明日通信

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あすへ...

 

 今朝の天気予報は好天。ただ寒暖差大きい。朝起き掛け、部屋温13度、午後20度を越すとか。

 昼食を終えて二階のベランダからの眺め。手前の公園、川向こうの遊歩道の桜満開。わがいなか町で新聞表示されるのはもう少し山手、息子の家の近くの神社を囲む桜並木。「満開」と記されていた。

 ならば“温暖”で以ってなる我が家周辺の桜は満開のマンカイだ。

 明るくキレイ。

 

 だけどちょっぴり寂しいのは遊歩道や公園の通りを埋める桜はソメイヨシノ。5年、10年前の写真は満開の桜が道を蔽い、向こうの景色を隠すほど。ところがここ数年、一つ一つの木は満開だけど黒く曲がった枝が見えるほどやせ細ってきた。篤志家によるジンダイアケボノサクラが百数十本、植樹され早、花は開いてきたけれど育ちは遅々、一帯を蔽い尽くすのは高齢の僕には遅すぎるかも………しかしともかく、今年の我が家周辺の桜は満開、見ごろを迎えている。

 

 

 

 昨夜はスワローズに土壇場の逆転サヨナラ敗け。

 「なんじゃこりゃあ!」だったけど、こう言う敗け方勝ち方、勝負事にはつきものと言うじゃあない。それが証拠にドラゴンズとの開幕初戦、カープ1対5の「もうあきらめ」の大劣勢から9回裏に追いつき、延長10回裏、ホント奇跡の逆転サヨナラ勝ちをおさめたよね。あのドラゴンズが味わった場面を昨夜はカープが味わうことになっただけ。

 

 悔しいし、残念だけどアルアルアルだ。まして143ゲーム中の5ゲーム目でのこと。これが優勝を決めるとか、CSで次の挑戦へすすめなくなるとか、Aクラス残るかどうかで敗ければBクラスに落ちるという終盤の戦いとなれば重い問題だけど、いまならドンマイドンマイだね。

 

 ただ問題は今晩の、そして今晩からのタイガース戦だ。というのも、気になるのはスワローズとの第一戦、二戦は雨天中止、第三戦のカープの選手のゲームに臨む表情や雰囲気。明るくない、元気がない、闘志が感じられない。それにつけスワローズナインはホームグランドという利点があったかもしれないが笑顔で、映し出されるベンチの中が明るい。同じ開幕ゲーム三連勝同士なのにエライ違いに見えた。

 

 開幕前の評論家の順位予想は昨シーズン成績同様、5位カープ、6位スワローズ。この中で変わったのはスワローズの監督だけ。つまり両チームとも失うものはないといっていい。

 スワローズは失うものがないから“それ行けやれ行け”で明るく元気で燃えている。

 

 カープの選手もそれが求められるのに、言われるところの「お葬式のよう」。僕は9回裏ワンアウトの後、オスナと向かい合う森浦の逃げの投球に「このバッテリー(森浦、石原)は失敗、同点、サヨナラ敗けになる」と隣で応援する家内に説明した。

 弱気でいかにかわすか、逃げるかが見て取れるんだもの。

 

 でも、さっきも書いたようにこういうケースあるある。だから悔しいけどもう終わったゲーム、すっかり忘れて「さあ次」だ。

だから今夜のタイガース戦。カープの先発床田。タイガースは難敵村上。打撃の調子が上がらないカープにとって厳しいゲームになるが、勝ち敗けの前に明るく元気に、闘志を掻き立て挑んでほしいね。相手は昨季の日本チャンピオンだから果敢に挑戦する気概でないとファンも燃え上がらないよね。

 

 監督の新井さん、今年は厳しくとのことだけど、選手がプレーで固くなるようなムードをつくってはダメだよね。本来の新井さんのいいところは明るく優しいところ。いい場面で選手の先頭になって喜びはしゃぐところ。マネジメントの一つの“ツボ”でもあるけどね。

 

 「話すことの二倍、人から聞く」

 

 紀元前4世紀、ギリシャの政治家デモステネスの言葉です。

 

 「話すことの二倍、人から聞くべきである」

 

 今から二千数百年前の人、すでに進んだ都市国家ができあがっていた時代の政治家とはいえ、AIと歩む今の我々からすると知識の豊富さにおいて“未開”に近い時代の人に思えます。しかし、逆にその分だけ人として、人同士が寄り添い、助け合って社会を形つくる一人の人間としての在り様の大切さに気づいていたということです。

 

 自己表現、自己主張は決して間違いではないけれど、まわりの人の思いや願いに耳を傾け理解すること、そうあってこそ、また自分が“活きる”ということですね。

 

 さて、僕自身は…ずいぶん人の話を聞くようになりましたが、まだ未熟です。

 新社会人として春、巣立った人たちにかみしめていただきたい言葉です。

 

 「いちばん多忙な人間が…」

 

 19世紀、スイスの神学者アレクサンドル・ピネの言葉です。

 

 「いちばん多忙な人間がいちばん多くの時間を持つ」

 

 ですよね。

 たくさんたくさん考え、たくさんたくさん仕事する。そんな人はその決断の速さ、処理の速さで時間を濃密にし価値を上げます。

反対にひと言目に「時間がない」とボヤく人、時間に気を取られまた、機を奪られ、考えることもできず、仕事もはかどらず、時間をムダに消耗しているということでしょう。

 

 時間は忘れるものです。忘れる人にこそ時間は寄り添います。

 

 最近の外出の用といえばほとんどが“お医者さん”。気軽に“おいしゃさん”と口にできるのは月一回、降圧剤を処方していただくとか歯の掃除とか、ともかく軽いものだが、といってこのためにノコノコ出かけるというのは結構煩わしい。

 

 その煩わしいことを10日だとか20日だとか飛び飛びに通ってたらこれほどムダなことはない。そこで勝手に一週間前後の日を「“お医者さん”週間」と決め、集中によって後の数週間を自由枠にすることに成功した。

 

 「あ~これで少しはのんびり」

 と喜んでいたのだが、世の中簡単にそうはさせてくれない。なんやかや雑事が出てきて振り回されることに。

 先日のわが“ポンコツ”車の故障がそう。外見立派。中身も長年乗っているのだが快調。しかも先月、車検で整備と安心していたらアレレレレ、アクセル踏んでもパワーが出ない。外出帰り、我が家の近くまで来て「も~アカン」と通りの自動車さんへ

 「発電機が機能してまへん」というので、仕方がない預けて帰った。

 

 その車が昨日朝、「なおりました」の連絡。すぐそこでも出かけなければならない。ゼニも片手の臨時出費。遊ばなくなって孫たちにもっと奮発分を少し削ることになった。身を切る改革ではなく「身を切る雑事」に走らされた。

 

 そして今朝、予約していた携帯ショップへ。昨年末、家内と一緒に携帯を新しいものに変更した。その際、色々付帯費用があり前の支払いからするとかなり高め。詳しい近くの息子が明細をチェック。不要なものが色々くっついていおり、4月1日の見直しの日に「カット、修正してもらうように」との“命令”。

 年寄り二人、そんなこと一切無知。煩わしい雑事だけれど夫婦でノコノコ出かけた。

 

 結果、毎月の支払の3分の1ほど減額。

 「え~こんなに!?」

 

 息子は「ショップはだましているわけではないよ。しっかり説明して、判断を仰いでいるはず。それを『いいよ、お任せ』としたから積み上がり大きな金額になったと思う」と。

 確かにそうだった。僕は早く終わらせて帰りたい。それで「いいよ、任せる」の結果が少し多めの支払額に。でも今日は単位は異なるが片手に余るカネが返ってくることに。年間を通せば車の発電機代を超える金額、「もうかった~!?」雑事であった。

 

 今のところ、もう雑事はない。ゆっくり机の前に座って次のこと考えるかあ、だ。

 で、次、何しよう、何がエエかなあ。