レスポンス。-20100626_5



先日に読んだ海堂尊さんの本、『ジーン・ワルツ』。
大学でのレポート課題にもあった『代理母』を
題材にした本である。

私は、代理母に賛成でも反対でもないし、
実を言うと、どうしたらいいのか判らない。
私は、子供が出来なくなってしまったけれど、
それまでは、そんな問題はどこか遠くの世界の出来事みたいに、
まるで他人事みたいに、身勝手な解釈によって問題を考えていたと思う。


誰だって、普通に結婚して、普通に子供が生まれて、
そして、平凡な家庭生活を営みたい。
もし、その一つでも適わなくなったのならば、きっと、そのときに、
人は初めて、『普通』というものの重さを知るだろう。
人並みの幸せ、というものの実体は、どこにあるのかを。

感情的に『代理母』を考えると、
倫理観とか、道徳的なものとか、一体どうなっちゃうの?みたいな、
なんか曖昧な表現でしか、問題を言い表せない。
そこまで、人が介入していいの?という恐れもある。

理性的に考えると、医療の進歩に法整備が追いつけないだけ、って思う。
だって、生きている人の命をいくらでも延ばそうとするだなんて、
ちょっと前なら、倫理観はどうだ?って議論されてた。
臓器移植、脳死判定、もっと前なら人工呼吸器、人工透析。

でも、『代理母』には問題がある。
生まれた子供が健康体ではなかったら、どうなるのか?ってこと。
それが解決できなくちゃな。



いつだって、人は生きようとする。
そして、周りで生きる人たちも生きて欲しいって願う。
小さな命を救いたい、これからがある若い命を救いたい。
大切な人を失いたくない、愛している人を失いたくない。
その気持ちに、ただ医療は応えてきた結果なのだ。

自分がそんな目に遭っていない人たちは、言う。
『人の命を操作するだなんて、倫理やモラルはどこいった?』

想像してみたら、いいのに。
いま隣で愛する人が死にそうなときに、その言葉を言えるだろうか。
同じように、自分の愛する人が、自分の大切な家族が、
子宮を失い、絶望の淵に立たされたとき。
あなたは、どう寄り添えますか。


簡単にノーだなんて、言えない。
いけないことだ!って言うのなら、
人工呼吸器で助けるべきじゃないし、
誰の命も、操作すべきじゃないんじゃない?って。







簡単に答えは決められないけれど。
生まれてきた命は、どんなふうに生まれてきたとしても、
ちゃんと、守ってあげなきゃいけない。


ちゃんと、考えてあげなくちゃいけない。








レスポンス。-20100626_3

今年に入って、卒業したいがために必死にレポートを上げて、
その合間に、ストレス解消と称して読んだ本の一部。

私の本好きは、周りではとっても有名で、
先日の会社退職の際には、花束とバックインバックと図書カードを頂いた。
花束は向日葵で、バックインバックは女子には有名なブランドらしい。
ところが、最後の図書カードを渡されたときに、
私はようやく、目が潤んでしまったので、
感動はおろか、もれなく私は「現金なやつ!」という
レッテルを貼られることになってしまった。
最後まで小突かれてしまう、という失態を演じさせた図書カード。

それほどまでに(?)私は、本が手放せない中毒である。

ここで、なぜそんなにも本が?という秘話中の秘話を披露しようと思う。
初めての本は、実は漫画だった。
エレクトーン教室に置いてあった「キャンディ・キャンディ」である。
このとき私は、多分、小学生になる前だったと思う。
私は、これが読みたいがために嫌々のエレクトーンを、嬉々として習いにいった。
「キャンディ・キャンディ」の一喜一憂に、自分も振り回されている、
そんな世界があることを知ったのだ。

これをきっかけに、大人の漫画だろうが何だろうが、
エロかろうが、猛然と手当たりしだい読みまくった。
小学校に入学すると図書室に、色んな種類の本が置いてあった。
図書室へは日課のように、休み時間に通う毎日だった。
小学校の高学年には、江戸川乱歩の怪人シリーズにワクワクしていた。

そんな私が本から離れたのは、高校生のときである。
中学生のときも離れていたが、一冊の哲学書に出会ったので、
この一冊は、中学生が読むであろう三年分の本に等しいと思っている。
そのため私と本との関係は、「いつでもヨリを戻せる前カレ前カノ」状態だった。

また、中高生というのは本よりも映画に走りがちである。
私も映画に走っていたし、しかもあまりに時間がないと本を選ぶ余裕もない。
本への復活は、やはり大学へ行くようになってからだと思う。
それまでは、年に十数冊は読んでいたが中毒ではなかった。

とにかく、私の初めては「キャンディ・キャンディ」であった。
ただし、アメリカで食べれた唯一のご馳走「吉野家」を、
帰国して数年後に食べたときの口に広がる「え?こんなんだっけ?」みたいな、
あるいは、子供の頃から憧れて大好きだった「クリーミーマミ」を、
大人になってから観たときの「なんだかこの鼻声、鼻につくんですけど」みたいに、
私の長年の想いをぶち壊されたくないので、
もう一度読み返したい、という気持ちにはならないように気をつけている。


ざっと、「私と本の関係 初恋編」についてお話しましたが、
本について話すのならば、私にあなたの一日をください。





とうとう来週の月曜で、今の会社を退職する。
4年と5ヶ月弱。実質、アルバイトは私1人だけ。
楽しかったり、悲しくなってみたり、怒ってみたり、
好きになったり、嫌いになったり。
何もかもがイヤになってみたりもしたし、
何もかもが大好きになってみたりもした。

入った頃と違って、同僚も変わっていき、仕事の内容も忙しくなった。
どんなときだって、私はそこに行って仕事をこなし、
会社を出るときには、必ず空模様を見て帰った。

思ったより、長い時間を過ごしたな。


会社には、最後まで私のワガママを尊重してもらいました。
ワガママばっかりで、ごめんなさい。
でも、アルバイトの私に上司や同僚や辞めていった元同僚から、
沢山の労わりの言葉や、送別会をしてもらって感謝します。


私は、仕事を生活の手段として考えているけれど、
それでも、やっぱり仕事をする場所はとても大切で、私の居場所だった。
仕事の内容や、仕事のやりがいとか、
仕事を決めることの要素はそれぞれだけど、
私にとっては、内容もやりがいも、これまで選択することができなかった。

食べていくための、そのためだけの、仕事。

時給でしか貰えないお給料を少しでも上げようとするのなら、
時給以上の仕事をしなければ、時給は上がらない。
私の仕事は、ひたすらそういう仕事だった。

そういう仕事は、誰よりも努力し、仕事のスキルを上げ、
やりがいと内容は自分で見つけなくてはならない。
途方に暮れてるヒマなんてない。
そんなものは自分で作ればいいのだ!!と考えてた。
時給が上がらなかったら、自分のスキルが止まっているか、
作業効率が落ちていると思え!
迅速に的確に処理できないなら、仕事ができない自分を自覚しろ!
ヒマな時間ができたら、自分で仕事を作れ!
それが、時給で働く私の仕事観だったのだ。


そんな私は初めて、自分がやりたかった仕事をする!

そのワクワクとドキドキと不安が解かるかしらん??
私の夢の一つが、いま一歩を踏み出すのだ!
いや、半歩かな。

もしもね、真っ直ぐな道を歩く人生だったなら、
私は、ここまで頑張れなかったかもしれない。

遠回り道を、すごく悔しかったり、後悔してみたり、
人の倍もの時間をかけなくちゃいけなかったりして、
ときには、くじけそうだったけれど。
私は、なんとか大学を卒業し、なんとか憧れの仕事に就きそうだよ。

まだまだ入り口で、これからも沢山の努力が必要だけど、
それでも、この半歩に6年費やしたんだから。
きっと、頑張れる。





昔から言うでしょ。
『別れは、始まりなんだから』って。
だから、私は泣いたりしない。
ちょっとだけ、鼻をつーんとさせて、
胸をぎゅーんとさせて、
笑ってごまかして、さようならをするつもり。

私の、4年と5ヶ月弱に。