勝頼の自刃、ナゼ棲雲寺なのか | 明日通信

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 秋号に掲載する短い歴史物語を今書き上げた。

 題材は武田信玄と共に甲斐武田を戦国の雄に育て上げた武田勝頼が、何故、老いるに早い37歳で妻子を道連れに自刃に追い込まれたか。

 

 父信玄に「武勇に優れた息子」と言わしめ、嫡流義信をおいて家督を継ぎ、父以上の活躍をみせながら、最後は、背走の中で頼みとした高殿城の小山田信茂にも入城を断られ、天目山棲雲寺で妻子の死を看取り、自ら命を絶たざるを得なかったのか、戦国の誰もが恐れる武将の最後にしてはあまりに粗末な死を、「ナゼ」の視点で書き上げた。

 

 五、六冊の単行本や歴史書、雑誌を読んで、僕自身の覚えを確認しながら一気に書き上げた。

 しかし、それにしても

 「命は安いな、でも、権力のために何千の名もない人たちがそのために命を落としたとすれば、贖うには小さすぎる」、書き上げて複雑な気持ちでパソコンの画面を覗き込んでいた。