察する力 | 健康運動指導士〜芦田天文子のブログ

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あいつは気が利かない、と思った事はないでしょうか。先日もある職場で聞きました。新入社員が気が利かないと言うのです。新入社員なら仕方がないのかもしれません。何しろ経験が少ないですから、◯◯であればこうだろう、という推測が効かないのも無理はありません。



業務においては暗黙知であったところを形式知として、共有するのは大切であると思います。
これからは外国人も含め、多様な人間と力を合わせて働くことを想定し、言外のルールというのはなるべく減らし、何をすべきかということを可視化する事はとても大事です。



しかし、チームメイトを持たない個人事業主においては、文化の違う相手と仕事をする場合、都度全てを明文化するのは難しいと思われます。


また前述した様なチームにおいても、日々状況が変わる中で形式知とするのが追いつかない、と言った事は十分に考えられます。




では。

どうしたら察する力は伸びるのでしょう。
育成の立場と、自己啓発の立場と双方から考えてみたいと思います。





察する力を因数分解してみます。



まず、「あいつは気が利かない」となった時に表出している「気が利いていない状況」から二つの本人の状態が推察されます。


1つは、本当に気が利いていない事に気付いていなくて、本人はこれがベストの行動だと思っている場合。


2つ目は、気を利かせて行動しているつもりが、ちゃんと伝わっていない場合。

1つ目は中身の問題、2つ目はそと見の問題と言えます。




そと見の問題については、表現の方法を学ぶと良いでしょう。
例えばあなたがその人の指導的立場にあるなら、「君のその気持ちはよく分かったから、こういう風に行動するともっと伝わるよ」と示唆するのです。
おそらく本人も、気を利かせているつもりの行動が相手から思った様な良いリアクションを引き出せなくて悩んでいるはずです。
きっとあなたのアドバイスは助けに船となるでしょう。




それでは1つ目の本当に気が利いていない場合に言及します。



この原因は3つの要素に分解できるでしょう。

①経験が足りない
②知識が足りない
③人間性が足りない



一つ一つについて解説してゆきます。



①経験が足りない

もちろん経験が足りなければ分かることも少ないでしょう。

例えばピークタイムに勝手に休憩に行ってしまうと、現場の人員が足りなくて困ります。ピークタイムが分かっていればその時間を外して休憩のシフトを組む事が出来ますし、実際に他の人にピークタイムに抜けられて困った経験があれば、それは宜しくない行動だと言うことも分かります。新入社員がこれが分からないのは仕方のない事でしょう。予め教えておくのが最良の方法です。

家庭においても、トイレットペーパーを使い切って補充せずに放置するのは、次の人が大変困ると言う事が子どもには分かりません。
自分が困った経験をすれば分かるでしょう。

こんなふうに失敗をしながら経験を通じて知り得る事は、最大の財産となります。



②知識が足りない

実際に自分自身で経験をしなくても、人から教えてもらったり本で読んだりして知る事が出来ます。
また経験した事の裏付けをとったり、これから経験しそうな事を予習する事も有効でしょう。

実際に経験することなく、机上の知識のみで物事を推し進めるのは難しいことですが、経験した事と結びつけ何倍もの価値を生み出すことは可能です。
知識を学ぶ事を軽んじる事はいけません。



③人間性が足りない

足りない、というのはおかしな表現ですが、気を利かせるには足りない、という意味でご理解ください。

気質として特別に自己中心的で他人が見えないタイプの人がいます。人間性を変える事は非常に困難ですが、努力で改善できない障害などを除き、社会経験を積むうちに自分の気質を理解し、少しでも他者と適合していける様に行いを変える事は出来ます。
本当はどう考えていようと、気が利く様に立ち振る舞う事が出来る様になるのです。

本人が気づかない場合は、他者からの指摘で行いを変える事も可能です。






上記の三つの要素から行いを眺めると、気が利いた振る舞いに何が足りないのかが明白になります。


もちろん本人が気づいて直せればよいですが、職場や家庭などにおいて何らかの指導が必要な場合、どこに問題があるのかを明らかにしてポイントを押さえて指導を行えば本人も必要以上に傷つくことなく行動を変える事が出来るでしょう。



気が利かない事は、ともすると、人格攻撃となり易いですが、悪意があって不適切な行いをしている人など滅多になく、誰でもが出来たら環境に適応できるチャンスが欲しいと思っているものなのです。




本人の自覚のもとに認知行動療法で変えられればベストですが、周囲の人も愛を持って、人間を否定するのではなくて行動を改めてもらう方向に導いて行ければ良いのではないでしょうか。




男と女の間で、上司と部下の間で、コンテキスト(文脈)が分からない、と言った話を最近たくさん聞きましたが、ますます多様化が進む世の中においては『想像力の欠如』などと簡単な言葉で断罪してしまうのではなく、要素を細分化して伝わるための努力、伝えてもらえるための努力をして行きたいものですね!