『人々のために曲を書くときのほうが、
 そうでないときよりも、
 ずっと美しい曲を書くことができる。』

かの有名なベートーベンが残した言葉である。
誰かを想い、そして伝えるために作った曲は言葉よりも単純に聴こえる。
愛を語った曲『月光』、運命に立ち向かう曲『運命』、
聴こえなくなった耳ではなく心で聞いた大自然の曲『田園』。
彼は死ぬまで、曲を作り続けた。
それは、
『苦しみの中から見つけた勇気と希望を
 音楽にして人々に伝えること。』という志を、
耳が聞こえないという音楽家としての致命傷を背負っても、
なおも変わらなかったから。
彼は初め、母を楽にしてやりたくて有名な音楽家を目指す。
人というのは、不思議だ。
自分のために何かを目指そうとすると、限界があるのに。
誰かのため、という気持ちが本物ならば何処までも努力が出来る。
『エリーゼのために』は、愛する女性のための曲ではない。
ベートーベンを心から心配した友人の女性に捧げたものである。
彼が恋に破れたとき、聴力を失ったとき、運命に負けそうなとき。
彼に助言し、見守った女性のために贈ったそうである。

ベートーベンが亡くなって、約180年が経とうとしている。
現在でも彼の曲が生きていることは、彼も本望だろう。

さてさて。
ベートーベンのお話の後で差し出がましいですが。
今週末、5日にまたやイベントがあるんです。
イベントタイトルは、
『君を語るには、悲観的すぎる僕のそれと
 僕を語るには、楽観的すぎる君のそれ 』
という、何が言いたいのか疑問符いっぱいのイベントです。
川崎セルビアンナイト open17:00 start17:30
ticket \1000+drink \500 だそうです!!
お時間ある方、覗いてみて下さい。
今回もわたくし、ポスターのモデルをやりまして。
いい加減、肖像権の問題および出演料を発生させたいと思っております。
では、ごきげんよう。
夏の日の

もうすぐ会社のチームが解散になることに決定した。
嘘みたいに動揺と、不安と、寂しさに、私たちは途方に暮れている。
チームは私を含め4人で、一人一人の個性がとても強い。
だけども、上手く纏まっている。
私たちを中和させ上手くいくように出来ているのは、
ある女の子の存在が大きいと、私は思う。
彼女に、もし私は早くに出会えていたなら
悪意などとは無縁の世界で生きる事ができ、人を心から信じることは容易く、
むしろ疑問さえ湧かずに来れたかもしれない。
そう思えるのは、彼女が誰にも悪意を持たず、誰にでも平等だから。
そして心から誰もかもを信じきって、思いやれるから。
私は完璧にいい人などいないと、何処かに垣間見える計算にがっかりしていたものだった。
だけども、彼女に打算的な考えや計算された優しさなど何処にもない。
私にとって年下の綺麗なだけだと思っていた彼女に、衝撃を与えられた。

そのうち、私は恐くなった。
彼女には私たちの経験から備わった知恵は、必要ないのかもしれない、と。
私たちが生き抜いてきた強さと正論は、余計な混乱を招くかもしれない。
幸せになろうとする彼女に迷いを生じさせ、彼女を変えてしまう。

例えば、ダイヤモンドで言うのならA級品とB級品がある。
B級品は手だれの職人に、光を放つような細かいカットを施してもらわなければならない。
しかしA級品はすでに光を持ち、シンプルなカットで十分光を放つのだ。
余計なカットはダイヤモンドの価値を損なわせ、あるべき所に置いてはくれないだろう。
彼女は、言うなればA級品のダイヤだった。

それから私は、彼女に余計な知恵やセオリーは避けてきている。
迷い込んだ挙げ句、私はチームの年長に私の考えていることを話したのだ。
私はあんなに善い子を見た事がないし、会ったことがない。
それに私たちとは、今までもこれからも輝き方は違うだろう。
彼女は本当に幸せになれるだろうし、幸せになってもらいたい。
だけど私たちの言葉ひとつで、彼女に生まれなかった疑問を気づかせてはいけない。
知らなくてもいい世の中がある。気づかない方がいい事実がある。
それによって磨かれて輝く人もいるだろう。
でも私には、彼女がすでに磨かれている人間に思える。
人間はクレバーになりすぎると、余計なものまで見ようとするのだ。
それは向上心を野心に変え、正義感は必要悪を求める。
彼女の淀みない純真さや労る気持ち、愛する気持ちを汚してはならない。

私が彼女に、何を言えるというのだろう?
私が知る事の出来た真実を語ったところで、何が生まれるというのだろう?
そんな真実は、何の拠り所となるのだろう?
私は、きっと彼女を抱きしめる力が弱い。
けれども、きつく抱きしめたいのは自分の気持ちを満足させるだけであり、
きつく抱きしめられた彼女は息苦しく、辛いだけかもしれない。
だから、私は言葉を放つ事に慎重になった。
知りたいと心から願った時にでも、それは遅くないのだから。
必要なときに欲しい分だけ、私の持っている真実と知恵と経験をあげよう。


本当のことは。
彼女がとても大切、ってこと。
本日、誕生日を迎えた彼女へ。

海じゃない


去年着なかった服は、捨てる。

でも時々、去年すごくお気に入りの服が今年は着なかったりする。

着なくなるのは、多分、もう好きな服ではなくなっていることだと思う。

そうすると、自分が少し変わってしまったことを感じずにはいられない。

好きではなくなったものが、いつの間にか無くなっている。

捨てたとは意識せず、私の中では紛失、永遠に見つからないもの。


夏服を捨てるのに、寂しさや思い出はよぎらない。

なのに冬服を捨てるのは、なんとも言えない切なさがこみ上げる。

私は冬を過ごすことが好きで、生きている感じがするからだ。

冬の白い息は、世界と私が繋がっていることを確かめさせてくれる。

冬にする息継ぎは、乾いているせいか少し胸が苦しくなる。

まるで泣いているかのように。

冬は、私の何もかもを思い出させてくれる。

私が大事にして守っていたこと、私が傷つけてしまったこと、

私が出会った悲しい出来事、私が出会うことの出来た人たち。

白い息は大体のことをオブラートに包み、懐かしくもさせる。

大好きな冬に、寝ることが好きな私のために沢山の思い出が夢に出てきたらいいなー