ただそそぐだけ | あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

旧タイトル
あしたうさぎの朝ごはん ー野菜ごはん、ときどき、好きなこと。ー

足りないものを補い身体を整える朝ごはん・・・の事を書いていたけど、2020年から以外の事を書く機会が増えました。写真の著作権は放棄していません。ご使用ご希望の際はご相談下さいね。

 

 

 

 

 

元気そうな人は「明るい」というわけではなく、

 

『 今、元気な状態 』なのです。

 

 

 

「それはとても素敵なことだね。

 

 よかったね。嬉しいね。」

 

 

側にいたら一緒にウキウキしてきたりします。

 

 

 

 

 

 

そして、

 

 

元気がなさそうな人は、「暗い」わけではなく、

 

なにか悲しいことが起こって、今は

 

『 悲しいという心の声が外にもれだしている状態 』なのです。

 

 

 

これには

 

「よかったね。」

 

と声をかけるわけにはいかないけれど・・・、

 

 

 

 

 

 

たとえそれが言葉でなく外見から感じられるという程度のものであったとしても、

 

「あの時心の声を外に出しておけてよかったね。

 

 みんながあなたを気にかけてその中の誰かはきっと声をかけてくれたでしょう?

 

 そうでなければずっと1人で抱え続けなければいけなかったかもしれないよ。」

 

 

 

と。

 

いつかその人が悲しい状態から抜け出せた時に言いたいです。

 

それを聞いて、「ああそうだな。」と思えるまでになっていたらいいね。

 

 

 

 

 

 

 

元気なのか。元気がないのか。

 

外見からはわからない人は・・・

 

 

その人もきっと『悲しい』を抱えている人。

 

 

 

 

 

 

 

それがどれくらいの大きさなのかは、

 

誰にもわからない。

 

わからないけれど、本当の大人はそれを推し量る姿勢を見せることができる。

 

それはきっと自分も通って来た道だから。

 

 

 

いくら推し測ってもその悲しみの本当の大きさはわからないけれど、

 

 

相手が頑張ってることはわかるから

 

「大丈夫だよ。頑張ってるね。」

 

と声をかけることはできる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今の私の役割から考えて今言えることは、

 

 

「とりあえず食べなさい。

 

 明日からどうしようとたくさん考えるためにもこのご飯を食べなさい。

 

 でも行き詰まったらまずは今日のために食べなさい。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月5日(月)

 

 

 

 

そら豆のクミンシード炒め

 

また作ってありました。

 

 

 

前の日には1人で食べたあさりのお味噌汁もありました。

 

 

いつものお茶。ケツメイシ、レモンバーム。

 

 

 

 

 

 

あとは胚芽押麦入りの白米と茗荷ときゅうりを使ってさっぱり食べたい。

 

 

今の私たちのためのご飯なら、

 

とくに「元気」でなくていい。

 

今日もまっすぐ歩いていけること、それだけを願ったから、

 

こんなあっさりご飯になったのでしょう。

 

 

 

 

解凍した木綿豆腐がすこし残っていたのを、

 

菜種油と、生姜、にんにく、紅芯大根の甘酢漬けにしたものを刻んで一緒に炒めて、

 

酒、醤油で味付け。

 

 

きゅうりと茗荷を刻んだものをまぜてご飯にかけました。

 

 

 

 

 

そら豆とお味噌汁がしっかりとした味だから、

 

あっさり寄りそうくらいにできて大満足。ごちそうさまでした。

 

 

 

 

 

今、自分の目の前にいる人の顔。

 

 

それはその人の今の「状態」であって、

 

それがその人そのものの姿ではないのだと思うのです。

 

 

 

 

その時々で見え隠れするどの「状態」も、その人全部をあらわしてはいない。

 

明日は、あなたや私に何かが起こりそちらの側に立つかもしれませんね。

 

慎重にでも、さりげなく観察。

 

横に並んで一緒に歩く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらりとするのは難しいことだけど

 

推し量るために他の方法よりもすこし有効なのでは思っているのが、

 

その人の横顔を見ること。

 

 

相手がこちらを意識していない一瞬にこぼれだすものを拾い上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、7月6日(木)だんな君が出張中の朝5時。

 

雲が映り込む川のなかでは、

 

 

 

 

 

ハゼはその姿をすっかりとらえるのが難しい。

 

 

 

大きな亀だって、こうして撮るのがやっとです。

 

 

 

 

 

 

 

 

早くに起きすぎてあとがちょっとこわいけれど5時になるのを待って

 

出かけたお散歩。

 

 

私はじーっとのぞきこんで観察。

 

今日は観察して見守らせてもらうけど、

 

明日は私が誰かに観察され見守られるのかもしれません。

 

それともあちらが私の方をじっと観察してくれているのかもしれません。

 

 

 

 

 

雲が切れたら・・・、太陽が姿を現したら・・・、

 

今日よりはもうすこしその全容が明らかになるかもしれないけれど、

 

この子たちが何を思っているのかはやっぱり推し量ることしかできないから、

 

じっくり見守らせてもらい、

 

たまには・・・推し測ってもらうこともあるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういうお仕事をしていました。

 

今目の前にある姿が全てではないと頭の片隅におきながら・・・

 

でも一部ではあるのだから、真剣に・・・、

 

言葉以外の部分からも一生懸命観察させてもらい、

 

ともに手足を動かさせて汗をかかせてもらう仕事だと思ってきました。

 

 

 

 

 

だから仕事をしていない今でも、

 

何かハプニングが起きた時、その人の今の「状態」と

 

その理由がいくつか思い浮かべて

 

では自分はそれに対して何ができるのかと考えます。

 

「元気な状態」にもどる手助け、できたらいいな、と考えます。

 

 

 

 

 

 

 

目の前に手のひらをぶんぶんと振られて、

 

「おーーーい。大丈夫かー?」

 

なんて聞かれることが多かったけれど、

 

ただボーーーーッとしているだけではないことを

 

言っておきたいよ。

 

(集中している時がある分、ほんとにボーッとしている時もあるんだけれどね。)

 

 

 

 

 

心配したりされたりの相手がもしもそこにいるのなら

 

それは幸せなことですから。

 

それはとても素敵なお仕事でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そそぐだけ。

 

ただただ、横を一緒に歩いて

 

その人が生まれた時からもっているキラキラしたものが

 

ちゃんと輝く状態に戻れるように

 

私自身をほんの少しそそぐだけ。

 

 

 

 

 

 

さあ。今週もそそぎましょうか。

 

日曜日に1日おくれで出張から帰ってきましたよ。