山田太一は多くのドラマを世に出してる。
彼は世情の移り変わりに敏感で、それを背景としたドラマを創作してる。
日大名誉教授のこうたきてつや氏は言う。
(山田さんは一貫して社会から置き去りにされるものを描きました。同時に、誰もが心の抱えた悲しみを真摯に見つめてた)
山田は大学卒業後、松竹映画に入社する。
そして、(二十四の瞳)_で知られる木下恵介監督に助監督として師事し、大きな影響を受けた。
木下恵介と共に独立して、画期は木下に促され執筆した(3人の家族)_だった。同時期に放映されてたドラマは大家族が中心。
現実は核家族が中心だから、不自然さを感じて(3人家族)_を描いた。
山田は時代や世相への嗅覚は抜群だった。
(男たちの旅路)_では特攻隊で仲間を見送った男が、戦後の浮かれた世の中に背を向ける姿を描いた。
当時、戦争を体験した世代と戦後生まれの世代で価値観の衝突が多かった事から着想した。
また、(車輪の一歩)_では身体障がい者の問題を取り上げた。
人に迷惑をかけて悩む車椅子の青年に(ギリギリ迷惑をかけても良いんじゃない)_と諭すシーンがある。
当時は今と異なり、バリアフリーなど無く、差別や偏見のあった時代。山田の予見性には驚く。
また、山田の代表作でもある(岸辺のアルバム)_では大胆なテーマを提起する。
それまでの和やかなホームドラマとは対照的に不倫やレイプなど過激な演出が盛り込まれ、平均視聴率は14%を取り、テレビの各賞を独占した。
77年だから、日本の家庭は豊かになり、性への開放感が活発になった時代とも重なったと思うかな~? 60年台にツィッギーの来日でミニスカートブームも広がってた。
79年、共通一次試験の導入で大学のランク付けで、学歴差別が社会問題となった。同時に大学生のテレビ離れが進んでた。
それらを踏まえ83年からの青春群像を描いた(ふぞろいの林檎たち)_だ。架空の4流大学に通う男女が懸命に生きる姿を描き、大ヒットした。
山田は他にも多くのドラマを世にだしたが、
彼は彼自身の嗅覚で世の中を分析して、問題作品を世間に問うたのかな~?
僕も上記の作品は皆んな観たよ。まぁ、山田の作戦に乗ってしまったけど、面白かったよ。
特に、(岸辺のアルバム)_は少しドキドキして観たかな~。
ありがとうございました。感謝、感謝👻💞