前回のブログでは結果オーライではあったが、結局あの週は水曜日だけの登校で終わった娘。

友だちと仲が良いから行けるとか、わだかまりがあると行けないとか、友だちだけが原因ではない。

学校が合わないのだと思う。

一つ一つは大したことない問題でも、モヤモヤすることがたくさんあるから、学校が合わなくて行きたくなくなる。

その一つはやっぱり学習だろう。

 

後悔しているのは、やっぱり九九ができなかった段階で発達相談に行くべきだったなあということ。

様子見とか言って先送りにした私のバカ。

 

先日、待ちに待ってた発達検査を受けてきたけど、結果が出るのは年末で、この後諸々の手続きを踏んでも、支援学級を利用できるのは来年の9月から。

九九の段階で相談していたら、今頃は支援を受けて、今ほど学校嫌いになっていなかったかもしれない。

まあ、過ぎたことはしかたがない。

これからどうするか。

 

特別支援の内容が上の子の時よりも手厚くはなっている杉並区。私はまだ全然情報を追えていない。追えてるつもりだったけど、理解していない。

特別支援学級と特別支援教室とがあって、意味が違うとか、今日やっと意識した。

不登校界隈のベテランな気持ちでいたけど、全然何も知らない初心者のようだ。

情緒障害と発達障害は別なのか?

 

などと、ブログを書きつつ、特別支援や情緒学級について検索していたら、文科省の情緒障害についての文書に行きついて、その中の一文に引っかかった。

 

引用元の10ページ https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2014/06/13/1340247_12.pdf 

不登校
 不登校の要因は様々であるが,情緒障害教育の対象としての不登校は,心理 的,情緒的理由により,登校できず家に閉じこもっていたり,家を出ても登校 できなかったりする状態である。そして,本人は登校しなければならないこと を意識しており,登校しようとするができないという社会的不適応になってい る状態である。 したがって,一般的には,怠学や学校の意義を否定するなどの考えから,意 図的に登校を渋る場合は,学校に登校しないという状態は類似しているが,こ こでいう情緒障害の範囲には含まない。 不登校には,生活リズムの安定や自我,自主性の発達を促し,家族間の人間 関係の調整を図るための指導や配慮などが必要である。

”怠学”なんて言葉、変換もできないのだけど、これ最近できた言葉?酷い言葉だな。

結局のところ、怠けているかどうかは他者から評価されてしまうこの世界。

 

上の子は確実に、登校しようとするができない状態だったから不登校。

でも下の子は、登校しなければならないことを意識はしているが、登校しようとしないように見えるときがある。

”怠学”とは、周囲から見て「行く気もやる気もなさそう」に見える子、のことらしい。

うちの娘が怠学と言われたら否定できないかもしれない…

でも怠けているのか、怠けているように見えるのか、周りからは同じに見えても本人には抱えている問題が隠れているかもしれない。

私も親として、かわいい娘を擁護したい気持ちだから、学習に困難さがあるのが理由、などと思っているけれど…

怠けているのか?

漢字を読む練習はできるけど、すごく嫌がって、渋々ドリルの1ページ分だけを1日1回口頭で練習するのみ。

音読の宿題は、教科書は読まずに、お気に入りのこびとづかん「こびと大図鑑」の説明文を1つだけ読んで音読したことにしている。

算数はたまに、親の目を盗んでこっそり答えを写して終わったー!と言ったり。

漢字の書き取りも、できないわけではない。覚えられないけれど、書き写すことはできる。でも最近サボりがち。

これは怠けなのか…

 

私が過保護なせいで娘が怠けているのだとしたら私のせいだし。

厳しくするのが子どものため、という昭和の価値観が正しいような気もしてくる。

でもでも、追い詰められて自己肯定感下げて生きていくのはしんどいから、できないことがあっても、できることを褒めて伸ばして得意なことを仕事にして生きていけるように育てたい。

世の中そんなに甘くない、という言葉が頭に浮かぶ。

 

正解なんてないけれど、こんな社会で娘は幸せに生きていけるのだろうか。

 

私のメンタルがまたひどく低下中でネガティブが止まらない。

そろそろメンタルクリニックに行かないと、子どものサポートできなくなりそう。