先日に読んだ海堂尊さんの本、『ジーン・ワルツ』。
大学でのレポート課題にもあった『代理母』を
題材にした本である。
私は、代理母に賛成でも反対でもないし、
実を言うと、どうしたらいいのか判らない。
私は、子供が出来なくなってしまったけれど、
それまでは、そんな問題はどこか遠くの世界の出来事みたいに、
まるで他人事みたいに、身勝手な解釈によって問題を考えていたと思う。
誰だって、普通に結婚して、普通に子供が生まれて、
そして、平凡な家庭生活を営みたい。
もし、その一つでも適わなくなったのならば、きっと、そのときに、
人は初めて、『普通』というものの重さを知るだろう。
人並みの幸せ、というものの実体は、どこにあるのかを。
感情的に『代理母』を考えると、
倫理観とか、道徳的なものとか、一体どうなっちゃうの?みたいな、
なんか曖昧な表現でしか、問題を言い表せない。
そこまで、人が介入していいの?という恐れもある。
理性的に考えると、医療の進歩に法整備が追いつけないだけ、って思う。
だって、生きている人の命をいくらでも延ばそうとするだなんて、
ちょっと前なら、倫理観はどうだ?って議論されてた。
臓器移植、脳死判定、もっと前なら人工呼吸器、人工透析。
でも、『代理母』には問題がある。
生まれた子供が健康体ではなかったら、どうなるのか?ってこと。
それが解決できなくちゃな。
いつだって、人は生きようとする。
そして、周りで生きる人たちも生きて欲しいって願う。
小さな命を救いたい、これからがある若い命を救いたい。
大切な人を失いたくない、愛している人を失いたくない。
その気持ちに、ただ医療は応えてきた結果なのだ。
自分がそんな目に遭っていない人たちは、言う。
『人の命を操作するだなんて、倫理やモラルはどこいった?』
想像してみたら、いいのに。
いま隣で愛する人が死にそうなときに、その言葉を言えるだろうか。
同じように、自分の愛する人が、自分の大切な家族が、
子宮を失い、絶望の淵に立たされたとき。
あなたは、どう寄り添えますか。
簡単にノーだなんて、言えない。
いけないことだ!って言うのなら、
人工呼吸器で助けるべきじゃないし、
誰の命も、操作すべきじゃないんじゃない?って。
簡単に答えは決められないけれど。
生まれてきた命は、どんなふうに生まれてきたとしても、
ちゃんと、守ってあげなきゃいけない。
ちゃんと、考えてあげなくちゃいけない。

