私の短気は長らく忘れ去られていたが、
久しぶりに、私は本気で怒っている。

教師というものは、何も聖職者であれ、とは言わない。
ドライであろうが、情熱を燃やしていようが、
そんなものは、どっちだっていい。
志高くあれ、とまでは求めない。
そして、現在の教師という立場がどれだけ苦労するか、
解かっているつもりである。

けれども、教える、という立場で生徒の前に立つことで、
自らが高みに立った気分ではいけない。
子供たちが従順に言う事を聞くからといって、
それは、己の権力でも名誉があるわけでもなく、
ましてや、優越感に浸るためでもない。
指導をするときの、自分の中で生まれる誇らしさ、
説教するときの、隠れた自己的満足感。
自分は、生徒より上にいる人間だ、という思い上がり。

そういった教師の云う正しさ、なんて、嘘だ。
私は信じないし、そんな正しさは許さない。
自分の狡さを、子供たちのせいにするのは
教師でなくとも、許されるものではない。



百歩譲って、
全部、子供たちに責任を押し付けて、
子供たちに、死ね、と言い放ち、
気に入らない子は退部させる、ことが
彼の方針で、これまでそうしてきた、というのなら
教師を辞めるべきである。
なぜなら、彼の云う、そういった自己の正当性など
誰も納得しないからである。

子供が納得できないことを、大人が納得できないのは道理である。

誰も納得できない正しさは、正しいわけもなく、
そんなものは、独りよがり、あるいは独善と云うのだ。
むしろ、『人に死ぬと言ってはいけない』と教えなくてはならない教師に、
誰が、あなたは正しかったと言えるのだろう。




私は短気なので、とにかくグーパンチである。
グーパンチでハイキックである。
その後、八つ裂きにしてみじん切りにして、
ハンバーグにして、
『先生、これは材料が悪いのですか?腕が悪いのですか?』
『これは、材料が悪いのです。安ければいいってモノじゃありません』
『ということは、これは生ゴミとして処分して宜しいですか』
『そうですね~、それ以外に方法はありませんね』
『このように、材料が腐敗しているとダメと云うことですね』
『そうです、決して食してはなりません』
『解かりました。今日は先生、どうもありがとうございました~』



はぁ・・・・・

でもその高い高い大切な自尊心を、鼻ともどもへし折ってやりたい、
そんな衝動に駆られたのは、私だけじゃなかったみたい。






私が、何を目的として生きているのか?と訊かれたら、
それはきっと、答えられないと思う。
大半の人がそうなように、私にもそれは判然としない。
何か夢があるのか、何か目標があるのか、と言われれば、
うーん、・・・無きにしも非ず。

では、そのことに対して徹底しているか、と思えば、
実際はそうでもない。
いつだって、ユラユラ揺れているのだ。
漠然としてみたり、キュッと縮んでみたり、
それはもう、そのとき気分でいくらにでも変われる。
そんな、思いなのだ。

それでも、星の王子様に出てくる薔薇のように、
私の持つ薔薇の一つに、その思いが入っている。
私の時間をかけた薔薇を、私は大切にしたいのだ。


その薔薇を、私がどれだけ大切に思うかなんて、
本当のところは解からない。
けれども、絶えず薔薇はそこにあって、決して忘れたりしない。
それならば、私はその薔薇を枯らすことなど、
きっと、考えられないんだろうと思う。





私が、誰かの薔薇を、私の薔薇と同じように
守ってあげられたらいいのに。
ずっと、ずっと、守れたらいいのに。
そしたら、きっと、枯れたりせずに失わないのに。
そしたら、悲しまずに済むかもしれないのに。






先日、リストラの嵐となった社内で、
最後の出社となった同僚と二人でささやかな送別会を開いた。
何度も何度も行われる送別会に、私は出席し、
いつもは顔を出さない私なりの、出来る限りの労いなのである。

こんな状況じゃ、って嘆くことも出来るんだろうけれど、
いつだって世界は困難な問題を抱えてるんだ、とか思えば、
私たちは、きっと歴史的な場面にいて、
それは、私たちの時代が終わろうとも人類の歴史に残るのだ、
と、おおよそ意味の解からない名分で納得させようとする。



昨日は、産休に入る同僚のため、昼休みに花束を買いに行った。
思い立ったが吉日!とか考えて。
赤ちゃんの匂いがしてきそうな春の花束をこしらえてもらった。
花は、もらう方も渡すほうも、なぜかドキドキさせる。
そういう魔法が、花にはあるのだ。

彼女が育休から復帰する頃、私はもう社内にいないだろう。
ちょっと寂しいような、ちょっと幸福感をもらえたような、
残されたほうも、少し複雑になるけれど。
リストラで同僚がいなくなってしまう中でも、
彼女が産休でいなくなることは、つかの間の安堵に思えた。




なんだか色々なことが終わった途端に、
いろいろな事が変わってしまって、
私のお豆腐みたいな脳みそが回らない。
悲しさだって、じゃぁ悲しいってなんなの?って、
よく分からないところに引っかかってしまう。

若い頃には、私の考えや行動のすべてが、
いつかは何処かに通じて、
そして何かを変えることも出来るんじゃないかって、
根拠の無い強い気持ちや意思があったのに、
今では切ないぐらい、それだけじゃダメだってことが分かる。


だからなのかな。
晴れた日の空の下にいると、なんでも出来そうな気がする。
何とも云えないあの万能感が、あの頃の私を思い出させてくれて、
それだけで、幸福感が募ってくるんだ。