僕は29歳でようやく某女子中学、高等学校に赴任しました。驚いたのは給料の安さと、生徒の教育カリキュラムのいい加減さでした。


 何年かはこんなもんだろうと納得してました。しかし、数年後に或る契機から組合を結成して、教師や生徒を取り巻く環境を改善しようかと考えました。


 公立学校は(日教組)_が上位団体でしたが、私立学校は共産党系の(私教連)_が上位団体。

僕たち3人は密かに私教連の幹部と連絡を取りました。


 そして、組合結成の方法、運営、学校の理事会との交渉の仕方〜を教えて貰いました。


 準備段階で学校側に知られると、潰されたり妨害される危険性が有り、3人での秘密行為だったのです。

 そして、Yが委員長、Wが副委員長、僕が書記長との三役を決定したのです。


 3人で組合員になってくれそうな教師の名前を上げて、秘密裏に声掛けをして、12人の組合員を獲得したのです。教師は48人居ましから四分の一人ですが。


 そして、或る年の9月、3人で団結権としての結成組合の書類と団体交渉の日程と要求書を理事長と校長に提出しました。流石に3人とも緊張しました。


 理事長と校長は何で〜との表情で驚いてました。或る意味で組合結成は学校への反逆ですからね〜?


 最初の団体交渉では本校の給与体系がいかに低いかを都内の私立高校の給与体系を資料として提出して、給与体系の見直しを学校側に迫りました。


 何回かの団体交渉を経て、給与体系見直しを合意したのです。

 今迄は理事会がいい加減に教職員の給与を決めてたのが、労使合意がないと决定出来無いので大きな成果でした。


 其れまでは都内の私立高校では最下位に近い給与体系だったけど、徐々に上昇して僕が退職する頃には中位になってた。


 生徒のカリキュラムも随分手直し出来た。

大学進学希望の生徒と就職希望者に対して、選択科目も希望実現に向けて増やしました。


 二週間に一回位の団体交渉をしましたが、

手痛い失敗をYがしてしまった。或る交渉で学校の体制が(上意下達)_になってると批判してけど、(ジヨウイゲタツ)_と言ってしまった。


 すかさず、校長が(Y先生、貴方は国語の教師でしょう。ゲタツでは無くカタツと言います)

だってさ。Yの表情が固まっていました。


 僕は嫌な予感がしました。案の上、Yはその年度末に辞表を提出して、学校を去って行きました。周りの教師から(何かあったの)_との質問があったけど沈黙でした。


 Yの気持ちは嫌と言うほど分かります。

僕も彼の立場だったら、同じ行動をしたと思ってます。でもさ~? かなり辛かったです。


ありがとうございました。感謝、感謝💤😂