世界を旅していたすずきさんが、帰ってきて、
そして、また日本を出ることになった。

先日、久しぶりに会うために、二子玉川で待ち合わせするも、
すずきさんとやらが、私にはどうやらおぼろげで、
なんなら、幻だったかもしれないほどの、
曖昧なイメージしか思い出せなかった。

帰ってきたすずきさんは、世界を旅した感がない。
変なの。
一体、どこに行ってたんだ??
というか、曖昧なイメージだったためか、
これが、本当のすずきさんだったのか、どうかすら
判らない。

いや、すずきさんだろう。たぶん。
酒、呑んでるし。
話し方も、なんか「すずき」っぽいし。
会話の変な間とか、なんかアレだし。
すずきさん、だと思う、ことにした。

しかし、私は誰もが知る超人見知り(?)人間である。
となると、緊張しすぎて緊張しすぎて、
目が回るほど、ペラペラペラペラ喋ってしまった。

そのため、帰るとズーン・・・とする。
ま、いっか。
すずきさんだし。
なんか、大体アレだし。







さて、すずきさん。
きっと、また帰ってくるでしょう。
その頃の私は、一体なにをしてるのでしょう。
兎にも角にも、すずきさんの
「外人女子にエロを感じなかった」発言は、
ああ見えて、ワタクシ、酒を噴出しそうになりました。
すずきさんから、「エロ」なるワードが出るとは、
想像してませんでしたから。

ですから、次に帰ってくるときまでには、
すずきさんのエロ発言を、倍に返せる女子になります。


それでは、すずきさん。
行ってらっしゃい。





$レスポンス。-20100626_1


たとえば、私は○○太郎という名前が好きだ。
金太郎にも、桃太郎にも、少なからず、胸がキュンとなる。
もちろん、いま息子が生まれたら「何とか太郎」にする。
このご時世、太郎がつく名前はなんと新鮮なことか!と、
心の中で、そっと思う。

最近では、詩集をよく読む。
特に、萩原朔太郎(サクタロー)、谷川俊太郎(シュンタロー)
・・・太郎でしょ。やっぱり。

シュンタローの『二十億光年の孤独』は、素敵だ。
今更・・・だなんて、言わないでね。
なかでも、
『中略・・・ネリリし キルルし ハララしているか』
という言葉が好き。

この言葉に、特別な意味なんて、きっとない。
でも読んでいると、この言葉がぴったり。
変な言葉!変な呪文!変な表現!!
でも、ぴったり。

シュンタローの言葉は、ちょっとキラキラしている。
同じように恵まれた境遇で、むしろ、顔立ちが整っている
超男前のサクタローは、ダーティーな感じ。
そんな悲しい気持ちなの?みたいな。
そんな挫折感を味わっているの?辛いの?って心配になる。
月夜の暗い夜道をひたすら歩いている、そんな暗さ。

きっと、人間は恵まれている境遇だとしても、
何らかの不安や、悲しみや、挫折感は味わうのだろうと思う。
それは、人間が人間性を獲得するが故の必要なもの、なのかもしれない。

それでも、私は、
恵まれていても、恵まれていなくても、
やっぱり、キラキラするような言葉を紡ぎだせる人間のほうが、
ずっと、ずーっと、幸せに思える。

幸せなんて、ときにはわからない。
ときには、見失ったりもする。
だけど、それが『生きる』ということの何かであるのなら、
そのときの気持ちを、言葉に紡ぎだすときに、
変な表現でも、ちょっとでも、いい言葉で言いたい。

誰かが、キュンとするような。
誰かが、つーんとするような。

そんな言葉を。
しなやかで、美しい言葉を、私は探してみる。





$レスポンス。-20100626_4


『永遠の0』は、いまや映画化された『ボックス』を書いた
百田尚樹さんのデビュー作である。

ここで、初めに云わなければならないことがある。
特攻隊員は、決して狂信的だったわけでもないし、
妄信的だったわけでもない。
それは、以前にもブログに載せた『二十歳の変奏曲』を
読んで頂ければ判ると思う。




私のスベスベしたじいちゃんは、6月の初めに亡くなった。
1年間も癌を患ったのに、骨は真っ白で、太くて、
それはそれは綺麗な骨だった。美しい骨だった。

いつも黙ってニコニコしてるだけのじいちゃんにも、秘密があった。
死ぬ間際でも、それは決して漏らさなかったこと。
戦争の秘密。
兵隊だったときの話。
おばあちゃんにも、娘であるお母さんにも、決して話さなかった時代。

誰もが、よっぽど酷い目に遭ったんだ、と考えた。
私は、じいちゃんは話すことが恐ろしくて、悲しくて、辛いんだと思った。
けれど、あの時代の兵士は、みんなそうだったんだと思う。
『永遠の0』を読んだとき、じいちゃんの過去を少しだけ見れた気がした。

誤解しないで欲しい。
特攻を命じられた人たちが、特攻する本当の理由を。
その気持ちや、そのときの背景や、その人自身を。
エリート軍幹部の面子や、プライドや、机上理論で戦わされた、
兵士たちの心の葛藤を、知って欲しい。
それを理解できないまでも、その心に重なってみてほしい。

私は、自信がないのだ。
自分は安全なところにいて、外から、
正しさを主張するのは、誰にだってできる。
結果を見て言うのも、自分に権力があって言うのも、
もっともらしい正しさを主張できるのは当然だ。

けれども、大きなうねりの中にいる一人だったら。

私たちが見ている新聞やテレビの報道は、
本当に、真実だけを述べているのだろうか。
その主張は、本物の正しさを持ち合わせているだろうか。
常に、語られない大きなうねりの中の一人がいることを
忘れてはいないだろうか。

もし、意思に反して巻き込まれた一人であったなら、
誰が責められると言うんだろう。


私のじいちゃんは、戦争という時代を生き、
兵隊となり、「お国のため」ではなく、
「愛する家族のため」に本当の命を懸けたんだ。
『永遠の0』は、私のじいちゃんだけでなく、
あなたのじいちゃんも、誰かのじいちゃんも、
生きるために命を賭さなければならなかったことを、
否が応でも見せつけてくれる。








たとえばあなたが、現代で戦争の時代に突入し、
徴兵制となったときに、
貧しさのために兵隊とならなくてはいけないとき、
何を思って、戦いますか。

そのとき、あなたは
何のために命を手放しますか。