協力隊での2年半のスリランカ生活に

ついては、追々、青年海外協力隊のテーマで

書いていくことにする。


スリランカでの生活が終わりに

近づいていた頃、私は帰国後の日本での

生活について考えるようになっていた。


スリランカに行くのまでの自分の

経験の引き出しを探ってみたが、


①保育士→実は保育士やっていたことあり


②バイト色々

  →ファミレス、和菓子屋、

  プールの監視員、家庭教師などなど


③看護師脱落


      引き出し中身、以上。


スリランカから帰国する頃には、

夫と日本で生活することを考えており、

それには私が夫と二人、日本で生活していける

糧となる仕事を探す必要がある。


そう考えると、


③脱落トラウマ看護師再チャレンジ

しか、選択の余地がなかったのだ。


幸い、2年半のスリランカ生活により、

私の頭のネジは5本程度抜け落ちていた。


つまり、夫とさえ一緒にいることが

できれば、なんでも、どーでもよくなって

いたヤケクソ状態であったのだ。


昔の地獄看護師生活を思い出す前に、

頭がスリランカ生活で鈍っている間に

看護師の仕事を探すこととなる。



↓スリランカの紅茶畑