エリートコースを歩んで果たしてその人間は幸せなのか。それは評価の分かれるとこである。人間の幸せは永遠の命題だから。親としてはわが子の幸せのためを思って、名門といわれる学校を卒業させ一流企業なり官僚や医者、弁護士などに就かせて、約束された?将来を送ってもらいたいと思うのは人情だが、果たしてレールに乗せられた人間は本当に幸せなのだろうか、疑問である。本来持っている個性を埋没させたり、途中で挫折してとんでもない方向に向かったり、功なり名を遂げても晩節を汚すこともある。人間には様々な欲がある。権力、金銭、名誉欲、性欲、食欲・・・等。果たして一つの欲望を運良く掌中にしたところでうまく収まるのだろうか。なかには次の欲望が湧く場合もあり、さらに次の欲望、次の・・・と際限なく欲望が起り、その追求に一生を終えてしまう場合もある。正当な方法で満足を勝ち得たのならよいが、後ろめたさがあればいつまでも苦悶しなければなるまい。
アメリカンドリームにしても、最初から苦労なくして頂上に上り詰めたわけではない。たまたま運良く、宝くじに当たったかのように喧伝されるが、移民国の米国ではそこにたどり着くまでに様々な苦労話が付きまとう。スポーツ界にしても、政治、経済界、学問、芸能界しかり。運もあるが、努力なくしてドリームはありえない。それなら学問を身に付け、少しでもいい学校に入りいい大学を卒業していい企業に入れば将来が約束される、と考えるのもうなずけるが軽薄というものだ。明治時代のように国を興すのような状況であれば、西洋に追いつき追い越せという機運に、エリートの養成も必要だが経済が安定し生活が豊かな時代にエリートは必要ない。だが、学問はいつの時代にも怠りなく重要と思う。それもイデオロギーに汚染されていない学問がである。
戦後の復興では、ただ食うのに困ってありったけのものを売って食べ物を手に入れる者、少々の飢えを我慢して物を売る人など、後になって差が歴然としてくる。それは少し現在の状況にも似ている。苦しい時をチャンスとみるか社会の責任にして救いの手を求めるか。国が何とかしてくれると思うのは甘え以外のなんでもない。なんもしない国がなんと多いことだろう。たまたま非常時には、人道的見地から緊急避難的に避難所など設けて食物を与えてくれるが、期間は設けられる。半永久的に援助などありえない。それを援助が少ない。他人と比べて自分のものが少ないと文句をいう。こういう時にいち早く立ち上がった者が、後で果実を手に入れられる。先憂後楽という言葉があるが、先に苦労して後に楽を享受する、考え方次第である。

いろいろな職業が増え、物を生産するために人々は一生懸命に働くが、物が一つの社会だけで流通していたのでは豊かにはならず、むしろ物が余ってくる。そこで余った物を他の社会に売り、足りない物を買う。交易の始まりである。
ざっと社会経済の成り立ちを見てきたが、島国の日本は鎖国をしていた江戸時代までは他国との交流も限られていた。だが、明治維新から以降は交流が飛躍的に増え、特に政治や学問は西洋から学ぶことが多かった。第二次世界大戦以後はGHQによる米国中心の占領政策によって、焼け跡からの復興がなされたが、たかだか60年で日本は急激に変貌した。国際的な経済の変動による景気の浮き沈みや、国内総生産の大幅な伸びで米国に次ぐ世界第二位のまで発展したが、いいことはそう長く続かなかった。それまで西洋の文化や政治制度、社会制度を取り入れ、わが国古来の「わび・さび」精神との宥和による日本独自の仕組みを創り出してきたが、アメリカ流の合理化主義の前には脆かった。アメリカのフロンティア精神やアメリカンドリームには夢があり自由を謳歌でき希望を与えてくれた。しかし、これには落とし穴が待ち構えていた。


社会と社会とのもめ事も起きてくる。最初は政治家同士の話合いで片付くこともあるが、利害が複雑に絡むと争い事に発展することになる。そこで屈強な人達を集めて軍隊を創り、相手社会を力でねじ伏せようとする。そして一つの社会が近辺の社会を取り込み、人の数と土地が拡大していく。そうなると職業がさらに細分化され、人手で行っていた農耕も動物や機械を使い生産性が飛躍的に伸び、そのような便利な機械を製造したり他の便利な機械を開発したり他の社会と売買するようになる。家も住むだけだったのが、居住性や便利さの上に強固なものを求めて家を専門に扱う大工や、道や水道を造る工事夫、ものを考えたり書いたりする研究者や芸術家も現れた。衣服も機能性やデザインを追及し、時と場所で着替えるようになった。