解禁   ー 靴下と、梅干しと玄米 ー | あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

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旧タイトル
あしたうさぎの朝ごはん ー野菜ごはん、ときどき、好きなこと。ー

足りないものを補い身体を整える朝ごはん・・・の事を書いていたけど、2020年から以外の事を書く機会が増えました。写真の著作権は放棄していません。ご使用ご希望の際はご相談下さいね。

 

 

 

 

氷、解禁。

 

 

 

 

 

 

 

 

絹などの靴下の重ね履きを中心とした「冷えとり」を

 

夏も(「は、特に」・・かな?)意識してやってきたから

 

 

いくら暑いとは言っても

 

朝からこんなに氷の入った飲み物がある食卓なんて

 

もう何年もなかったのです。

 

 

 

 

 

 

(夜は麦の香りの炭酸系のお飲み物を飲みますし、朝でも冷汁とか

 素麺とか・・・料理で氷が出ることはありましたけどね。)

 

 

 

 

 

 

その「靴下事情」(2018・夏)。

 

 

 

 

なんとびっくり、

 

この夏は履いていない日が本当に多いです。

 

(去年からはもうすこしずつそんな日もあったのだけど。)

 

「今年は1日エアコンの部屋の中にいる日があっても」です。

 

 

 

 

 

でもそれは、

 

もしかしたら以前のように

 

冷えを感じにくい身体に戻っているせいもあるのかもしれないから、

 

まだ様子見。・・・思い当たる節はあります。

 

 

だから手放しに「卒業!」とはまだ喜べないのだけど、

 

エアコンの温度設定は28度くらいが多い。

 

上半身の姿勢や呼吸、または土踏まずを意識するようにして

 

今のしっかり自分で熱を生み出せる体調を保とうと思っています。

 

 

 

 

 

 

もちろん、

 

冷えに気づいて履く日もあるし、

 

寝るときは少なくても2枚。

 

 

そして電車で出かけるような時も冷房のきついところが多いので、

 

しっかり履いていますし、

 

 

甘く甘く包み込むように足を冷えから守る生活は

 

「ほぼ卒業」だけど、

 

(ヨガをやめてから)筋肉がすっかり落ちてしまっているので

 

そこは忘れないようにしないとね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、

 

写真の7月9日(月)の朝ごはんは、

 

夏の定番「冷たいゴーヤチャンプル」を

 

食べました。

 

 

(ゴーヤ、麩、豆腐、卵、塩、酒、かつお節の粉、油で作ります。

 

 冷たくなっても脂がないので固まらない。あっさりとした味は

 

 茶碗蒸しに似ています。)

 

 

 

飲み物は氷を入れていますけど、それは

 

 

 

(いつものように)水筒でお茶を作り、

 

そのまま入れると熱々・・・それがこの日はすこし

 

いやだったから・・・。

 

やはりしっかり冷たいものは外でよく歩いて

 

汗だくの時とかに限られるかな。

 

 

 

 

 

 

・・・なーんて、かなりたくさん入れたから、

 

この日のはしっかり冷たくなってしまったのだけど。

 

 

(「いつものお茶・・・ケツメイシとレモンバーム」だったか、

 

 麦茶だったかは忘れてしまいました。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、ごはんはちゃんと温かいですよ。

 

 

きざんだ梅干しと、

 

唐辛子の味の韓国のりのフレークをかけて。

 

 

 

(つゆだくにしているから薄味でもごはんのおかずにしやすいのに、

 この日はちょっと水分がすくなめ。よそるのがへたでした。)

 

 

 

 

 

おかずは

 

何年もの間、今まで何度となく登場したものだけど、

 

玄米ごはんに梅干しがのる「絵」は、

 

こちらではそうはなかったはず。

 

 

 

 

マクロビオティックでは定番のこの組み合わせ、

 

それでもここには登場しない。

 

 

そういう事があるんだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなふうに、

 

梅干しと玄米の組み合わせもこの夏

 

 ” すこし ”解禁になりました。

 

 

 

とは言っても、

 

「味」の点でずっと避けていた組み合わせなので

 

正直まだちょっと舌が敏感で慣れないところもある。

 

ただそれは第一の理由の「味」に関するある事柄とともに、

 

もうひとつ・・・これは

 

私の食生活によるところ(舌がどんな味に慣れているか)も

 

大きいから、

 

この偉大なお二方のせいではないのです。

 

(自分の問題です。)

 

 

 

 

 

 

 

(「玄米」と「梅干し」。

 

 この歴史的な「解禁」についてはすぐに

 

 ・・・きっと書きます。たぶん。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もともと20年前くらいに知ったマクロビオティックの

 

「自分がいただく命に感謝するところ」や、

 

(私は今日はわざと「解禁」なんて言葉を多用しているけれど)

 

「禁止事項のない」大らかな考え方好きですが、

 

 

人にはいろんな考え方があって、

 

でも目の前にいるその人の事も否定しない事が

 

ひいては自分も否定しない事につながるようなことも

 

そこから感じ取った事。

 

 

 

だから、私の知らなかった新しい考え方を話す

 

「大らかな人」に出会えば

 

それぞれのいいところをしっかり聞きとって

 

「すごい!」と思っていたいです。

 

 

なかでも自分以外の人が自分自身の体のために

 

よいと思って、楽しんでしていることに関しては、

 

それプラス「いいね!」と思いながら聞きたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはその人の事情を細かいところまでは

 

私は知る由もないから・・・というのもあるし、

 

(私自身が自分の事を「うさこちゃん」のように

 

 口をバッテンにして本当に話さないのです。)

 

 

「楽しくやっているんだね。よかったね。」と。

 

 

 

(もちろん、そういう「幸せのため」・・・と言っては

 

 多額の費用を必要としていることを

 

 せっせとやっているのを聞いたのなら、

 

 「それは必ずしもそうではないかなあ。どうかなあ。」・・・と

 

 うたがってみる事をすすめる事はあります。)

 

 

 

 

 

 

 

 

でも本当は、

 

たとえその目に悲しみを感じる事はあったとしても

 

そこから立ち上がり本当にいい顔をして生きている人というのも

 

あるでしょう?

 

その今の姿は、そのやわらかな顔に全てがあらわれているから、

 

私は好きでついつい見ちゃうし、

 

今のそのままの姿でいてほしいと思うから・・・という・・・

 

 

 

私の個人的な好み(あら!)も大きいのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生の半分(!)体調を崩していて

 

とにかく体調を整えたいと思ってきたのだけど、

 

それはようやく大きな喪失感を味わってから

 

そこから立ち上がる事によって

 

立て直す事が出来ました。

 

 

もうまちがいなくその不調の理由となっていたような

 

「必要のないもの」は

 

身を切るような思いで何年もかかって捨てて、

 

それは自分がたぶん人生で一番大事に思い

 

力をそそいでいたからこその喪失感でした。

 

 

(ここでの「もの」というのは・・・はおおむね「物」ではなく

 

 「人」です。周りの人々が口を揃えて言うようなことを

 

 早くに信じてもよかったかな・・・と過去になった今は思います。

 

 もし逆の立場でも私は人にそう言うだろうに、

 

 自分自身にだけそうすることを禁じていたのかな。

 

 ほかのことはゆるいのに。)

 

 

 

 

 

 

 

 

それで今度はとにかく自分自身を第一に

 

靴下の力も借りて甘やかしてきたけれど、

 

「靴下を履かない日があっても大丈夫な生活」も

 

いよいよ「解禁」。

 

 

(素足である事だって「禁止事項」ではないし、

 

 「履かなくてはいけない」わけでもなく、

 

 「履いたほうがいいな。」と思うから履いていた。

 

 だから「解禁。」これはおかしい表現。

 

 それをまたわざと言ってみました。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はすごく暑くなりました。

 

暑いけれど汗をかいた時に

 

氷の入ったのみものを飲めたことを

 

本当に幸せに思いました。

 

 

 

 

 

今は、自分よりも周りの人を気遣ってばかりいて、

 

がまんばかりを強いられている人がのではないかと

 

気がかりです。

 

遠い場所で力のない自分ができることは

 

結局はいつも同じ手段になるけれど、

 

それでも、体調が戻ってきた私が

 

冷たい飲み物を美味しいと心の底から感じることのできる今日は、

 

どうやったら力になれるかを考える1日です。