二度目のRiver Dance。




前に行ったときは国際フォーラムだった。


今回はオーチャードホール。しかも最上階。


奥行きはかなりあるけれど、ちょっと狭いイメージだった。


舞台もフォーラムにくらべると狭い。


けれど迫力は負けない。




アイルランド熱、再び…




River Danceは一言で言うと上品だ。


激しくて情熱的にもかかわらず上品。


そしてやっぱり、アイルランド人には誇りがあるんだなぁと体感する。


意固地なまでにまっすぐに伸ばした背中に、規則正しく乱れない動き。


誇り高い民族の踊りだと思う。




そして女性が強い。


プリンシパルの女性はかなり大柄で驚いた。


貫禄まである。可憐ではないのだけれど、踊るとかわらしさまで感じる。


だけど女王然としていて見事な存在感だ。


男性のプリンシパルも素晴らしい。あの迫力は彼独自のものだと思う。


テクニック然り。




River Danceは伝統と新しい文化の融合作品だ。


伝統を守りつつも改革を恐れない、それどころか情熱を持って突き進んでいく魅力がある。




第1部はアイルランドのはじまり。沿革。


人間と言うより、もっと原始のアイルランドの伝説の時代じゃないかと思う。


個人的には女性が文字通り男性を蹴散らして打ち勝つシーンが好き。


Scene ThreeのThe Countess Catheleenだ。


リバーダンスの女性は本当に強い。男性に打ち勝ち、時には率いて。


そしてそれを許す男性もまた、アイルランド人の紳士感なのかも。




雷からはじまる自然の表現も非常に魅惑的だ。


フラメンコダンサーと男性の群舞も意表はついているものの違和感は全くない。


そして今回のFiddlerは逸品だ。Niamh Ni Charra。13歳になるまでにもうチーフタンズやFaith Hillと競演していたらしい。見事な演奏。バイオリンが彼女の一部に見えるほどだ。


演奏するのが心底楽しそう。




2部、River Danceは大陸へわたる。国境を越えて旅に出るのだ。


アメリカへ渡るシーンは圧巻。さびしい雰囲気からバンドの演奏により一転して明るくなる。


各地の文化との融合は見事なまでの一体感。


タップダンスとの出会いが特に気に入っている。


男性同士の競争、競演。文化の意地。


しだいに互いを受け入れあってステップを真似しあうところが楽しい。


タップとアイリッシュ・ダンスは出す音が同じ場合でもステップは全くちがう。


そんな違いをうまく表現していた。タップは習ってるから少しわかるけど、やっぱりアイリッシュダンスはカッコよかった。男性はタップよりアイリッシュの方が好みだ…。


このシーンではダンスだけじゃなく、FiddleとSaxの競演の場でもある。Fiddle、Sax、Tap、Irish Danceがそれぞれパートナーを変えて競演していく様は見物だ。




ロシアのフォーク・バレエ・カンパニー。女性が回る回る…、そして男性は飛ぶ。軽やかで、本当に圧巻…。アイルランドからの移民がMouth Musicにあわせて踊るのもよかった。衣装が良い。踊りも良い。明るくて楽しいシーンだ。




そして最後にFiddleで舞台は世界観を語る。




アイルランドの女性は本当にきれいだ。


挑発的で、挑戦的でもある。


最後に、ここのカンパニーのトップになるには、かなり長身で長いブロンドが必須だ。
京都の夜、また夢をみてしまった。


彼が出てくる夢はいつもとてもリアリティ溢れる、本当に起きているような夢で悲しくなってしまう。


そしていつも、思いもよらない所で再会する夢だ。


今回は全くロマンチックじゃなかった。


券売機かなぁ、列に並んで何かしていて、振り返ったら後ろに並んでいたのが彼だったのだ。




何故彼のことだけこんなに引きずってしまうのかと言うと、それは私にもわからなくて…いやわかるならとっくに絶っているのだ、こんな悪縁。しかしコレが悪縁か否か。もしかしたら晩年に結ばれるのかも?いや、晩年だと20歳の差はキツイなぁ。今は良縁とは一切思えないのだけれど、一緒にすごした時間は最高だった。私が彼との想いをひきずるのはもう一歩進めなかっただけの為か、それとも二人で何かをなくしたような気持ちになっているせいか。それとも二人の間に何か無視できないものが未だに存在しているのか。今までいろんな男性に会って、いろんな関係を持って、多種多様な別れを経験したけれど、こんなにひきずるのは彼のみ。アルゼンチンの彼と別れることがもし生涯あるならば、もっとひきずるだろうと思うけれど、そんなことないような気がするから(?)比べ物にならない。




いつも夢の中で再会する。


それも必ず二人が知っている場所で会う。


新宿駅のサザンテラス(笑)だったり、ヒースロー空港だったり、大英博物館だったりパディントン駅構内だったり。カーディフ城だったりしたこともあるし…
金曜日の夜、仕事が終わってから夜行バスで京都に向かった。


神経質な私、眠れず夜明かし。IPodのバッテリーは臨終し、私はアイルランド音楽の達人となる。




京都についたのは7時ごろ。


泊まるところは7時から荷物を預かってくれるそうだが、行ってみると誰も姿はなく私達に反応したセンサーが唸り始める。万事休す。不審者じゃないんですけど…、まぁ無理もない。


とりあえず手近なマクドナルドに逃亡し、身づくろいおよび一日行動指針を練る。


店を出た直後にスタバ発見。あぁ無情。




駅でコインロッカーに荷物を預けてバスの一日券を買った。


一日乗り放題で500円。安い。


まずはとりあえず伏見神社に向かう。


家に一番近い神社が東伏見稲荷、つまり伏見神社の分社だから、京都に来たら最初にご挨拶にいかないとならない。けれど私はキリスト教徒だから積極的な参拝は控える。とりあえず、見物。


神楽用の楽器の写真をとりたかったけれど「撮影禁止」の張り紙。


断念しようとしたら守衛のおじさんが演奏中じゃなければ良いと言ってくれた。すごくキレイだった。




伏見稲荷のおキツネ様達は個性的だ。尻尾に急須がのっていたり、何かくわえていたり。


神馬とその子馬もいた。動物愛護精神?好きだ。


千本鳥居はとても神妙な雰囲気。むしろ幻想的。


中を歩くとうす寒いような気がする。一種異様と言うか、神がかっているというか、なんだか異世界に踏み込んだような気分で怖い。うしろから姿を持たない何かがついてきているような気分。




おみくじは、大大吉だった。




清水の名物はうずらとすずめ。


最初の店にはうずらしかなかった。骨ごと食べる。あっさりしていてとてもおいしい。


一味が個性的な味に仕立てていた。ちゃんと切ってあるからうずらに見えないし…。


すずめはかなり、姿焼きだった。怖い。


みていたらお店の人が買うと勘違い。思わず一本と答える。


だけど勇気を振り絞って食べてみたらおいしかった。試して良かったよ。多分もう生涯食べないけれど…。




近くにある東福寺に寄る。


高所恐怖症の私。橋の真ん中を歩く。まるで一休さんだ。


だけどとてもキレイだった。


橋の向こうにある庭は碁盤目にととのえてある。


鏡の国のアリスを思い出した。チェス盤の庭に出てしまうシーン。


和製アリスだ。


雨が美しく見える。




バスにのり清水方面へ。


そろそろお腹が空いた。


坂をあがる途中に平安美人としか言えない、だけどかわいい陶器の人形を発見。


焼き物って乙だ。ふっくらしていてとてもかわいい。


そして坂もとても風流だ。


途中のお店に長居してバレッタや髪留めを購入。


着物柄のアクセサリーはとても魅惑的だ。ひとつは、ウェールズに送る。




途中竹久夢二の店に寄る。


祖父が好きだと言っていた記憶がおぼろげにあって…。


ポストカードと揚げもちを購入。


おもちはさっくりしていてとても美味。揚げ物が苦手な私も気に入った。


その道沿いに高大寺を目指す。陸軍中野学校 第一期生の孫だから、記帳しないとならない。


だけどその前に腹ごしらえ。途中で鳥うどんを食べる。


青ねぎと歯ごたえの良い鶏がたくさん入っていておいしい。見本品と全くかわらないボリューム。


彩りもとてもキレイだ。




記帳を終えたら三寧坂に戻って清水を目指す。


だんだん混んで来た。


だけどちょっと横道を見ると誰もいなかったりする。


京の横道はどくとくの表情がある。




清水寺は人が多すぎるのだ…。


そして高所恐怖症の人間には自らを試す絶好のチャンス!


写真一枚とるのも命がけの気分。


まっさかさま。




帰りの三寧坂に、ビビットなカラーのポンチョを着た外国人を発見。かわいい。




祇園に下りて都路里の特製パフェ。


これだけの為でも京都に来た意味はあるでしょう。


あまりの感動に写真をとるのも忘れる。




とりあえずチェックイン。


一日降り続いた雨のせいで二人とも靴がダメになっている。


私のTricker'sもほとんど絶命状態。


だけど夕飯がまだなのだ。


涙混じりに靴を履き、再び祇園を目指す。




しるこうという小料理屋を遠い親戚がやっている。


訪ねていって名物の利休弁当を注文した。


白味噌のおつゆがおいしい。


追加料金で具のリストから選ぶこともできる。


今度はくじらやはもを食べたいな。


更に京の生湯葉とだしまき卵を振舞って頂いた。


産まれてからあんなにおいしい卵に出会ったことは、なかった。




お腹いっぱい。


宿に戻って順番にシャワー。


踊る大捜査線の映画をみる。


あの怖さが、面白いのだ。






翌朝(すなわち今日)は京都駅近辺の散策。


まず、ラーメンを食べる。


京のとんこつはあっさりしている。


かなりお腹いっぱい。




東本願寺の離れたところにあるお庭へ向かう。


とてもキレイで、広いお庭だ。


池で手をたたくと恐ろしいほど鯉がやってくる。


本当に恐ろしかった。大きいし。




なかなか粋な橋がある。


小さいけれど雰囲気がいいのだ。


携帯の写真に新しい機能発見。




蚊に食われた。7つ。




東本願寺へ向かう途中ふるいタバコの自販機を見つける。


新旧千円札、500円札って??




東本願寺はハトが多くてとても恐ろしいところだ。


だけど男前の竜がいた。




帰りの新幹線で寿司おにぎりを食べる。


すごくおいしい。


量が多いから、一個残した。




LIBERAの新しいCDを買った。今日発売。




LIBERAはとても魅力的だ。


少年合唱団と言えば少年合唱団だし、新星のジャンルと言えばそうだし。


トラディッショナルと言えば伝統的だし、全く新しいとも言えるし。




なぜLIBERAが好きなのか。


私は別に少年合唱団が好きでたまらないわけではない。


確かにイギリスの聖歌隊や映画のコーラスは大好きだけど、ウィーン少年合唱団やパリの木十字架などなど、そんなに好きでもない。CDも持ってない。


それなのに何故、LIBERAなのか。それは少年達の表情が良いからだ。


CDを聴いてるだけじゃ表情までわからないと言う人もいるけれど、わかるのだ。


歌は本人が歌いたくて、楽しくて歌っているのとそうでない時とでははっきりと違う。


LIBERAの少年達は小さいのに歌う喜びと言うか、歌というものを知っている。


歌を理解して歌う訓練を受けていて、自分達でもそれを受け入れ歌を愛しているのだ。


私はそういう姿勢が大好きだし、小さいのにきちんと音楽を理解して愛している人たちとの出会いは感動的だ。音楽をやっていた人間は音楽に弱い。そして音楽を愛するものの演奏に涙するのだ。


コンサートを観にいったら泣くかも。




LIBERAとはラテン語で自由と言う意味。


本当にLIBERAの音楽は自由だ。


ジャンルにとらわれずに子供達の声が一番活きるように創ってある。


そして子供達も歌によって解放されているかのように活き活きと歌う。


現代人はいろんなものにとらわれている。私もその一人だ。


けれどこの子たちののびのびとした、表情豊かな音楽を訊くと心が一瞬だけれど軽くなって、


「自由」を得たような気分になれる。
私はうちの子が可愛いタイプで、よその子は別にかわいくない。


うそ!?と思う人もいるかもしれないけど、実際たいして子供好きではないのだ。


はっきり言って電車の中とか外で見かけた子供をかわいい!と思ったことは滅多にない。




3月まで日曜に子供11人のクラスをもっていた。


4歳から6歳が毎週集まる。


集中力はない。子供のクラスは確か三年間持っていたと思うけれど、実際数ヶ月でもう1時間のクラスを座ってやるのは無理だと気づいた。


結局最終的にはプログラムを組んで、最初の5分は走り回る時間。それから15分は座ってシールを配ってその日のお勉強。およびお話。そして次の20分は別のお勉強を含んだお話。内容をみんなで確認したら椅子からおりて床で紙芝居と絵本の時間。そして、終わり。




毎週あぁ大変だなぁと思いながらやっていたんだけれど、実際やめてみるとさびしい。


「私の」子供達が無性に恋しいのだ。


けれど日がたつにつれて懐かしい子供は限られてきて…。


最終的に愛しい子は唯一の子だ。


何故かわからないのだがその子が愛しくてたまらない。


その子は私のクラスに入るずっと前から知っていて一緒に遊んでいた子だからかもしれない。




もちろん他の子たちも大変愛しい。


昨日久しぶりに子供達に会ったけれど、未だに駆け寄って来た子供が抱きついてくると思いがけない感情に圧倒されてしまう。よその子だとこうはいかない。私のよく知っている「うちの子」たちだから愛しいのだ。だから、やっぱり子供は産みたいなと思う…。