雪を待っていたわけではないけれど





昇降口に向かって並んで歩く。
「日野先輩」
「何?」
「図書準備室で勉強していたって言っていましたけど、受験勉強ですか?」
「この時期にそれ以外あるの」
「いえ、あの、日野先輩が勉強している姿って、見たことがなくて…」
図書準備室ではお茶を飲んでいるか本を読んでいるかだったし、と成(なる)が小声で続ける。
「あの場所は静かだからね。はかどるんだよ」
「そうですか。…日野先輩も、受験生なんですよねぇ」
「…何」
「いえ、なんか、寂しいなぁって」
意外な言葉を聞き、浩一はまじまじと隣にいる成を見た。
「だって、受験が終わったら卒業じゃないですか」
「そうだね」
「図書室の主がいなくなるなんて、変な感じなんです」
主なんですからずっといてくださいよ、と成はどこかふてくされたような声音だった。

また意外なものを聞いたと思い、浩一は思わず立ち止まった。

少し先で成も立ち止まり振り返る。
「どうしました?」
「…君、そんな風に思っていたんだ」
「…悪いですか」
「いや、そこまで僕に気を配っていたとは、思わなかったから」
驚いているだけ、と言うと、日野先輩でも驚くんですか、と成が驚いて言う。

失礼だよ、と浩一が言うと、すみません、と成は素直に謝った。
「高校、この中学の系列校で、そこにも図書準備室にキッチンがあるんだよ」
「じゃあ、高校でも図書室の主をするんですか」
「当然でしょ」
さらっと浩一が答えると、成がほっとしたように笑った。

本日初めて見る笑顔で、浩一の方もほっと息をついた。
「あ」
「何ですか?」
「君、さっき腕を枕にして眠っていたでしょ」
「ええ、まあ、そうですけど…」
「制服の痕、額についてるよ」
「え!」
カァッ、と成の顔が真っ赤になり、口をあんぐりと開けている。

浩一は彼女の様子を気にすることなく、彼女の額に手を伸ばす。






ベシッ、と小気味よい音を立てて、成は額をはたかれた。
「痛!」
「合格おめでとう」
成の額をはたいた浩一は、平坦な口調でそう述べる。

成は額をさすりながら、うー、とうなり声を上げて、浩一を恨みがましく見上げる。
「なんではたくんですか」
「いや、あまりに満面の笑顔で駆けてくるものだから、前髪もきれいに流れていたからね、はたきたくなった」
「そんな理由ですか、ひどいですよ」
「そんなにひどくないよ」
大袈裟じゃない? と続く浩一の言葉を聞き、成はムスッとする。
「日野先輩はひどいですー」
「何? そんなこと言うなら学校案内しないよ」
嘘ですっ、ごめんなさいっ、と成がすぐさま謝る。

その様子がおかしかったのか、浩一がプッと吹き出し、クスクスと笑う。

成は、カァッ、と顔を赤らめながらも、やっぱりきれいに笑う人だな、と浩一を見上げて思っていた。
「今から学校の中見る?」
「いいんですか?」
「いいから言ってるんでしょ。どこから見たい?」
「もちろん図書室と準備室ですよ」
「何? 居座る気?」
「そりゃあ、当然ですよ。私は図書室の主の相棒なんですから」
「いつからそんなものになったの」
「日野先輩が中学を卒業した後からです」
中学三年では私が図書室の主をしていたんですよぉ、と続けると、へぇ、と浩一の返事があった。
「君って物好きだよね」
「日野先輩ほどじゃないですぅ」
「…やっぱり学校案内をやめようか」
「ごめんないっ、すみませんっ、口が滑りましたっ」
成が慌てて言うと、ははっ、と浩一は声を上げて笑った。

そんな風に彼が笑う姿を見るのは初めてで、成は、うわー、と小声で呟きながら、顔を赤くしていた。

声を上げて笑うと、年相応の表情になるんだ、と新たな発見に成の胸は温かくなる。
「まあ、いいや。こっちにおいで」
「はい」
少し先を行く浩一に、成は彼の斜め後ろに位置してついて行く。




「ここが図書準備室」
浩一に案内してもらった図書準備室を見て、成は、おお、と声を上げていた。
「さすが日野先輩、中学の時の図書準備室と大差ない配置具合ですね」
「僕が過ごしやすい部屋にしているから」
さすがですねぇ、と呟いて、成はきょろきょろと辺りを見回し、窓辺の棚を見て、あ、と声を上げた。
「あの鉢植え…」
「ああ。まだ枯れてなかったから、僕が卒業するときに中学から持ってきた」
「私はてっきり捨てられたんだとばかり思っていましたよ」
成の言葉に、まさか、と浩一は呟く。
「もったいないって、言ったでしょ」
それは今でも有効だよ、と浩一は続ける。

成は、カァッ、と頬を赤らめて、ありがとうございます、とぼそぼそと礼を言う。
「そこら辺に座って。お茶入れるから」
「えーっ、そんな、いいですよ、わざわざ」
「さっさと座って」
「……はい」
相変わらず有無を言わせないですよねぇ、まあ、それが日野先輩ですけど、とぶつぶつ呟きながらもいすに座る。

それを聞いていたのか、簡易キッチンにいる浩一がクスクスと笑っている。
「白玉団子があるけど、食べる?」
「食べます! 好物です!」
「君って現金だよね」
お茶は渋ったくせに、と続けられ、成は、うー、とうなっていた。
「はい、お茶と団子」
トンと長机に浩一が湯飲みと皿を置く。

ありがとうございます、と言って、成はお茶を飲む。
「久々に飲みますねぇ、日野先輩のお茶」
やっぱり美味しいですよ、と言って、成はにっこり笑う。
「まさかご機嫌取り?」
「違いますよ。正直な感想です」
「ふぅん」
成は白玉団子も食べ、にこにこと笑みを浮かべている。

彼女の様子を見ていた浩一が、ふっと柔らかに微笑む。
「そんなに言うなら、またいつでもおいで」
成は少しの間固まり、顔を真っ赤にさせて、照れ隠しに浩一に拳を振り下ろす。






ダンッ、と音をさせ、扉が揺れる。

振り下ろした成の拳が赤くなる。

ギリッと歯をかみしめ、もう一度拳を振り上げる。
「それ以上やると、骨折するよ」
振り上げた成の腕を浩一がつかむ。

成は一度ビクリと震えた後、体から力を抜いて後ろを振り返る。
「日野、先輩…」
成は思いの外情けない声が出て、顔をゆがませる。

成をじっと見下ろしていた浩一は、つかんだ腕をそのままに、こっち、と言って、彼女を移動させる。

成は腕をつかまれたまま、素直に浩一の後を歩く。


浩一がつれてきたのは、運動部が使うシャワールームだった。
「タオルと着替えは僕のを使えばいいから」
そう言って成をシャワールームに押し込む。

成は、ありがとうございます、と呟いて、シャワーを使う。

汚れたバケツの水を浴びせられた頭を、早く洗い流したいと、成は思っていた。


浩一のジャージに着替えた成がシャワールームから出てくると、浩一はまた成の腕をつかんで移動する。

成は何も言わず浩一についていった。



続く