オーストラリアGP-決勝 | 亜洲虎のブログ

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1997年前に心筋梗塞を患い、2006年までEDだった私。

2007年にある漢方に出会い、37歳差の彼女をゲット。

決勝は日本時間24日(日)13時にブラックアウトを迎え、1周5,278mのコースを58周する事で争われた。現地メルボルンは晴れ、チャンピオンシップポイントを争うレースのフォーメーションラップは気温20℃、路面39℃のドライコンディションで開始された。

 

 

公式タイヤサプライヤーのピレリは最も柔らかいレンジのC3からC5までのコンパウンドを投入。10番グリッドのアロンソと16番グリッドのヒュルケンベルグはハードを、大部分はミディアムを履いてグリッドに着いた。

 

11番グリッドのハミルトンと最後尾18番グリッドのリカルド、パルクフェルメ規定違反によるピットスタートの周冠宇(ザウバー)はソフトを選択した。ハミルトンだけは1つポジションを上げたが、他はポジションを上げる事ができなかった。

 

連勝街道まっしぐらのフェルスタッペンが早々に姿を消すというドラマチックな幕開けを経て、最初にピットストップに動いたのはリカルドだった。ソフトスタート戦略は功を奏さず、6周目にタイヤを交換した。

 

ハミルトンは8周目にピットストップを実施。2周遅れでタイヤ交換した角田裕毅をアンダーカットするも、17周目に最終セクターでクルマを止めリタイヤした。メルセデスはパワーユニットにトラブルが発生したと説明した。

 

VSCが導入され、第1スティントを引っ張っていたドライバーにチャンスが到来した。不運にもラップリーダーのサインツはこの直前に交換を行った。アロンソ、ヒュルケンベルグ、ガスリーの3台は10秒ほどのアドバンテージを得てタイヤ交換義務を消化した。

 

29周目、マクラーレンはチームオーダーを発動。母国レースのピアストリに対し、よりフレッシュなタイヤを履くチームメイトを先行させた。ノリスは2位表彰台を目指してルクレールよりコンマ2秒速いペースを刻みギャップを縮めていったが、脅かすには至らなかった。

 

37周目、8番手を走行していた角田裕毅が2回目のピットストップを行い10番手でコースに復帰した。前をゆくストロールはその2周後にピットストップを行い、アンダーカットを防いで角田裕毅の前方2.2秒の位置でコースに戻った。

 

ピアストリは最終2番目のコーナーで芝生に飛び出した後、約4秒を費やして新品タイヤに交換。一旦はラッセルにポジションを奪われたが、すぐにコース上で抜き返した。

 

サインツはタイヤを上手くマネジメントして第2スティントも長く引っ張り、41周目にハードタイヤに履き替えると、リーダーの座を維持したままコースに戻った。

 

メルセデスは1ストッパーへの変更を検討したが、46周目にラッセルをピットに呼び、ハードタイヤを履かせて7番手でコースに送り出した。

 

ピエール・ガスリー(アルピーヌ)は前日に続き、ピット出口のラインを跨いでコースに入ったとして5秒ペナルティを受け13位でフィニッシュした。