大げさに言うと、初めて独りになった。
どうにもならない用事があって、息子を預けることはあっても、
ただ独りになるために預けたことはなかった。
TADも、沖縄に行っていていない。

不思議とベランダでくつろいでみたりしてると、
なんだか最初から1人だった気がしてくる。
つまり、私には初めから息子がいなくて夫もいない。
あれは夢だったのかな?って思えるほど、
現実が嘘のような気がしてならないのだ。

今日は晴れていて、風が強くて、心地のいい日だ。
5月というのは、本当にいい季節だなと思う。
なのに、少し不安になる。

思い出も、日常も、未来も、
当然だと思いがちな存在たちを、積み重ねてきてこそ、
繋がっていくものなんだと気付いたから。
手放したときから、私の時間は止まってしまった。

今日が、私の人生の長さの中で、
たった一瞬の出来事なんだろうと思う。
そして、すぐに日常が戻ってくることも、
またいつかは、独りになりたいって願ったりするんだろうと思う。

でも、何をしてもいい休日が欲しかったはずなのに、
本当に手に入れると、
それは、何かを手放せるほど欲しかったものじゃない、と
気付くのは、私だけじゃないと思うんだよ。
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昨日、母が引っ越した。
つまり私の28年間変わらずにあった実家は、もうあそこにはない。
生まれてから、ずっと全てを過ごしてきたその場所がなくなった。
やっと車で行けるようになって、近くなったばかりだったのに。

私の家は微妙な貧乏で、ずっと市営の団地だった。
大きくなればなるほど、団地なんて嫌で、一軒家が羨ましくて、
そのうち家に帰るのも気が重いくらい、いい家じゃなかった。
狭くて古くて、何もかもが廃れているような家。

なのに、なんでなんだろう?なんなんだろう?
ただ、ぽっかりしてしまうような気持ちになった。
もう通ることすらない、なんて思うと私のあの場所はどこへいったんだろう?って
寂しいとか悲しいとかじゃない、喪失感でいっぱいになる。
泥だらけになって帰って怒られたし、
泣きながら帰ったこともあるし、
忍び足で帰ったこともある。
家を飛び出したこともあった。
それでも、私の帰る場所であったんだ。

思い出は失うわけじゃないのに、
それでも、失った気分になる。

形あるものが変わらないでいることは大変なんだ。
壊すのは簡単なのに、そこに在り続けることは本当はすごい。
形あるものじゃなくても、見えなくても、そこにあるだけでいいのに。
失ってみなければ、私にはあの場所の大切さが分からなかった。


なんで、今日が雨なんだろう。
せめて雨じゃなかったら、新しい始まりに立てたかもしれないのに。
昨日を最後に立ち会った日が、暑い晴れの日だったなんてズル過ぎる。
雨のせいで、少しメランコリーな気分になる。
よくよく聞く、『押し付けるな』の言葉を聞くと思わず考え込んでしまう。
押し付けるな・・・って、どこまでの主張を通すのだろう?と。

例えばだよ、例えば。
ウチの会社では喫煙のことで、嫌煙者と喫煙者でともに主張がある。
嫌煙者は、吸いたくもない煙を押し付けるなって言うし、
喫煙者は、タバコが嫌いだからって押し付けるなって言うし。
なんだかなんだか・・・・どっちが押し付けてるんだろうって悩ましい。

それから、それから。
家庭内でもさ、お互いの違いがあって主張するじゃない?
例えば、風呂場で歯を磨かないで欲しいとか、
朝ご飯は絶対にパンであってほしいとか、
晩酌は二杯までにしてね、とかさ。
小さなことだけれど、お前の都合で押し付けるなって言われたら何も云えない。

だけどさ、自分の都合やこれまでのやり方を通そうという押しつけは、
なんだか『押し付けるな』って言った方も、結局は自分の主張なりを押し付けることになって・・・
で、押し付けるな返しで、押し付けるなって、お互いになって・・・・
あれ、えーっっと?じゃぁ、どうすればいいんだろ?みたいな。
頭の中が、?になる。


そんなこと考えるのは、あたしだけ?