苦行回
始めの一歩!
カレル橋始


カレル橋はモルダウ川にかかるゴシック様式の橋。
全長516m、幅9.5m、アーチ16件、歩行者天国。
橋の両側にはしっかりとした塔が建てられていて、中世には街を守る役目を果たしていたそうです。
最初にこの地に橋が架かったのは1172年だけどその橋は1342年に水没。
その後1357年にカレル4世の依頼で建造が始まりその後60年の時を経て今の姿になりました。
この広い橋は橋と言うより広場、という雰囲気。
今では露天で絵を売る人がいたり、ジャズを演奏する人がいたり。マーケットの様な雰囲気。
建てられた当時は馬術競技(←どこでもやってるし。。)なんかにも使われたとか。

彫刻が建ち始めたのは1707年から。
特に意味はなく、ローマのサンタンジェロ城なんかに刺激された芸術家がはじめたとか。
ちなみに「カレル」は英語読みでは「チャールズ」。
チャールズブリッジ。
私は西岸から始めてます。

西岸から行くとまず出会うのが、聖コスマスと聖ダミアヌスの彫刻。1709年に建てられました。この2人は双子の内科医だったらしい。治療費を撮らずに奉仕活動をしていたところ、ローマ帝国で行われたキリスト教大迫害の際に打ち首にされたそうです。
伝説に寄る脚色はこんな感じ。
「彼らは縛って海に投げ捨てられたが天使に岸に運ばれた。次に縛り付けて火あぶりにしたけれど火は執行人に向かって伸びた。そのため総督は2人に向かって石を投げる様に命じたが石は2人に届かず最後には打ち首になった」
3世紀頃に起きた話なので、そんなファンタジーもあったのかも?
医療の守護聖人として今はしられています。

1.聖コスマスと聖ダミアヌス1709

お次は聖ヴァーツラフ。つまりボヘミア公。そう、ご当地聖人です。
ちなみにこの方、おばあちゃまも聖人として知られる聖ルドミラ。血筋ですねー。
彫刻が建てられたのは意外と遅く、1858年でした。

2.聖ヴァーツラフ1858

3件目。マタの聖ヨハネ、聖フェリックス、聖イワン。1714年。
イスラム人のキリスト教捕虜解放の為に三位一体会を創設した3名です。
写真だとわかり難いんだけど、この聖人たち、トルコ人の牢番と犬が見張る牢の上に建ってます。
除くと囚人が3人悶絶してます。

3.マタの聖ヨハネその他1714

聖ヴィトゥス。1714年作
聖ヴィトゥスは303年に迫害にあって殉教したそうです。
日本の殉教者的な感じで、彼は異教徒だったけれどキリスト教を信仰し、拷問にかけられても信仰を捨てなかったと言うタイプ。
ちなみに逃亡先ではローマ皇子が所有する「悪魔」に捕まってローマに連れて来られたそうです。
さらに拷問にかけられた時には「天使」がやってきて生地ルカニアに戻してくれたとか。
結局ルカニアで斬首されたので天使もちょっと爪が甘かった感じですね。
また観難いんだけど、この彫刻でも彼はライオンと一緒に表現されています。
これは拷問中ライオンを放たれてもライオンは彼を襲わなかった事から、だそうです。
釜茹でにされたけれど無傷ですんだ事から、釜に入った姿で描かれる事も多いとか。
聖ヴィート大聖堂は彼の名を冠する聖堂です。
俳優や喜劇役者の守護神であり、動物からの攻撃や過剰睡眠から守ってくれるそうです。
本当どんな小さい事柄にも聖人っているんだなー、と感じさせて下さる方です。

4.聖ヴィトゥス1714

聖アダルベルト。1709年作
地元っ子で別名プラハのアダルベルト。
30歳でプラハ司教となったけれど、清貧の生活を守りボヘミアで戦況を続け一度は隠者となったそうです。
その後色々あって、ボヘミアを追い出されて殉教する迄はポーランドで過ごしたのにチェコ人は列聖された途端に聖遺物を返せとポーランドに言い放ったとか。
それにあきれてポーランドのカジミェシュ1世は全く別人の遺体をチェコ人に渡した、と言う話もあります。実際に聖アダルベルトの頭蓋骨はポーランドのグニェズの大聖堂とプラハの教会の2カ所にあるそうで、本物は今の所神のみぞ知る、です。

5.聖アダルベルト1709

聖フィリポ・ベニーツィ。1714年
唯一大理石で作られた彫刻。他のとは毛色が違います。
この人は他の人に較べて結構マイナーな聖人で、それ程の偉業を成し遂げた..と言うよりは幻を観た後その読解に悩んでいると、聖母が現れてしもべを求めていると彼に言った。。。と言うサイキック系聖人です。

この時点ではあんまり関係ないけど。。聖人って沢山いるけどそもそも彼らは何物なのか。
聖人になるにはまず列聖されないと行けないわけです。そこで列聖されるにはどうするか。カトリックにおいては殉教しない限り「奇跡」を起こす事が必要だそうです。
基本的には一つ奇跡を起こして「福者」となり、もうひとつ奇跡を起こして「聖人」になる仕組み。最近ではヨハネ・パウロ2世が列聖されたのが記憶に新しいけれど、彼の場合は2人の女性の病を「医学では有り得ない方法」で治した事が奇跡、と認められたとの事。
普通列聖されるには何十年、下手したら何世紀にもわたる審査が行われる為、ものすごいスピード列聖と言えると思います。

6.聖ベニーツィ1714

話はカレル橋に戻り。。。
次は聖ルトガルド。1710年作
彼女はかなり少女漫画的な半生の持ち主で、なんだか親近感すらわく聖女です。
彼女は1182年にベルギーで生まれ、裕福な家に育ち12歳迄は綺麗な洋服を着るのが好きな活発な少女でした。ところが12歳の時、父親が事業の失敗で彼女の持参金として蓄えていたお金を全部失ってしまい、一気に貧困生活に。
困った父親は母親の反対を押し切って娘をカタリナ修道院に預けました。
それでもおしゃれ大好きなルドガルディスは修道生活は性に合わず、規則を破っては部屋に男女問わず友達を招いたり友達のパーティーにでかけたり。。更にはイケメン騎士に夢中で追っかけすらしていたとか。
ところがある日、友達の家に遊びに行った時にイエス・キリストの幻視を観てしまったそうです。そこで「何を、そしてなぜそれを愛するべきか」熟考するようにキリストは説き、それを受けた彼女は20歳の時きちんと修道女として回りにとけ込もうと決めたそうです。
ドラマチック~。
実際彼女がシスターになる!と言った時はみんな続かないだろうと思っていたとか。
その後彼女のストイックさはどんどん加速して行き、キリストのビジョンもそこそこ頻繁に観ていたとか。さらには聖痕も受け、亡くなる前の11年間は盲目の試練を受けていた事から、目の不自由な人や障害のある人の保護者の為の聖人として認定されました。
人生は何がきっかけでどうかわるかわからない、と言う事をドラマチックに教えてくれる聖女です。

この彫刻はカレル橋で一番美しいと知られているそうです。

7.聖ルトガルド1710

聖カイェタヌス 1709年作
テアティノ修道会を創設した方、だそうです。
あとは教皇ユリウス二世の秘書を務め、後はおもにイタリアで活躍したとか。
残念ながら全然知らない方でした。。業界では有名なのかしら。
知らないままじゃ悔しいので敢えて調べてみたら、日本ではそんなに有名ではないみたい。
Saint Cajetanはギャンブラー、失業者、就職活動中の人、それから文書・書類管理者の保護聖人として知られているそうです。
サラ金に困っている人たちにお金を貸す優しい銀行を創設し、その銀行は今ではBank of Naplesになったとか。

8.セイカイェタヌス1709


聖ニコラス・トレンティヌス 1709年作
聖ニコラスですが、サンタさんではありません。
これまた全然知らない方だった。
更に日本でも知られていない様でなかなか情報のない方だった。
一応わかった事は、アウグスティノ修道院の偉大な説教師として知られていた事と数々の奇跡を起こしていた事。
例えばベジタリアンだった彼のディナーとしてホロホロチョウのローストが出て来た時、彼が十字を結ぶとホロホロチョウが蘇り飛んで行ったとか、燃え盛る宮殿に祝福されたパン(ミサに使うあれかな。。?)を投げ入れた所無事消火したとか。。1305年に没する迄はキリストレベルに近いの色んな奇跡を起こしていた様です。そりゃ列聖されますね。
カレル四世は彼を大いに崇拝していたらしいので、その関係でここに祀られているのかと。

9.聖ニコラス 1709


聖アウグスティヌス 1708年作
教科書に出て来るあの人。キリスト教の教父です。
若い頃は結構やんちゃしてたそうですが、386年、32歳の頃隣の家の子どもに読め、と言われた渡されたパウロ書簡にはまりようやく回心。
翌年に洗礼を受けてから修道院にはいりめきめきと頭角を現して行ったそうです。
たとえ洗礼を受けてからたった一年後の387年に彼が定めた修道院の規則、「アウグスティヌスの戒則」はキリスト修道会規則の一つとして知られていて、あの「聖アウグスチノ修道会」はそれを会則として創設されて今に至るわけだし。素質は充分に持ってたって事ですね。
人生のやり直しはいつからでも遅くない!と言う事を教えてくれる聖人です。

10.聖アウグスティヌス 1708

で、この次に紹介すべきなのが1712年に建った聖ウィンケンティウスと聖プロコピウスの彫刻なのですが、写真がとんでもない逆光で影と化していたので。。。
いつか来るであろうプラハの旅第2弾の際、リベンジの撮影をしようと思います。
大分飽きて来た聖人の説明もその時迄保留します!

そして次がタダイのユダ。 1708年作
初12使徒キタ━(゚∀゚)━!
超有名どころです。
ただ可哀想な事に、キリストを裏切ったイスカリオテのユダと混同する為、「忘れられた聖人」と呼ばれ基本的に軽視されて来た存在だとか。
この橋にいる12使徒は彼一人。きちんとしてもらえて良かったね。

11.ユダ・タダエウス1708

聖アントニウス 1707年作
修道生活創始者の聖アントニウス。
20歳で両親と死別した後財産を貧しい物にあたえ、自分は砂漠に籠って苦行生活を。
マーラを退けた後説教をはじめ人々が集まって来て。。。あれ、いつの間にか仏教に。
宗教って根本ではどれも繋がってると言う事ですね。
彼の説教に心打たれた修道僧たちは修道院を始めたけれど、彼自身は修行を続け105歳で亡くなったそうです。

12.聖アントニウス 1707

聖フランチェスコ 1855年作
別名アッシジの聖フランシスコ。こういえば誰でもわかるかな。
超有名人です。
なんで有名かっていうと、ブラザーサン、シスタムーンと言う映画が出来たからかな。
彼の平和の祈りも有名だと思います。
聖画ではよく鳥と話している姿を描かれてます。
今でもあるフランシスコ会の創始者と言うのが一番わかりやすいか。

13.聖フランチェスコ 1855

聖ルドミラと聖ヴァーツラフ 1730年
ご当地聖人聖ヴァーツラフのおばあちゃま。
彼女はボヘミアの守護聖人で、実在した人。
貧しい人、寡婦、孤児に気を配った方だそうです。
夫と死別後は息子のヴラチスラフが公務を次いだけれど彼は若死にし、息子嫁が政務を継いだ。
けれど彼女はルドミラの影響力に嫉妬して2人の男を送りルドミラを殺させたそうな。

ちなみにこの後成人したヴァーツラフは、祖母を殺した母を追放しています。
母親より祖母の影響の方が強かったんだね。
主君としては正しい事をしたと思います。
この彫刻は在りし日のルドミラと語らう幼いヴァーツラフを模したもの。
もともとはプラハ城の礼拝堂前にあった物を1784年に移して来たそうです。

14.聖ルドミラと聖ヴァーツラフ1730

これで15体目。やっと一息!
真打ち登場、聖ヤン・ネポムツキー。
彼についてはヴィート大聖堂の記事を読んで頂けると助かります。。
この方はチェコの守護者として知られる聖人ですが、この像の下にあるプレートは触ると幸せになれると知られているそうでぴっかぴかになってました。

15.聖ヤン・ネポムツキー


苦行がだいぶ堪えて来た。
これって読む人にとっても苦行なんじゃ。。?
この回、はっきり言って苦行回です。
なんたってカレル橋には30体の彫刻があって、それを全部写真に撮ってしまったんですから。
はたして30体の彫刻をアップするのにどれだけ時間が掛かるのか。
又、そんなニーズがどこにあるのか!!?
丸一週間有休消化で家にいた先週やるべきじゃなかったのか。
コドモ警察を観ている場合ではなかったのか。。
日に日にめんどくさくなって、プラハ旅行記自体もうアップするのを辞めようと思ってましたがそんな私に転機が。

実はわが家、江戸時代に建った築200年超のボロ屋なんですが、購入した時から既にバスルーム窓の木枠が塗装の下で腐り始めてたんです。
そのほころびが白日の下に晒されたのは2年程前。
やばいな。。。と目を背けていたら去年の夏から今年のはじめにかけて壮絶なナメクジ+ダンゴムシの襲撃が始まりました。
そこで気付いたのは、虫が外から少しずつ少しずつ攻めて来た木枠。
知らないうちに降伏してました。穴開いちゃったのね。
今年はとりあえず塩と銅のテープで虫を撃退しましたが、このままじゃもう冬を越せない事に気付きついに窓を購入する事に。
キッチンはいずれ大きくするから暫く古い窓で我慢する事になるけど、一番大きいリビングとベッドルームの窓は変えないと行けないし、バスルームは必須だし。
セキュリティーや強度を検討し、結局大手のエベレスト社でやってもらう事にしたんだけどその額窓3枚で7000ポンド近く。手痛い出費です。
それでも新しい窓が来る!と言う事で連絡通り夫Gは昨日有休を取り、私はいないうちに終わってた方が気持ちが楽なので仕事へ。とりあえず安心できると思っていたらビルダー、一人しか来なかったんです。相棒の彼女に子どもが産まれるかも?って事で仕事に来なかったそうで。。。(しかも子どもも産まれなかったそうで。。。)
改めて火曜日に。。と言われたんだけど火曜日は夫、仕事休めない。
と言う事でめでたく私は見知らぬビルダー2人と引き蘢っているわけです。
そんな苦行滅多に無い。折角のチャンスなのでプラハ苦行をスパイスになんとか生き延びてみよう、と腹を括りました。

チャレンジ1
ビルダーが二回の窓を外したり入れたりしてる間に、カレル橋をどれだけ進めるでしょうか。
始めの一歩。。。。は次の記事から。










ところで最近何にびっくりしたって、どんなに長く放って置いても毎月必ず誰かがNigella Lawsonの検索ワードでこのブログにアクセスしてる事だよ。
なんだかんだで結局午後になってしまったので、また市庁舎ツアーは諦めてゆっくりする事にしたGと私。
雨も降っていないのでゆっくりネルドヴァ通りへ石畳の道を歩いて行く事にしました。
ストラホフ修道院は丘の上にあるので、プラハの町並みが一望できて大変美しい。
カメラは夫Gに任せてゆっくり坂を降りて行きました。




前にも記述した通り、クラシックカーや馬車での観光ができるプラハですが、もう一つの変わり種はこれ。


機関車風観光バス。
結構小さくて子ども遊園地なんかにあるちびっこ鉄道ににてます。
それに写真がついて、ゆっくりゆっくりゆっくりと観光地をまわってます。
どれくらいゆっくりかと言うと、私の早歩きでそこそこ追いつけたレベル。
プラハをゆっくりゆっくり観光したい方にはむいてるかと思います。

ネルドヴァ通りは観光地らしく、キモカワイイ看板が目印のおもちゃ屋さんがあったり、




超絶技巧を駆使したジンジャーブレッドのお店があったり。。







とにかく賑やかで飽きる事がありません。
ただ今回の私たちの目的はあの店。
前回パラチンキを食べた小さなカフェです。
しかし今回の目的はパラチンキではなく、プラハでしょっちゅう見かけるあいつ。
くるみ

Trdelnikです。
前回パラチンキを食べたときも気になっていたのがこれ。
どうやら「チェコ・スロバキア」時代から愛されていた伝統的なお菓子だとか。
街を歩いているとふと鼻孔をくすぐる甘く香ばしい匂い。
追って行くと必ずあるのがTrdelnik屋。
私たちがこのお店を選んだのは兎にも角にも「屋内だから」。
オーブンの構造上仕方ないのかもしれないけど、外で売ってる屋台や小さいお店では雨が降ってもお構い無しでこれを焼いている所が多くて、衛生上大丈夫なのかなーと気になってたのです。
雨水風味ってちょっと嫌だし。
その点このお店は綺麗なお姉さんが生地から作って行く行程を全て見学できる上、オーブンもきちんと屋内。迷わずここに帰ってきました。

Trdelnikはイーストを使ったデニッシュの生地を伸ばして、金属の某に巻き付けてから伸ばし、それを特製のオーブンのラックに引っ掛けて豚の丸焼きの様にぐるぐる回しながら10分くらい焼いたものです。お菓子なのかパンなのかと問われれば、その間としか答えようがありません。

生地

オーブン

焼き

焼きたてにグラニュー糖をまぶしたり、真ん中にチョコレートを塗ったりして食べます。
私は生地にくるみを練り込んだ物を。Gはプレーンな生地に空洞部分にチョコレートを塗った物を。チョコレートははっきり言って食べ難そうでした。
カリッと香ばしく焼けた外側と、もちもちしたやわらかいデニッシュ生地にくるみの風味がハーモニー。おやつの王様です。これは毎日食べたいくらい美味しかった。
イーストの入ったパン生地なので腹持ちも良く、お夕飯が遅めの日におすすめです。


髪型が個性的なTrdelnik人形と。
ここ暫くMacと闘っておりました。
うちのMacは結婚した時に買ったのでまだ6年物。
ところが今回夫がカメラのデータを一年分注ぎ込んだ所ついにメモリーオーバーを起こしてしまったのです。
とりあえずセーフモードで起動しバックアップを取った後、時間が見つかれば少しずつデータを捨てて一応前の様に動く様になった所です。
何が困ったって、バックアップ取ってたハードドライブすらメモリー不足を起こしていたって事。
何かの拍子に写真が全部重複してバックアップされていた事が判明。
これでうちのMacとハードドライブはもうちょっと生きててくれそうです。

そろそろプラハに行ってから早一月。
薄れ行く記憶をたぐり寄せつつ、もうちょっと書いてみようと思います。
ところでこの間アップした記事に書いたグランド・カフェ・オリエント。
松下奈緒が行ったそうです。

松下奈緒はもとより、ウエイターさんが同じでびっくりした。
全くもってこんな感じでした。
あ、あとこの席、私たちが座った席だ。
これはテレビ番組の番線かな?
こうしてテレビで自分の行った所を改めて観るのもなんだかすてき。


ま、そういうことで。。
前回ロレッタ教会を禍々しい想いで背にした私たちでしたが。。。
ストラホフ修道院についたのは丁度13時頃。
やっぱり思ったよりロレッタ教会に時間をかけてました。
13時ともなるとさすがにお腹がすくので、修道院の敷地内に或るレストランでまずはランチを。
この敷地内には少なくとも三軒のレストランが建ってます。
私たちが入ったのはビールの醸造もしているビアレストラン。
基本的なチェコ料理とビールが楽しめます。

今日は軽めに。。
Gはずっと気になっていたパンをくりぬいてグーラシュを入れた物を。
フタになっているパンにはちゃんと丸い取っ手もついてるのがかわいい。
チェコはパンも小麦の味がしてとてもおいしかった。ドイツ文化の影響が強いので、パンもドイツ風です。
グーラシュ

私は軽めに食べたかったので、ビーフコンソメにパラチンキ、つまりちぎったクレープを浮かべた物を。 あとアイスコーヒーを頼んだらやっぱりクリーム好きのプラハっ子に併せたすごいのがでてきました。おいしかったけど!
スープはコンソメの芳醇さにびっくり。あっさりしつつもコクの効いた味で具合が悪い時とかに食べたいなー、と。
フレンチコンソメよりもしっかり塩味でとてもおいしかったです。
スープ

コーヒー

後は2人で一皿前菜のソーセージを頼んで食べました。
それから一応2人で一杯ビールも。
夏限定の赤ビールがまだ残っていたので、お名残惜しみの一杯を。
フルーツの風味がさわやかな軽めのビールでした。
ビール

テーブルにはここでのビールの作り方を書いた紙が。
ビールって意外に早くできるんだね。新事実。
作り方

Gが気にしてたイケメンウエイターの写真も一応撮っときました。
ここのウエイターはみんな男っぽいかっこよさ。
なのにお客さんはおじさんがメインと言う無念。
ウエイター


腹が膨れたので一路ストラホフ修道院へ。
まずはチケットと写真撮影券を買います。
チケット売り場はおばあさんが一人。購入後階段を登ると、簡単なお土産屋になっており、そこでまたチケットを見せるとそれぞれの言語に合った解説書を貸してくれます。
ここのおばあさんが三人とも怖かった。。。
どうやら一階のチケット売り場のおばあさんが何か間違えたらしく、私たちの券を観た途端にチッと舌打ちするおばあさん。。。
英語で大丈夫か聞いたらまたチッと舌打ちして解説書を貸してくれました。
「貸すだけだからね!貸すだけだから!」と。
こういう時に一言でもチェコ語を話せたらまた違うのかなー、反省。
英語って便利だけどどこの国でも使えるから、わかって当たり前!と言う気分になってしまう。
でも現地の人にとっては英語ってちょっと傲慢な言語に聞こえるんだろうなー。
叡智の結晶とも言える修道院で国際語の落とし穴を学びました。

気を取り直して向かうは世界で最も美しい図書館と言われる部屋へ。
プラハに来る前にガイドブックを見て一番楽しみにしていたところです。
まずは哲学の間。バロック様式の図書室は20段にもわたる作り付けの本棚に取り囲まれ、一部屋に数十万冊が納められているとの事。





本一つ一つが世界と考えると、この図書室は荘厳且つ美しい小宇宙です。
こんなのが家にあったら一日中出て来ないだろうな。
この修道院を建てたのはプレモンストレー派、という男性派だそうで殊に知識や勉強を大切にしたそうです。そんな理由から創設した1142年から本を書いたり印刷したり集めたり。。
今でこそ中には入れないけれど、昔はみんなここで勉強していたんだろうね。
身悶えするくらい羨ましいです。

哲学の間と神学の間を繋ぐ短い回廊にも、様々な本や発掘物が飾られています。
そこまで目が釘付けにならなかったのは、近所のAudley Endのお屋敷に似てたからかも。


そして次の部屋は装飾が美しい丸天井の部屋、神学の間。
こちらは様々な言語の聖書や宗教書が納められています。
部屋の真ん中に並ぶ天球儀にもそそられる。
私は中世の天球儀が大好きです。
小さな球の中に当時の人々が世界をどのように観ていたのかがぎっしりと詰め込まれている。
これまた小宇宙です。中世の人にとっての世界って「ファンタジー」。





今では部屋の中に入れないのが返す返すも残念です。
それからもう一つ残念なのは、実際行った時はこんな前情報がゼロだった事。
おばあさんに貸してもらった解説書、何故か私のはフランス語だったんだよね。。。
Gはちゃんと英語のをもらってたんだけど。
私のどこがフランス人に見えたのか。その謎が解ける事は一生無いでしょう。
英語がNGと学んだ私、Merci beaucoupと呟いて解説書を返した所一瞬強面のおばあさんが微笑んだ様に思えました。

ロレッタ教会はカトリック美術の集大成と言われる1626年に建ったバロック様式の教会です。
日本で結婚式とかに使うなんちゃって教会、いわゆるチャペル的な可愛らしさが外観からは伺えます。イギリスにはこういうのないなー。イギリスの教会はたいてい厳めしい。ヨーロッパの方が町並みや建築物は色が柔らかくてかわいらしい気がする。

天使
お尻の痒そうな天使がお出迎え。


入口で入館料+写真撮影料を払って入るとそこは石造りの回廊です。

回廊
この回廊はバロックなだけあって、オックスフォードのクライストチャーチを思い出させる作りなんだけど、天井を見上げると全然違う。
見事な絵画がぐるーっと広がっています。
中庭

更に小さな聖堂があったり彫刻や絵画が飾ってあったりして5歩ごとにおぉーっと言う感じ。
四角く中庭を取り囲む回廊を進み、中庭にある聖堂を通ってメインのサンタ・カーサへ。
サンタ・カーサはこの教会の肝になる聖堂で、外壁もびっしりと彫刻が彫り込まれた小さいながらも荘厳な建物。バロック好きの私たちはうきうきと足を踏み入れたのです。

。。。が、入った瞬間2人とも ( ゚д゚) ←こういう顔になってたと思う。
敢えて言います。 ポカ───( ゚д゚ )───ン

聖堂



絢爛豪華。ぎらぎら。なんと表現して良いのやら。。。
当時カトリックがものすごいお金持ちだったのがよーくわかりました。
そりゃ免罪符とか売ってたからお金貯めてたわけだよね。
美しいを通り越してうへー!!っとしか言いようの無い。。。
聖堂の中はとにかく金の装飾と彫刻、フレスコ画で埋め尽くされていてどこを観ても天使だらけ。
全身彫り込まれた天使もいれば、羽から首がにょきっと生えたような姿の天使も至る所に。
どこをむいても天使がにやり。生きた心地がしません。





ペンチ
この天使はペンチを手にして歯を抜いたばかり。
って事は多分この絵の中にいるのは聖アポローニア。一本ずつペンチで歯を抜かれた殉教者。
歯の守り神です。向かい側にいわずとしれた聖アガサが。ちょいと食傷気味だったので写真は撮らなかったけど、乳房を切り取られた聖人。。。聖画では良く両乳房をお盆に載せた姿で描かれてます。その絵を囲む天使たちもお盆に載せた乳房を見つめてにこにこ。
拷問の上殉教した聖人が多く描かれているからかなー。
この教会の二階はギャラリーになっていて、宝石や黄金ギラギラの聖具や絵画を観られるんだけどなんだかどこをみても「聖なる」と言うより「禍々しい」感じ。
心が清められたり洗われたりッ的分にはなれない教会でした。
私がカトリック育ちだからかな。
禍々しい気に充てられた様な気分でロレッタ教会を去った私たちでした。。

ここでまた話がそれるけど、私はカトリック育ちなんだけど、宗教はあまり好きじゃありません。
宗教って諸刃の刃で人を救う一面もあれば陥れる一面も或る。
宗教戦争の頃の腐敗しきったカトリックなんて良い例で、教典を自分の思う様に解釈すれば聖書の名前の元に幾らでも悪い事出来るんです。
更に何をしても告解すれば神に許されると思ってる人もいる。
許しの宗教は危険な落とし穴が多いし、キリスト教だけでなくても宗教さえ無ければ苦しまなかった、亡くならなかった人は沢山いる。戦争の始まるきっかけとしてもうってつけだしね。

それでも。。。美術、音楽、文学、建築に関して言えば宗教があったからこそ産まれた大作も多い。宗教が無ければそれらが産まれなかったと思うと一概に悪いとは言えない。
信じる「神」と言うものは大きな目で見れば何教でももしかしたら同じ物なのかも。
信じて身を捧げれば捧げる程、素晴らしい物を生み出す力が沸いてくるのかも。
むしろそれは良い事なんだと思うんだよね。
私は宗教が悪い方に傾いた時どんな事が個人に起きるのか、身を以て体感したからいわゆる「教会」に戻る気はないけれど、宗教そのものを純粋に突き詰めるとしたらきっと良い物なんだとは思ってる。つまり、結局は人と心得次第、そう言う事ですね。
後ついでに嫌だなー、と思うのは自分の信教を人に押し付ける事。
それが自分の思っている程素晴らしい美しい完全無欠の物なのであれば、放って置いても人は惹き付けられて行く物ではないですか?と思う。
無理に宣教するよりも、自分を磨けば自然に周りの人がその姿を通して宗教の美しさを知って行くようになる。それじゃダメですか?

そんな事をぼやきながらロレタンスカを歩き、再びストラホフ修道院へ向かう私たちでした。

ろれたんすか2