想うとき  | あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

旧タイトル
あしたうさぎの朝ごはん ー野菜ごはん、ときどき、好きなこと。ー

足りないものを補い身体を整える朝ごはん・・・の事を書いていたけど、2020年から以外の事を書く機会が増えました。写真の著作権は放棄していません。ご使用ご希望の際はご相談下さいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

日曜日(19日)は

 

ヒューマントラストシネマ有楽町に

 

『 家族を想うとき 』を

 

観に行きました。

 

 

 

骨董市を少しだけ見てから

 

向かう道程の最後、

 

有楽町駅前(ITOCiA)の広場を

 

足早に横切る時にも、

 

 

足元のタイルの中に

 

「桜の花弁」を探すのを忘れない。

 

 

 

 

 

 

 

ささやかだけど良い記憶がある

 

その場所では

 

人の往来がいつも多いのに

 

 

カンヌでパルム・ドールを

 

争った映画も

 

その一角の70名程のキャパの

 

箱(スクリーン)で上映されます。

 

 

 

 

だからこそ

 

是非ともその存在を

 

「知ってほしい」と思う。

 

 

 

 

それでも今回のこれは

 

私の普段ここに書く「もの」と

 

比べればずっと多くの人の

 

心に寄り添う物語

 

なのではないかと思います。

 

 

家族の物語だから。

 

 

 

 

 

 

 

一人一人の気持ち。

 

それぞれの行動の理由。

 

家族同士の関係性。

 

 

 

観ている時間ずっと

 

「わかる、わかる」と頷き、

 

 

たとえ自分とは違う考え方でも

 

「そういう人は周りにいた。」

 

「家族の中にいた」と思える。

 

 

(その両方が一つのコミュニティ

 

 ・・・家族・・・にいるから

 

 幸せという方向にみんなで

 

 向かっているはずなのに

 

 ぶつかり合うのでしょうけどね。)

 

 

 

だからでしょう。

 

現実の生活の中でも

 

自分がそうしていたように・・・

 

「どうにか良い方向へ」と

 

願わずにはいられない物語でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、物語の核になる

 

この家族を「取り巻く現実」も

 

現在の私たちの周りの状況に

 

とても近いもので・・・

 

 

 

 

「家族」を描く中で

 

その小さなコミュニティだけでなく

 

もっと広い世界の事も描いてる。

 

 

「家族」を描くために

 

それを取り巻く広い世界の事を

 

描いてる。

 

 

 

(そういう面では『万引き家族』

 と似ていて、でも大きく違っても

 いて。こちらは逞しく生きるしか

 ない登場人物の中の「狂気」に

 近いもの、前半に限ってはまだ

 そこまで感じません。だから

 個々の人物への愛おしさの方が

 勝るかな。社会自体に潜む

 「狂気」は同じようにあります。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数が多すぎて掃除する時に

 

とても時間がかかるから

 

普段は箱にしまってある

 

ぬいぐるみ。

 

 

それをいくつか出しました。

 

おチビちゃん達が家に来るのに

 

合わせて。

 

 

 

その時自分の為にも

 

(写真に写り込んでいる)

 

うさぎの母子(親子)を

 

出しておきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

映画の中の家族では

 

母と娘の心情が自分に近く

 

寄り添いたくなるのでした。

 

 

 

「父と息子」の気持ちは

 

わからないのでは無いけれど

 

見ているともやもやもしちゃう。

 

 

それはきっと、あの「母と娘」が

 

そうであったように。

 

「父と息子」。その本人たちさえ

 

そうで「あったように。

 

 

 

 

 

(魅力的なお菓子の箱が昨日また

 家にやって来た。埃を払う・・

 仕事が一つ増えるので・・・

 でも愛おしい!困ったー。)

 

 

 

 

 

 

 

登場人物と自分の距離が

 

ずっと近いままの自分の心が

 

物語から抜け出るタイミングが

 

無いままに

 

 

 

「厳しいけどこれが今の現実」

 

と監督に突きつけられ、

 

 

 

「このままでいい?」と胸ぐらを

 

掴まれるようにして見た

 

ラストシーンの背景は

 

見覚えのある場所でした。

 

 

 

それによって観る側は

 

家族たちのその先の道程を

 

予想出来てしまう。

 

 

 

 

 

 

 

人も物も数が増えるほど

 

エネルギー(魅力)も増えるけど

 

複雑さが増すのよね。

 

想い合うほどに、少し

 

厄介にさえなってね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桜の花弁を探す。

 

 

有楽町の駅前の雑踏で

 

本物の桜の花が開く前の冬の

 

「雨や曇り」の日にこそ

 

意識的にその幸せな経験を

 

積み重ねていけたら。

 

 

 

だから、そういう私たちが

 

その先の未来を夢見る余地の

 

残る社会でないとね。