬の飼い方の本があった。

なんだそりゃ、と冷静さを取り戻したころ、扉があき、終わったと告げられた。

骨、みる?怖い?

と聞かれた。

ちなみに、立会い火葬ではなく一任火葬というもので、お別れの式のあとは一度帰り、順番に焼いてお骨を渡されるはずのものだったのだが、午前中は幸い私しかいなく、一連の作業に立ち会わせていただけたのだ。

お骨を拾うのは立会いのためできないのだが(値段が違う)、それ以外はご厚意だったのだろう。


怖いとか以前に、自分の精神がどうなるかわからなかったので、見ずに骨壷に入れてもらった。


小さな小さな壺にいれて戻ってきたきなこ。


おもむろに蓋をあけるおじさん。


あ、見せるんだ。と心の中で突っ込んだ。


薬飲んでた?


ときかれた。


おなかのところが薬の色だったからとのこと。


きなこの骨を、自分でも驚くくらいに穏やかな気持ちで見つめてる自分がいた。


焼けた匂いがして、香ばしいなと感じた。


思わず、よく焼けました、と泣き笑いで言っていた。


おじさんも微笑んでいた。



癌は苦しくないんだよ、と言われた。


答えられなかった。
気休めだと思ったから。

けど違った。


おじさんは癌になったけど治ったらしい。


癌そのものは苦しくないけど、治療すると苦しいんだと言われた。


肺だと呼吸で苦しむだろうからそこまで悪化したり全身転移するまえで良かったと思ったことを伝えた。


まるでまだ生きているみたいに可愛いポーズで、可愛い顔で、苦悶の表情でなかったのが唯一の救いだった。


おじさんもそんな感想だったみたいで。何度も可愛いと言ってくれた。


きなこを抱き控え室を出ると、おじさんが花の話を始めた。


敷地内に、たくさんの花を育てているおじさん(おじさんおじさん言うけどおそらく社長だよな)は、しばらく花の話をしていた。


花、持っていく?と聞かれ、


ふた株の花を分けてもらった。



うさぎちゃんいなくなってさみしいだろうけど、花を育てることで癒されるよ、と。



なんて名前の花か聞き忘れた。



帰るとき、晴れてよかったね、と言われた。



そういえば、遺骨をもって外にでた時とても晴れていた。



肌で感じる日差しの暖かさが少し癒してくれたのを思い出した。



静かな気持ちで、その場をあとにした。







帰ってきた瞬間、雨が降り、雷が鳴った。




なんだか不思議なものだなと思った。




いろいろな後悔は、やはり襲ってきた。


こうしてあげればよかった、こうしてあげたかった、こうしたかった、次から次へと浮かんだ。


私もきなこも、これで楽になれたんだと思う。



いってらっしゃい、きなこ。




元気でね。




いたかまた、どこかで。





iPhoneからの投稿

意味深発言をした一週間前。


愛娘、きなこ(うさぎメス)が、癌宣告を受けました。


ご飯をあまりたべなくなり、様子がおかしいのでレントゲンをとったのでさす。


結果を聞いたのは東京ドームの日。


ライブに行くのも迷いましたが、事情を話したら相方が心から楽しめなくなるかも…と思い、真実を隠したまま私もライブへ行ってきました。


本当の意味では楽しめないのかもしれないけれど、悲しみや戸惑いを振り切るかのように一心不乱に参戦しました。


そのあとは…仕事の時間と、最低限寝る時間以外はきなこと一緒に過ごしました。


え、治療は?って思うかもしれないけど…


もう、手遅れだったの。


手遅れというか、うさぎの場合、癌に直接作用するような抗がん剤などがないため。


大きな腫瘍が腎臓に癒着し、肺にも転移しているとのこと。


できることといったら、食事ができるように整腸剤やサプリメントを、皮下点滴したりシリンジで飲ませるだけ。


ご飯を水でふやかせて、流動食も与えました。



目に見えて、日に日に弱って行くきなこを毎日抱いて撫でながら泣く日々でした。


毎日、ごめんね、ありがとう、たくさん言いました。


うつ伏せで携帯を触っていたら、背中に飛び乗ってきて、まわりを見渡していました。


元気だった時によくやる仕草。

嬉しかった。先週の火曜日のこと。


これが最後。





出会って五年間、一度もおとなしく抱かれていなかったきなこが、目を細めて…逃げる力もなさそうに抱かれているのを見るのが複雑な心境でした。


それが、先週の水曜のこと。


泣き顔のまま、一緒に写真を撮りました。



けれど私の腕の中で逝くことはなく…



元気なわけじゃないけれど、木曜日はちょっと気力がある感じに。


たくさん葛藤したけれど、私にできることを精一杯やってあげるしかないんだ、私が諦めちゃだめなんだ、と強く思った日。




金曜日。

明け方まで一緒にいた。


土曜日。

一週間の疲れからか、たくさん寝てしまう。

きなこはどうやってかキッチンまで移動して寝ていた。


日曜日。

病院へいき、点滴。

二週間分の薬をもらう。





そして今日。


いろいろ重なって、いつもより二時間遅く帰ると…


きなこは、かたくなっていた。


一瞬で理解できなかった。


嗚咽し、過呼吸をおこした。


しばらく撫でて、ごめんねとありがとう。よく頑張ったね、と伝えた。


同僚や友人、ブログを見て心配してくれた人たちにメールでお知らせした。


頭にもやがかかったようなまま、ネットで火葬してもらえるところを探した。



明日、本当のお別れをしてきます。



今思うと、土曜日の脱走?は前触れだったんだと思う。



私のいないところで死のうとしていたんだと思う。



水曜日に、お別れを覚悟したときに、腕の中から力を振り絞って這いでようとしたとき、目の前で死にたくないんだろうなとも、思った。



医者もまさか今日死ぬとは思わなかっただろう。


私も。



きなこはすごい。



最期の最期まで、まわりの人の涙をみないように、悲しませないように、元気だよ!ってフリして死んでいった。



たったひとりで。



昨日、病院の診察台でも、置いてあったカルテをガジガジしようとしてたくらい。



目にも気力ある、って。



だから、ホッとしたんだ。




そんな時を狙ったかのように。




死んだうさぎは、月へいくと表現される。




昨日、23日(もう一昨日だが)はスーパームーン。



24日は、月が離れて行く日。




まるで、きなこをスーパームーンがお迎えにきたかのように。




2008年にうちにきてから約五年。



はやかった。



楽しかった。



幸せだった。



癒された。



ありがとう。きなこ。




おやすみなさい。



photo:01





2013年6月24日きなこ月へ。







iPhoneからの投稿