中也の「春と赤ン坊」「また来ん春…」 | 明日通信

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あすへ...

 

 三月の予定も残り二つ三つ、終わったら旅どこ行こう?

 北へか西か。地図を広げて先ず暖かな西へ。とりあえず「鉄道旅行地図帳」の山陽線の線路をたどりつつ我が広島を通り越して山口へ。この地も線路伝いに「隈なく訪ねたな」指でたどっていて山口線の湯田温泉でピタッと止まってしまった。

 

 思い出した「そう春や、中原中也や」

 

 ずいぶんむかしになるが、家内と蒸気機関車に乗り、途中から萩の松下村塾を訪ね、帰途、バスで秋吉台、秋芳洞をまわって起点にしていた湯田温泉のホテル「ニュータナカ」へ。帰阪する日の朝、ホテルから100mのところにある「中原中也記念館」へ。

 

 しかし遺稿の詩に衝撃を受けることになった。春を題した二編である。忘れられない。

 「春と赤ン坊」、「また来ん春…」

 

 「春と赤ン坊」は生まれた小さくてかわいい我が子に思いを寄せながら詠ったのかもしれない。どこかに可愛く、喜びが故の怖さも感じられる。

 

 しかしその可愛い我が子が一歳だったか二歳だったか突然、亡くなってしまった。その悲しみを詠ったのが「また来ん春…」だ。

 

   また来ん春と人は云ふ  しかし私は辛いのだ

   春が来たつて何になろ  あの子が返つて来るぢやない

 

   おもへば今年の五月には  おまへを抱いて動物園

   象を見せても猫(にやあ)といひ  鳥を見せても猫だつた

 

   …… ……

 

 胸を締め付けられる思いで記念館を後にしたが、あの衝撃は今も鮮明である。