今日のお昼前に用事があって家島診療所の所長をしている大学の後輩に電話をしました。
彼は30年ほど家島での診療所勤務を続け、まさしく島の医療を担い続けてきた素晴らしい後輩です。
久しぶりに聞く彼の声は昔と変わらず穏やかな雰囲気が伝わってきました。
この人柄があるからこそ長年島の人々に愛され、そして島に根付いているのだと思います。
そんな彼からビックリする話を聞きました。
私が家島にいたころ(昭和62年から平成2年)、島はとても賑わっていました。
主なる産業は石材の運搬です。
家島諸島の中のある島を削り、そこからその石をポートアイランド、六甲アイランド、そして関空の埋め立て地まで船で運びます。
ガット船と言われた運搬船が家島の港に所狭しと停泊していました。
そして船主さんの収入は一部上場企業のサラリーマンをはるかにしのぐ額だったので、皆さん生活は裕福でした。
経済基盤がしっかりしていると、人口減少もありません。
その頃の島の老齢人口比率は全国平均を下回っていたと記憶しています。
だから島には子どもがあふれていました。
私は小児科志望だったので、ちょうど島のニーズに合致していて診療所勤務は充実していました。
私の医師としての礎は家島時代に培われたと今でも思っていて、家島に対しては感謝の念しかありません。
そんな家島が今や完全に過疎の島に変わってしまったとのことでした。
顕著なのは人口です。
私がいたころ家島本島の人口は6,000人を超えていました。
それが今はその頃の3分の1になってしまい、彼が言うには「芦田さん、もう島で子どもを診ることなんて全然ありませんよ。家島小学校だって今や複式学級になってしまいました」との話です。
どうしてこんなことになってしまったかというと、それは交通の便が良くなったからです。
私がいた頃姫時と行き来する船は1日に5往復だけで片道1時間を要し、そして最終便は島を17時前に出航していました。
これでは島で仕事をしている人は家島に住まわざるを得ません。
でも今は1日に17往復もあって所要時間は30分前後、その上最終便は21時前まであります。
こうなると姫路に住居を構えても全く問題ありません。
事実家島にいた頃にお世話になった方の多くが姫路に住まいを移していかれました。
そして島の人口はどんどん減っていったのです。
便利になったがために寂れていく、何とも皮肉な話です。
それにしても35年しかたっていないのに、島の様子がそんなに変わってしまうとはちょっとショックでした。
できれば近々家島に行ってみたいです。