5日間のanti-virtual 生活についに終止符を!

まずはVAIOの故障から始まり、次にADSLのルーターが壊れ、そして電話が通話できなくなり更に新しくやってきたルーターの設定も上手くいかない。これまで「こんな風になったら困るなぁ~」と思っていた事象が一挙に我が家を襲い、正直参った。おともだちを家によんだのに結局惨事の渦中に引き入れる事となり反省…。

ルーターとの戦いはまったく小賢しく難解で、その原因は大変単純で。まさに茶番のような結末でした。結局は知識不足が問題で、パソコンを所持するというのは大変なことなんだと実感。何かあったときは自分で判断して治さないとならないし、お金かかるし。

うちまでヘルプに来てくれたおともだち、電話線かしてくれた○池さん…治ったか心配で電話までくれました。今後はこういう事態の際は遠慮せずに頼っていいそうです…、遠慮しません、もう。それから吉祥寺のラオックスのタマさん!電話機を買おうとしていたとんちんかんな親子を止めてくれてありがとうございます…。買い物しない前提でヘルプデスク並の説明をしてくれるなんて、商売っ気がないというか(もしくはその後を考える非常に上手な営業!?)親切だと思います。次の電化製品は吉祥寺ラオックスで!とにかく皆さん感謝です。

ところで、吉祥寺で小林カツヨさんに会いましたよ。彼女とはそこはかとなく共通点を感じる部分もあり…、声をかけてしまいました。昨日は憲法第9条を守るための集会があった日で、カツヨさんも合唱団で参加されていました。私も憲法9条はとても大切だと思っていて、とりあえず「ピース9の会」という会に所属しています。私は若いし戦争の経験ももちろんないので意見に力は全くないけれど、軍隊を持つのは間違っていると思う。何故なら私の世界観・哲学では、丸腰の者を襲う者は恥ずべき存在だからです。世界中が軍隊や兵器を撲滅させれば戦争もなくなるんじゃないかと考えています。まるで甘い考えかもしれません。道具がなくても思想は危険なものですから。けれど、道具がなければ物を作ることができないように、考えがあっても実際に戦う術がなければ攻撃する事はできないと思う。

そして、攻撃する事のもっとも正当化された理由は、「自分たちを守るため/攻撃されたから」ではないでしょうか。すべての国が攻撃する術をなくせば、守るために戦う、若しくは反撃するための兵器も必要なくなるのだと思う。そもそも私は反撃という考えも好きではない。反撃/復讐という思想はすべての人の中にあるものだけれど、自制心を持って抑えるべきものであるはずだし、その反撃に向ける力を第三者への思いやりに変える事ができたら世界はかわっていくと思う。

「誰かにいやな事をされたら、傷つけられたら他の人に何か親切なことをする」という私の哲学は一般的ではないしある意味ひねくれているけれど、世界規模で実行してみたらどうなるんだろうと考える。

たとえば、テロが起きたらアフリカの難民キャンプに医療チームと食糧支援のプランを作るとか、ミサイルを飛ばされたら(自分の国に飛んで来る前に打ち落とすのが必要だと思うけれど…)地雷撤去のスペシャルチームをカンボジアに送るとか…。そして助けてもらった国も支援が必要でなくなったら必ず第三国に思いやりを示さないとならない。やっぱり不可能かもしれないけれど、そういう世界があっららいいなと思う。そうしたら毎回すこしずつ、世界が健康に戻っていく気がする。

私は某代理運送業者で輸入の仕事をしている…。

輸出に替え歌の天才がいて新作(?)を転送してくれました。

同業者の方、笑ってください。

(原作)山下達郎「クリスマスイブ」

♪メンテ 夜更け過ぎに キャンセルになるだろう Wow wow 

♪Northwest Night  Oil Leak Night

♪きっと飛んでこない 一人きりの アンカレッジ 

♪Northwest Night 懲りNight

♪まだ消え残る 他社への想い

♪今度こそは 使うま~い~

♪ターミナルは Back-Log Cargo

♪二段積みの Sensitive Cargo Ah...

♪Northwest Night 飛ばNight

♪きっと飛んでこない 一人きりの アンカレッジ 

♪Northwest Night (oh year) しょうもNight......

<次回予告>
「大きなノースの古機材」平井堅

『大きなノースの古機材』 平井堅

<一番>
♪お~お~きなノースの古機材 747の機材

♪百年たまに 動い~ていた ご自慢の機材さ~

♪ボーイングの使い回しで 買ってきた機材さ~

♪今日も そう~ 動かない その機~材~

♪毎週休みつつ 四苦八苦 四苦八苦

♪着いた途端に Quick Turn Quick Turn 

♪今日も そう 使えない その機~材~

<二番>
♪真夜中に ベルが鳴った キャンセルの知らせさ~

♪メ~ンテナンスが伸び伸びで クルーレストが来ル~

♪米国へ戻るその機材 アジア向け残して~

♪今は もう 動かない その機~材~

♪今は もう 動かない……

♪その き~ざ~い~

(ロケ地:ミネアポリス)


友人が苦節3年を乗り越え医大にうかったので贈り物を買いに行った。

小児科医になりたい彼女に、私はどうしても贈りたいものがある。それはマティ・ステパネクの詩集のシリーズで、全部で三冊ある。どの本かは忘れてしまったけれど、一浪した時にすでに一冊プレゼントした。その時あげたのは第1巻だと信じ、今日2巻・3巻とCDを購入。

私は説明が下手なのであえて彼の紹介は省こうと思うけれど、簡単に言えば1990年生まれの難病の少年でいつ亡くなるのかはわからない。兄が3歳の頃なくなり、それを機に詩を書き始めた。彼の書く詩は生命への憧れと平和への渇望、そして夢に満ちていて本屋さんで手にとって呼んでいるうちに涙があふれて来た。

その彼と、以前紹介(?)したカントリー・シンガーのビリー・ギルマンが組んでチャリティーで作ったCDもある。二人は同世代の天才同士だと私は思う。マティの詩に曲をつけてビリーが歌うのだけど、マティもセリフ(?)で参加している。二人のコラボレーションで詩の世界が広がり、とても感動的に仕上がっている。ビリーも若いのにポップソングや重い歌詞のずっしりとくるバラード、ジャズにはたまたハワイアンまで歌いこなし…。恐れ入った。

マティ・ステパネクはとても賢い少年で、また死と向かい合わせの生涯おくっているためか洞察力が鋭い。私にはとうてい思いつかないような、それでいてとてもシンプルでポイントをついている詩で、明確に思いを伝えてくれる。私の友人がこの本を読んで、勉強が辛い時にがんばってくれたらとても嬉しいと思う。

私が好きな詩を紹介;

旅を信じて (2000)

まいにち

世界のみんなが

すくなくともひとつ

他の人のために

いいことをすればいい。

そうすれば、ひとりひとりの人を

助けてあげられる。

もっと自分を信じて

自信をもてば

ひとりひとりの人がはげまされて

もっともっといいことをしようと思う。

自分のため

ほかの人のために

世界のために。

そんな前むきな姿勢と行動が

ぼくたちの旅のはじまりの1歩。

世界の平和への。

世界の平和と

調和と自信は

なくてはならない。

ぼくたちの未来のために。

がまんの平和(1999)

ぼくはまちきれない

平和を広める人になることが。

ぼくはまちきれない

怒りや悪の問題に

世界が勝つための手伝いをすることが。

ぼくはまちきれない

世界が平和になり

みんながなかよく暮らすことが。

ぼくはまちきれない

大人になって

怒りや悪にうち勝つ事が。

だけど、ぼくはまつよ。

がまんして

希望と平和を胸にして。

うで時計(1997)

ぼくはうで時計をたくさんするのがすき。

理由はふたつ

ひとつは、どれもすこしちがう時間にしておくと

だれも

おくれたり、早すぎたり

時間どおりなんてないから。

ただ「いる」だけになるから。

もうひとつはうで時計をたくさんつけていると

世界中の時間をぜんぶ

ひとりじめしているみたいになれる。

それに考えずにすむ。

時間のおわりや

死ぬときのことを。

もしも……(2000)

こどものうちに治療法が見つかったら

自転車にのったり

ローラーブレードで風を切って走ることができる

自然のなかをながいながい時間、歩くことができる

10代のうちに治療法が見つかったら

免許をとって車の運転ができる

高校の卒業パーティーで

ぜんぶのダンスをおどることだってできる。

わかいうちに治療法が見つかったら

世界中を旅行して平和をおしえられる

結婚して自分のこどもをもつことができる

年をかさねるうちに治療法が見つかったら

めずらしい場所をたずね文化を味わえる

得意そうに孫の写真を見せてあげられる

生きているうちに治療法が見つかったら

いたみや機会がなくてもまいにち生きられる

命にめいっぱいの感謝ができる

天国にいったあとに治療法が見つかったら

天国にいる兄弟たちといっしょにお祝いができる

ぼくもその役に立てたってことを

それだけで、ぼくはしあわせ。

ふつうって(2001)

ふつうって、何かわからない

ふつうだって、変わるから。

このところ

かぎりなく

たえまなく

ここのところ、ずっと。

ふつうって

元気なこと……。

気分がいい、健康

こころもいい感じ。

そんなふう。

ふつうって、そういうことであってほしい。

だけど、それもいまだけ。

ふつうがふつうでなくなるって

わかっているから。

だけど、いつか

どんな理由からか

ふつうでなくなっても

大丈夫。

ぼくは、信じている。

この世のなかのすばらしい仕組みを。

自分の人生を。

孤独の国(1996)

ときどき

感じる。

孤独の国へ通じるかべを

つきやぶってしまったみたいだと。

ぼくは頭のなかで泣いている

こころのなかでも泣いている

だけど涙をださない。

どんなに悲しいか

どんなにこころ細いか

どんなにいつもとちがうか

まわりに知られたくなくて。

いつもいつもこんな気持ちになるわけではない。

わかっているけれど

いまは、こんな感じ。

こんな気持ちにはなりたくない。

いまも。

これからも。

いたみの向こうがわ(1993)

ぼくは窓から外をながめている。

うつくしいものがいろいろ目に映る。

トラック、車

花、草木

そして、人びと。

ぼくは、窓から外をながめるのがすき。

人はとてもうつくしい。

つきまとうもの(2000)

「それ」は、ぼくが1番おそれているもの

さわれないけれど、いると感じる。

ぼくのそばに「それ」がいると。

においも味もしない

だけど、ぼくのふるえるこころに

その声は聞こえる。

家族をうしなってきたからだろう。

何度も、何度も。

ぼくのおそれのはじまりは

記憶のなかのおそれにある。

それを感じると

何度も何度も手でものにさわり

何度も何度も

ドアのカギや電気のスイッチを

チェックする。

おそれにあやつられそうになるけれど

コントロールできるようにがんばる

にげ出したり無視したり

ほかのことに集中することで

ときどき立ちむかうこともある。

たとえどんなにおそろしくても。

ぼくの人生が不安だらけで

ずっとおびえていてもぼくは理解しようとする

「それ」がぼくを支配するなんて絶対にないと。

文法では

「それ」が所有格になることは絶対にないから

所有格には絶対なれない。

そのことがわかれば

あとは強く信じるだけ

「それ」がぼくをつかまえたり

支配したり

キズつけたりしないと。

いつかやっと「それ」を

やっつけられるかもしれない。

そうすればきっとたのしめる。

おそれのない

平和で希望にみちた

おだやかでしあわせな人生を

家につづく道(1996)

家につづく道は

愛のこと。

家につづく道は

いっしょにいること。

家につづく道は

ただの愛ではなく

愛しあうこと。

家につづく道は

ただいっしょにいるということではなく

ほかの人といっしょにいるということ。

とても愛している人と

とてもすきな人と

ともだちになった人と。

いつでも家につづく道は

神さまが教えてくれる

よい行いのこと。

ついに今日からはじまったコーラス。こういう音楽映画を私が見逃すはずがなく、早速観に行きました…。

今日出かけた本来の目的は映画ではなくて、友達とお買い物。けれどイクスピアリに行ったら偶然コーラスを上映していて、更に友人が早目に帰ったのでこれは今日観ろという掲示だ…と思い映画館へ。

フランスの映画は滅多に観ないので、不思議な感じでした。ハリウッドみたいに派手ではないし、もうちょっと分かりにくい。とても繊細でした。今日の映画の良いところはやっぱりクレマン先生と子供達です。クレマン先生のような温かい寮監がいる学校なら私も入りたい。そして彼から多くを学び取れるのだろうと思う。彼はとても人間らしくて温かい。そしてその分弱さも持っている。子供達にもおびえながら、その実彼らをとても愛しているのだとよく分かる。コミカルでいて繊細な感性を持ったすてきな人でした。あの先生なら一言語れば全てをわかってくれるだろう、そんなキャラクターです。

あの映画に出ている子供達は近所の学校から集めてきたらしい。そして凶暴な問題児役の青年は実際に少年院から連れてきたといいます。映画の中の歌は主役のモランジュ少年以外はみんな吹き替え。私も歌をやっていたのでその辺は観ていてなんとなくわかりました。一生懸命歌う子供達はとてもさわやかだった。

主役の少年は大分宣伝されていたけれど期待にそぐわずすばらしかった。天使もあれほどの歌声は持っていないはず。整いすぎていない顔立ちに猫背で暗い顔をしていて、何とも物憂い少年なのですが、一度歌い始めると神々しいまでに美しい。彼の声は澄んでいて高音も無理なくすっきりと出ている。そして聴かせようとして歌うのではなく、ただ歌いたくて歌っているような媚びない歌い方が透明で気持ちいい。大人になると歌には抑揚と感性も必要で、聴かせどころやドラマを要求されるけれど、彼らのような少年合唱やソロには別の良さがある。

歌というのは不思議なもので歌手が奢り始めると一度に良さを失ってしまいます。だけどその歌が好きで、自分のために歌う、自分で感動して歌うとまわりの人も聴いてくれる。今日の映画の子供達やクレマン先生は人に聴かせるために歌を始めたのではなくて、ただ歌いたかったり、ただ自分の歌を歌わせたかったりするのが動機だった。そして歌う幸福を覚えた子供達は精神的に豊かになった。簡単に言うとありがちなストーリーだけれど、音楽の本質を描いたものだと思う。

ここに出てくる子供達のストーリーはみんな悲しい。とくに悲しいのは両親を亡くしたのにお父さんが土曜日に迎えに来ると信じていつも門に立っているペピノ。5歳6歳くらいの小さな彼も途中から一緒に歌いだして、最後は先生についていく。彼の荷物は少なくて、小さなカバンとテディベアだけだったけれど、小さな彼の大きな決心を告げるには充分だった。

先生が施設にやってきた頃の子供達はどうしようもない悪ガキだった。だけど心がひねくれている子どもは1人もいなかったと思います。体罰の恐怖の中、あの子たちなりに生きていた。だからこそ音楽や新しい先生に対する彼らの反応はとても純粋で、その純粋な意気込みが澄んだ歌声を産んだのだと思う。

一度だけでは勿体ない。是非また観たい映画でした。

「世界で一番パパが好き」を観に行きました。かわいかった。

ベン・アフレックはとてもセクシーで、私もあんなにステキな独身パパがいたら慎み(?)など忘れて襲い掛かるだろうなぁと…、思いました。おじいちゃんと友達二人もいい味が出ていて、孫を甘やかしながらもきちんと育てている印象を受けました。

そしてガーティ役のラクエル・カストロの愛らしいこと!10歳にしてはだいぶ小柄だけれど、なんとなくパワーを感じる女の子。大きな瞳はきらきらしていて、子どもらしい。くるくる変わる表情もとても魅力的だし…。彼女が画面にいないとなんだか寂しくなるような、とても惹かれる子役でした。神秘的な美しさや洗練された演技は見せないけれど、何よりも子どもらしくて愛らしい。近くにいるような子どもを演じる?演じると言うより彼女そのものなのかもしれません。大ファンになりました。

子役が活躍する映画はたくさんあるけれど、私が一番すきなのは「I AM SAM」。ダコタ・ファニングは恐ろしいほどかわいいし賢そうで、パパは障害者そのもの。差別的にきこえたら申し訳ない。私はたくさん障害のある方を知っていて、障害のある子どもとも関わってきた中でいうのだけれど。私はこの映画に関しては俳優さん・女優さんの名前は呼びたくない。パパはサムで娘はルーシー。それくらいこの映画は素晴らしいのです。ベタな演出にありきたりのストーリーになりがちなテーマだけれど、あそこまで障害者を演じきれる彼はすばらしいし、ルーシーもルーシーであって特別な子どもです。(?) 同い年パパを愛しているのにもらいっ子だと嘘をついてしまうルーシーはとても切ないし、パパが読めない字を読みたくないと言うシーンは胸に迫る。けれどそんなに切ない内容なのに後味はきりっと良い映画に仕上げ、世の中は捨てたもんじゃないなと思えるエンディングにしたスタッフの技量はすごいと思う。こんなすばらしい映画は珍しいからみんなに観てもらいたい。