ろくじょうのおとしあな -20ページ目

あ。






世界が青くて
「各停新所沢」の電光をつれてゆく
おかしいでしょう、
雨に濡れているの
雨に濡れても全く平気なの
おかしいでしょう、
2ヶ月前の私の呼吸器官とも
世界の青さとも
全く
変わっていないはずなのにね。

きょうを引き伸ばす












空白と、
眠気と、
それを埋められないわたしのあらゆる無力と、
へいたんなことばと、
頭の上の温度の、規則正しい





















いやいやそんなの敗者の言い訳ですよ
ブラウン管の向こうのひとはわたしのことなんて知らないんだから
だから、無力でもばかみたいでも恥ずかしくてもかけなくてもかかなきゃ
欠けなくても




夜更かしのひとりごと。





今夜の月は低い 低くて立体的
あれは穴ではないな。












bccksに公開している詩集「とじない」に書評を書いていただきました。


http://bccks.jp/bcck/35517/review


圭一さん、ありがとうございます。
肉まんへの過剰さが無意識だった自分に気づき、私を抑圧しているのは食べ物なのかもしれない、なんてなんて。


詩の批評はたのしいです。
書くのも読むのも。
自分の書いたものに評をもらえるのってうれしいものなのだなと実感しました。
読んで、何かを感じた方がもしいたら(いたらすごくうれしい!)何か一言書いて頂けたらとても喜びます。



ちなみに評を書いて頂いた浅葉圭一さんは小説を書いている方です。
小説、評論、セルフライナーノーツなどなど色々活動的でおもしろいです。見習いたいほどアクティブです。


浅葉圭一さんのブログ
http://ameblo.jp/djamila/
(リンク貼るのまずかったら言ってください!ごめんなさい!)
















モーモールルギャバンってすごい。なんか。と思った夜1時。



おわりに反射する




毎日毎日、あしたの夜をまちわびている
でも夜になるとまた、あしたの夜をまちわびなければならなくて
金曜の夜は月曜の朝の憂鬱を同時に内包している



(世の中にはこんなに月曜の朝が憂鬱なひとばかりなのに、どうしてうまくいかないのだろうか?
わたしの憂鬱の相手も、同様に月曜を憂鬱に思っている(確率がとても高い)というのに)











本日はライブを見に行きました。千葉の稲毛へ。
アナグラム。
http://www.myspace.com/anagramspace



良いライブでした。
丁寧で、一音一音が切なくライブのおわりにむかっていた。ように気がした。
たのしかった。にこにこしてしまった。


おわってほしくない、と思うライブは久しぶりだった。気がする。
なんでだかここ最近は、どんなにすきなバンドでも良いライブでも、終わるとほっとする。なぜだろう。










それからカレーを食べました。駅前の「シバ」にてコールマンチキンカレーを。
http://r.tabelog.com/chiba/A1201/A120104/12000017/


コールマンってなんなのかしらと思って調べてみたら、骨付きチキンカレーのことらしい。
なるほど。
そうするとアウトドアブランドのcolemanはどういう意味なのでしょうか。人名?


くたくたにかたちをなくした野菜の甘みでした。
煮込むことは圧倒的に正しい、
くたくたであることに悪いことなんてないですもんね、だって。
たまねぎマリネとチキンの皮の部分を一緒に食べてるときが最高でした。











ことばにすることができないことは、ことばにすることができるのだろうか。












あまりにしずかすぎる夜なので、音楽を聞いている。
埋めるみたい
埋めるみたいだ、
時間を、この夜を、膨れきらないかわいそうな胃を。
長い長い巻物の、早く最後を見たくてしょうがない
おわってしまったらおわってしまうのに。のになあ。












携帯電話につけてたカルピス君のストラップが取れてしまった
あ。と思ったら外れてしまった。
カルピスについていた緑の髪の男の子のストラップ
色のついたプラスチック
事実は事実、


でもこれを書くだけで、かなしい事実だ、と思うひとが確かにいる
要するに書くことに意味がある
書くことに感情を扇動する力がある


この間岡本太郎展を見に行ったときにも同じようなことをひっそりと思っていた
作品自体にものすごく惹かれたものは実はなかったのだけれど、何か満ち満ちているエネルギーには惹かれる。
それってなんだろう、って思って
それは点ではなくて、大きな流れそのものであるような気がした。
時代に生きること、ルーツを探ること、表現を続けること、
その、余裕のないがむしゃらなエネルギーがうつくしくて泣けた。




私は取れたストラップを本棚の蛙の横に置いた
おんなじみどりだしね。
モノにあまり思いいれを持ちたくないものだと思った
だってモノは壊れてしまうからね。
私の頭がとても冷静に、とても大丈夫だ、と思った。
不自然すぎるほどの正確さで、正確を越えてしまった、その感じね。











ことばにできないことを、ことばにすることはできるのだろうか。














自らの皮膚を削り取って血を見るような作業がやめられなくて
これだからネット社会ってこわいですね
つたわっているのかつたわっていないのかの一か百かの実験を
そう、こちら側はある意味でとても安全
血は流れるけど決して死なないとわかっている
そういうやさしさの中にわたしはいる
実験の結果は知らなくていい、知らなくていい、
わたしはいつまでも妄想の中に生きている
事実なんて本当はどうでも良くて、
本当はすべてのひとをわたしの物語に組み込んで支配したいだけなのかもしれない。