雪を待っていたわけではないけれど
「こんな具合でどうですか?」
できあがった花束を浩一に見せる。
「そうだね。聡美(さとみ)に似合うと思う」
「そうですか? よかった」
成(なる)がほっとして笑みをこぼす。
浩一は代金を支払い、花束を受け取る。
「成」
「……はい?」
浩一に名前を呼ばれ、成はためらいがちに返事をする。
彼女の頬はうっすらと赤くなっている。
「僕が君に花を贈るのに違和感があるなら、君が僕に花を贈ればいい」
「……え」
「君にとっては、いい人は雪がつれてくるんだろ? 僕のいい人は君だから、雪に見立てて白い花束を持って僕を訪ねたら?」
「……なんなんですか、それは」
うー、とうなって成は顔を赤くしたまま浩一を見上げる。
浩一は彼女を見て楽しそうに笑う。
「まあ、今のは単なるたとえ話だけれどね」
「たとえでも言わないでくださいよぉ」
そんな気恥ずかしいことをさせられるのかと思いましたよ、と成は文句を言う。
成の言葉に、浩一の笑みはとまらない。
「浩一さん、いい加減笑うのやめてくださいよ」
「君がおもしろいから」
つい笑ってしまった、と言って、浩一は目を和らげる。
成はまた、うー、とうなってしまったが、他の客がいることに気づき、はっとして表情を改める。
浩一も他の客に気づき、それじゃあ、と言って、店の出入り口に行く。
「また花が必要になったら来てくださいね」
「うん、また」
じゃ、と手を挙げて、浩一は店を離れる。
またのお越しを、という成の声が背中から聞こえた。
成が接客する様子が気になり、浩一は少し歩いてから立ち止まり、店を見た。
店の中に成はいなかった。
成と面差しのよく似た女性が、仕事着のエプロンを着て接客している。
店の外に立って、浩一はその様子を呆然と眺めた。
女性が店先に出て、またのお越しを、と客に言っている。
お辞儀していた頭を上げたとき、女性が浩一に気づき、目を丸くしている。
「…もしかして、日野浩一さん?」
名前を当てられ、浩一はわずかばかり目を見張る。
「成から写真を見せてもらっていたんですよ。お会いするのは初めてでしたね、成の母です」
浩一も名を名乗り、お辞儀する。
「成さんは、いらっしゃらないのですか」
浩一の言葉に、成の母親は、驚いた顔をする。
「あの子、あなたには告げていなかったんですか」
浩一は嫌な予感を抱き、動悸が激しくなった。
「成は、あの子の父親の実家へ行ってしまったんです」
私と夫はもうずいぶん前に離婚しているんです。
離婚してから、あの人との連絡は途絶えていたんですけれど、ついこの間、あの人が倒れたという連絡が病院から入ったんです。
あの人には頼る親類がいなかったらしく、それならと、成があの人のところへ行ったんです。
最初は、私が行った方がいいんじゃないか、って言ったんですけれど、お母さんにはお店があるからと言って、聞かなくて。
慌てて出て行った様子でしたけれど、そうですか、日野さんに何も告げずに、あの子は出て行っていたんですね。
あの子に代わって、お詫び申し上げます。
成がいつ出て行ったのかを聞いたら、三日前と答えが返ってきた。
成の父親の実家というのは、交通網が複雑な場所だった。
「彼女が、いつ、帰ってくるか、わかりますか?」
浩一がそう聞くと、成の母親は首を横に振る。
「こちらから電話をかけて聞くんですけれど、あの子自身も、いつ帰ってこられるのかわからないと」
「そうですか」
お役に立てず申し訳ありません。
いえ、お気遣いなく。
二人はあまり感情を交えず会話を終え、お辞儀をして浩一は店を離れた。
浩一は自宅に向け歩を進める。
自分の父親が倒れたと聞き、成はどう思っただろうか、と彼の思考はそのことで占められていた。
そのときのことを想像すると、浩一には初めて成に接したときの、背中を向けてしゃがんでいる姿が浮かんだ。
どこか頼りなく、孤独を背負っているような小さな背中を、浩一は想像の中でじっと見つめた。
「兄貴」
背後から声をかけられ、浩一はゆっくりと振り返る。
居間の入り口のふすまに、妹の聡美が立っていた。
彼は今しゃがんでいる状態のため、自然と彼女を見上げる形になっていた。
彼と目が合うと、聡美は彼に近づいた。
「兄貴。迎えに行かないの」
その言葉を聞き、浩一はまた外に顔を向ける。
「兄貴はいつだって、成さんの行動を認めて、成さんを縛ることはしてこなかった。今だってそうだ。本当は連れ戻したいのに、それは成さんの本意じゃないから実行していない。でも、もう充分だよ。兄貴は一年待ったんだ。もう、迎えに行っていいよ」
聡美はそう言うと、浩一の隣に座った。
二人並んで静かに降り注ぐ雪を見つめる。
「成さんにとって、いい人は雪がつれてくるものなんでしょ」
聡美の言葉が、浩一の中にしみ込んでいく。
浩一は一度目をつぶり、ゆっくりと息を吐き出すと、おもむろに立ち上がる。
「いってらっしゃい、兄貴」
聡美の言葉を背後に聞き、浩一は家を出た。
最寄りの駅に向かい、浩一は歩を進める。
雪の降る勢いは変わらないが、まだやむ気配はなかった。
白い息を吐き出し、うっすらと地面に積もった雪を踏みしめる。
傘は持ってこなかった。
ただでさえ雪のせいで視界が狭くなっているのに、さらに狭くする必要はないだろうと、浩一は考えていた。
最寄り駅のすぐ近くの踏切に引っかかる。
電車が三本通過するのを見届けると、遮断機が上がる。
上がりきる前に足を踏み出す。
「どこに行くんですか?」
背後から声をかけられ、浩一は踏み出した足を戻す。
「そっちに行かれたら困るんですよ」
さくさくと地面を踏みしめる音が近づいてくる。
浩一はゆっくりと振り返った。
「何をしているの」
「いや、別に何ってほどのことは何もしていないですけれど」
「君って本当、期待を裏切るよね」
「どういう意味ですか、それは」
「そのままだと思うけれど」
しばらく見ない間に頭のねじでもゆるんだ? と浩一は首をかしげる。
失礼ですよ、とふてくされた声が返ってくる。
「おかえり」
「……ただいま」
「なんで、連絡をよこさなかったの」
「……決まり悪くて」
何も言わずに出て行ってしまったのに、どの面提げて連絡しているのって言われそうで、ともごもご言う。
「どの面提げて帰ってきたの」
「……浩一さんはそっちですよねぇ、やっぱり」
わかってはいたんですけど度胸がなくて。
ははは、と乾いた笑いを付け加える。
「で」
「はい?」
「それは?」
あ、やっと指摘してくれるんですか、と少し声の調子が浮上する。
「わたくし、相模成は、畏れ多くも日野浩一さんのいい人に認められましたので、雪につれられて舞い戻ってきました。これはその証です。どうぞ受け取ってください」
成はそう言うと、腕に抱えた白い花束を浩一に差し出す。
浩一は成の顔と花束とを交互に見る。
「……何その芝居がかった語り口調」
「いや、そっちの方がおもしろいかなぁ、と思いまして」
「君って本当、たびたび変だよね」
「浩一さんもなかなか変ですよ」
二人はじっと相手を見合う。
「……成」
「はい?」
「いい人の意味はわかったわけ?」
「わかりましたよ」
だからこれを差し出すんです、とにっこり笑って成は告げる。
ふぅん、と呟いて、浩一はそっと花束を受け取った。
「受け取りましたね?」
「受け取ったよ」
「これで浩一さんも、私のいい人になりましたね」
相思相愛ですね、とうれしそうに成が言う。
知らなかったの? と浩一が意地悪げな笑みを浮かべる。
そのやりとりに、二人は同時に笑いをこぼす。
「おかえり、成」
「ただいま、浩一さん」
二人はお互いの手を取り合い、ゆっくりと歩を進める。
二人が歩いた後には、雪に混じって白い花びらがはらはらと舞い落ちた。
完