苦行回
始めの一歩!

カレル橋はモルダウ川にかかるゴシック様式の橋。
全長516m、幅9.5m、アーチ16件、歩行者天国。
橋の両側にはしっかりとした塔が建てられていて、中世には街を守る役目を果たしていたそうです。
最初にこの地に橋が架かったのは1172年だけどその橋は1342年に水没。
その後1357年にカレル4世の依頼で建造が始まりその後60年の時を経て今の姿になりました。
この広い橋は橋と言うより広場、という雰囲気。
今では露天で絵を売る人がいたり、ジャズを演奏する人がいたり。マーケットの様な雰囲気。
建てられた当時は馬術競技(←どこでもやってるし。。)なんかにも使われたとか。
彫刻が建ち始めたのは1707年から。
特に意味はなく、ローマのサンタンジェロ城なんかに刺激された芸術家がはじめたとか。
ちなみに「カレル」は英語読みでは「チャールズ」。
チャールズブリッジ。
私は西岸から始めてます。
西岸から行くとまず出会うのが、聖コスマスと聖ダミアヌスの彫刻。1709年に建てられました。この2人は双子の内科医だったらしい。治療費を撮らずに奉仕活動をしていたところ、ローマ帝国で行われたキリスト教大迫害の際に打ち首にされたそうです。
伝説に寄る脚色はこんな感じ。
「彼らは縛って海に投げ捨てられたが天使に岸に運ばれた。次に縛り付けて火あぶりにしたけれど火は執行人に向かって伸びた。そのため総督は2人に向かって石を投げる様に命じたが石は2人に届かず最後には打ち首になった」
3世紀頃に起きた話なので、そんなファンタジーもあったのかも?
医療の守護聖人として今はしられています。
↓

お次は聖ヴァーツラフ。つまりボヘミア公。そう、ご当地聖人です。
ちなみにこの方、おばあちゃまも聖人として知られる聖ルドミラ。血筋ですねー。
彫刻が建てられたのは意外と遅く、1858年でした。
↓

3件目。マタの聖ヨハネ、聖フェリックス、聖イワン。1714年。
イスラム人のキリスト教捕虜解放の為に三位一体会を創設した3名です。
写真だとわかり難いんだけど、この聖人たち、トルコ人の牢番と犬が見張る牢の上に建ってます。
除くと囚人が3人悶絶してます。
↓

聖ヴィトゥス。1714年作
聖ヴィトゥスは303年に迫害にあって殉教したそうです。
日本の殉教者的な感じで、彼は異教徒だったけれどキリスト教を信仰し、拷問にかけられても信仰を捨てなかったと言うタイプ。
ちなみに逃亡先ではローマ皇子が所有する「悪魔」に捕まってローマに連れて来られたそうです。
さらに拷問にかけられた時には「天使」がやってきて生地ルカニアに戻してくれたとか。
結局ルカニアで斬首されたので天使もちょっと爪が甘かった感じですね。
また観難いんだけど、この彫刻でも彼はライオンと一緒に表現されています。
これは拷問中ライオンを放たれてもライオンは彼を襲わなかった事から、だそうです。
釜茹でにされたけれど無傷ですんだ事から、釜に入った姿で描かれる事も多いとか。
聖ヴィート大聖堂は彼の名を冠する聖堂です。
俳優や喜劇役者の守護神であり、動物からの攻撃や過剰睡眠から守ってくれるそうです。
本当どんな小さい事柄にも聖人っているんだなー、と感じさせて下さる方です。
↓

聖アダルベルト。1709年作
地元っ子で別名プラハのアダルベルト。
30歳でプラハ司教となったけれど、清貧の生活を守りボヘミアで戦況を続け一度は隠者となったそうです。
その後色々あって、ボヘミアを追い出されて殉教する迄はポーランドで過ごしたのにチェコ人は列聖された途端に聖遺物を返せとポーランドに言い放ったとか。
それにあきれてポーランドのカジミェシュ1世は全く別人の遺体をチェコ人に渡した、と言う話もあります。実際に聖アダルベルトの頭蓋骨はポーランドのグニェズの大聖堂とプラハの教会の2カ所にあるそうで、本物は今の所神のみぞ知る、です。
↓

聖フィリポ・ベニーツィ。1714年
唯一大理石で作られた彫刻。他のとは毛色が違います。
この人は他の人に較べて結構マイナーな聖人で、それ程の偉業を成し遂げた..と言うよりは幻を観た後その読解に悩んでいると、聖母が現れてしもべを求めていると彼に言った。。。と言うサイキック系聖人です。
この時点ではあんまり関係ないけど。。聖人って沢山いるけどそもそも彼らは何物なのか。
聖人になるにはまず列聖されないと行けないわけです。そこで列聖されるにはどうするか。カトリックにおいては殉教しない限り「奇跡」を起こす事が必要だそうです。
基本的には一つ奇跡を起こして「福者」となり、もうひとつ奇跡を起こして「聖人」になる仕組み。最近ではヨハネ・パウロ2世が列聖されたのが記憶に新しいけれど、彼の場合は2人の女性の病を「医学では有り得ない方法」で治した事が奇跡、と認められたとの事。
普通列聖されるには何十年、下手したら何世紀にもわたる審査が行われる為、ものすごいスピード列聖と言えると思います。
↓

話はカレル橋に戻り。。。
次は聖ルトガルド。1710年作
彼女はかなり少女漫画的な半生の持ち主で、なんだか親近感すらわく聖女です。
彼女は1182年にベルギーで生まれ、裕福な家に育ち12歳迄は綺麗な洋服を着るのが好きな活発な少女でした。ところが12歳の時、父親が事業の失敗で彼女の持参金として蓄えていたお金を全部失ってしまい、一気に貧困生活に。
困った父親は母親の反対を押し切って娘をカタリナ修道院に預けました。
それでもおしゃれ大好きなルドガルディスは修道生活は性に合わず、規則を破っては部屋に男女問わず友達を招いたり友達のパーティーにでかけたり。。更にはイケメン騎士に夢中で追っかけすらしていたとか。
ところがある日、友達の家に遊びに行った時にイエス・キリストの幻視を観てしまったそうです。そこで「何を、そしてなぜそれを愛するべきか」熟考するようにキリストは説き、それを受けた彼女は20歳の時きちんと修道女として回りにとけ込もうと決めたそうです。
ドラマチック~。
実際彼女がシスターになる!と言った時はみんな続かないだろうと思っていたとか。
その後彼女のストイックさはどんどん加速して行き、キリストのビジョンもそこそこ頻繁に観ていたとか。さらには聖痕も受け、亡くなる前の11年間は盲目の試練を受けていた事から、目の不自由な人や障害のある人の保護者の為の聖人として認定されました。
人生は何がきっかけでどうかわるかわからない、と言う事をドラマチックに教えてくれる聖女です。
この彫刻はカレル橋で一番美しいと知られているそうです。
↓

聖カイェタヌス 1709年作
テアティノ修道会を創設した方、だそうです。
あとは教皇ユリウス二世の秘書を務め、後はおもにイタリアで活躍したとか。
残念ながら全然知らない方でした。。業界では有名なのかしら。
知らないままじゃ悔しいので敢えて調べてみたら、日本ではそんなに有名ではないみたい。
Saint Cajetanはギャンブラー、失業者、就職活動中の人、それから文書・書類管理者の保護聖人として知られているそうです。
サラ金に困っている人たちにお金を貸す優しい銀行を創設し、その銀行は今ではBank of Naplesになったとか。
↓

聖ニコラス・トレンティヌス 1709年作
聖ニコラスですが、サンタさんではありません。
これまた全然知らない方だった。
更に日本でも知られていない様でなかなか情報のない方だった。
一応わかった事は、アウグスティノ修道院の偉大な説教師として知られていた事と数々の奇跡を起こしていた事。
例えばベジタリアンだった彼のディナーとしてホロホロチョウのローストが出て来た時、彼が十字を結ぶとホロホロチョウが蘇り飛んで行ったとか、燃え盛る宮殿に祝福されたパン(ミサに使うあれかな。。?)を投げ入れた所無事消火したとか。。1305年に没する迄はキリストレベルに近いの色んな奇跡を起こしていた様です。そりゃ列聖されますね。
カレル四世は彼を大いに崇拝していたらしいので、その関係でここに祀られているのかと。
↓

聖アウグスティヌス 1708年作
教科書に出て来るあの人。キリスト教の教父です。
若い頃は結構やんちゃしてたそうですが、386年、32歳の頃隣の家の子どもに読め、と言われた渡されたパウロ書簡にはまりようやく回心。
翌年に洗礼を受けてから修道院にはいりめきめきと頭角を現して行ったそうです。
たとえ洗礼を受けてからたった一年後の387年に彼が定めた修道院の規則、「アウグスティヌスの戒則」はキリスト修道会規則の一つとして知られていて、あの「聖アウグスチノ修道会」はそれを会則として創設されて今に至るわけだし。素質は充分に持ってたって事ですね。
人生のやり直しはいつからでも遅くない!と言う事を教えてくれる聖人です。
↓

で、この次に紹介すべきなのが1712年に建った聖ウィンケンティウスと聖プロコピウスの彫刻なのですが、写真がとんでもない逆光で影と化していたので。。。
いつか来るであろうプラハの旅第2弾の際、リベンジの撮影をしようと思います。
大分飽きて来た聖人の説明もその時迄保留します!
そして次がタダイのユダ。 1708年作
初12使徒キタ━(゚∀゚)━!
超有名どころです。
ただ可哀想な事に、キリストを裏切ったイスカリオテのユダと混同する為、「忘れられた聖人」と呼ばれ基本的に軽視されて来た存在だとか。
この橋にいる12使徒は彼一人。きちんとしてもらえて良かったね。
↓

聖アントニウス 1707年作
修道生活創始者の聖アントニウス。
20歳で両親と死別した後財産を貧しい物にあたえ、自分は砂漠に籠って苦行生活を。
マーラを退けた後説教をはじめ人々が集まって来て。。。あれ、いつの間にか仏教に。
宗教って根本ではどれも繋がってると言う事ですね。
彼の説教に心打たれた修道僧たちは修道院を始めたけれど、彼自身は修行を続け105歳で亡くなったそうです。
↓

聖フランチェスコ 1855年作
別名アッシジの聖フランシスコ。こういえば誰でもわかるかな。
超有名人です。
なんで有名かっていうと、ブラザーサン、シスタムーンと言う映画が出来たからかな。
彼の平和の祈りも有名だと思います。
聖画ではよく鳥と話している姿を描かれてます。
今でもあるフランシスコ会の創始者と言うのが一番わかりやすいか。
↓

聖ルドミラと聖ヴァーツラフ 1730年
ご当地聖人聖ヴァーツラフのおばあちゃま。
彼女はボヘミアの守護聖人で、実在した人。
貧しい人、寡婦、孤児に気を配った方だそうです。
夫と死別後は息子のヴラチスラフが公務を次いだけれど彼は若死にし、息子嫁が政務を継いだ。
けれど彼女はルドミラの影響力に嫉妬して2人の男を送りルドミラを殺させたそうな。
ちなみにこの後成人したヴァーツラフは、祖母を殺した母を追放しています。
母親より祖母の影響の方が強かったんだね。
主君としては正しい事をしたと思います。
この彫刻は在りし日のルドミラと語らう幼いヴァーツラフを模したもの。
もともとはプラハ城の礼拝堂前にあった物を1784年に移して来たそうです。
↓

これで15体目。やっと一息!
真打ち登場、聖ヤン・ネポムツキー。
彼についてはヴィート大聖堂の記事を読んで頂けると助かります。。
この方はチェコの守護者として知られる聖人ですが、この像の下にあるプレートは触ると幸せになれると知られているそうでぴっかぴかになってました。
↓

苦行がだいぶ堪えて来た。
これって読む人にとっても苦行なんじゃ。。?
始めの一歩!

カレル橋はモルダウ川にかかるゴシック様式の橋。
全長516m、幅9.5m、アーチ16件、歩行者天国。
橋の両側にはしっかりとした塔が建てられていて、中世には街を守る役目を果たしていたそうです。
最初にこの地に橋が架かったのは1172年だけどその橋は1342年に水没。
その後1357年にカレル4世の依頼で建造が始まりその後60年の時を経て今の姿になりました。
この広い橋は橋と言うより広場、という雰囲気。
今では露天で絵を売る人がいたり、ジャズを演奏する人がいたり。マーケットの様な雰囲気。
建てられた当時は馬術競技(←どこでもやってるし。。)なんかにも使われたとか。
彫刻が建ち始めたのは1707年から。
特に意味はなく、ローマのサンタンジェロ城なんかに刺激された芸術家がはじめたとか。
ちなみに「カレル」は英語読みでは「チャールズ」。
チャールズブリッジ。
私は西岸から始めてます。
西岸から行くとまず出会うのが、聖コスマスと聖ダミアヌスの彫刻。1709年に建てられました。この2人は双子の内科医だったらしい。治療費を撮らずに奉仕活動をしていたところ、ローマ帝国で行われたキリスト教大迫害の際に打ち首にされたそうです。
伝説に寄る脚色はこんな感じ。
「彼らは縛って海に投げ捨てられたが天使に岸に運ばれた。次に縛り付けて火あぶりにしたけれど火は執行人に向かって伸びた。そのため総督は2人に向かって石を投げる様に命じたが石は2人に届かず最後には打ち首になった」
3世紀頃に起きた話なので、そんなファンタジーもあったのかも?
医療の守護聖人として今はしられています。
↓

お次は聖ヴァーツラフ。つまりボヘミア公。そう、ご当地聖人です。
ちなみにこの方、おばあちゃまも聖人として知られる聖ルドミラ。血筋ですねー。
彫刻が建てられたのは意外と遅く、1858年でした。
↓

3件目。マタの聖ヨハネ、聖フェリックス、聖イワン。1714年。
イスラム人のキリスト教捕虜解放の為に三位一体会を創設した3名です。
写真だとわかり難いんだけど、この聖人たち、トルコ人の牢番と犬が見張る牢の上に建ってます。
除くと囚人が3人悶絶してます。
↓

聖ヴィトゥス。1714年作
聖ヴィトゥスは303年に迫害にあって殉教したそうです。
日本の殉教者的な感じで、彼は異教徒だったけれどキリスト教を信仰し、拷問にかけられても信仰を捨てなかったと言うタイプ。
ちなみに逃亡先ではローマ皇子が所有する「悪魔」に捕まってローマに連れて来られたそうです。
さらに拷問にかけられた時には「天使」がやってきて生地ルカニアに戻してくれたとか。
結局ルカニアで斬首されたので天使もちょっと爪が甘かった感じですね。
また観難いんだけど、この彫刻でも彼はライオンと一緒に表現されています。
これは拷問中ライオンを放たれてもライオンは彼を襲わなかった事から、だそうです。
釜茹でにされたけれど無傷ですんだ事から、釜に入った姿で描かれる事も多いとか。
聖ヴィート大聖堂は彼の名を冠する聖堂です。
俳優や喜劇役者の守護神であり、動物からの攻撃や過剰睡眠から守ってくれるそうです。
本当どんな小さい事柄にも聖人っているんだなー、と感じさせて下さる方です。
↓

聖アダルベルト。1709年作
地元っ子で別名プラハのアダルベルト。
30歳でプラハ司教となったけれど、清貧の生活を守りボヘミアで戦況を続け一度は隠者となったそうです。
その後色々あって、ボヘミアを追い出されて殉教する迄はポーランドで過ごしたのにチェコ人は列聖された途端に聖遺物を返せとポーランドに言い放ったとか。
それにあきれてポーランドのカジミェシュ1世は全く別人の遺体をチェコ人に渡した、と言う話もあります。実際に聖アダルベルトの頭蓋骨はポーランドのグニェズの大聖堂とプラハの教会の2カ所にあるそうで、本物は今の所神のみぞ知る、です。
↓

聖フィリポ・ベニーツィ。1714年
唯一大理石で作られた彫刻。他のとは毛色が違います。
この人は他の人に較べて結構マイナーな聖人で、それ程の偉業を成し遂げた..と言うよりは幻を観た後その読解に悩んでいると、聖母が現れてしもべを求めていると彼に言った。。。と言うサイキック系聖人です。
この時点ではあんまり関係ないけど。。聖人って沢山いるけどそもそも彼らは何物なのか。
聖人になるにはまず列聖されないと行けないわけです。そこで列聖されるにはどうするか。カトリックにおいては殉教しない限り「奇跡」を起こす事が必要だそうです。
基本的には一つ奇跡を起こして「福者」となり、もうひとつ奇跡を起こして「聖人」になる仕組み。最近ではヨハネ・パウロ2世が列聖されたのが記憶に新しいけれど、彼の場合は2人の女性の病を「医学では有り得ない方法」で治した事が奇跡、と認められたとの事。
普通列聖されるには何十年、下手したら何世紀にもわたる審査が行われる為、ものすごいスピード列聖と言えると思います。
↓

話はカレル橋に戻り。。。
次は聖ルトガルド。1710年作
彼女はかなり少女漫画的な半生の持ち主で、なんだか親近感すらわく聖女です。
彼女は1182年にベルギーで生まれ、裕福な家に育ち12歳迄は綺麗な洋服を着るのが好きな活発な少女でした。ところが12歳の時、父親が事業の失敗で彼女の持参金として蓄えていたお金を全部失ってしまい、一気に貧困生活に。
困った父親は母親の反対を押し切って娘をカタリナ修道院に預けました。
それでもおしゃれ大好きなルドガルディスは修道生活は性に合わず、規則を破っては部屋に男女問わず友達を招いたり友達のパーティーにでかけたり。。更にはイケメン騎士に夢中で追っかけすらしていたとか。
ところがある日、友達の家に遊びに行った時にイエス・キリストの幻視を観てしまったそうです。そこで「何を、そしてなぜそれを愛するべきか」熟考するようにキリストは説き、それを受けた彼女は20歳の時きちんと修道女として回りにとけ込もうと決めたそうです。
ドラマチック~。
実際彼女がシスターになる!と言った時はみんな続かないだろうと思っていたとか。
その後彼女のストイックさはどんどん加速して行き、キリストのビジョンもそこそこ頻繁に観ていたとか。さらには聖痕も受け、亡くなる前の11年間は盲目の試練を受けていた事から、目の不自由な人や障害のある人の保護者の為の聖人として認定されました。
人生は何がきっかけでどうかわるかわからない、と言う事をドラマチックに教えてくれる聖女です。
この彫刻はカレル橋で一番美しいと知られているそうです。
↓

聖カイェタヌス 1709年作
テアティノ修道会を創設した方、だそうです。
あとは教皇ユリウス二世の秘書を務め、後はおもにイタリアで活躍したとか。
残念ながら全然知らない方でした。。業界では有名なのかしら。
知らないままじゃ悔しいので敢えて調べてみたら、日本ではそんなに有名ではないみたい。
Saint Cajetanはギャンブラー、失業者、就職活動中の人、それから文書・書類管理者の保護聖人として知られているそうです。
サラ金に困っている人たちにお金を貸す優しい銀行を創設し、その銀行は今ではBank of Naplesになったとか。
↓

聖ニコラス・トレンティヌス 1709年作
聖ニコラスですが、サンタさんではありません。
これまた全然知らない方だった。
更に日本でも知られていない様でなかなか情報のない方だった。
一応わかった事は、アウグスティノ修道院の偉大な説教師として知られていた事と数々の奇跡を起こしていた事。
例えばベジタリアンだった彼のディナーとしてホロホロチョウのローストが出て来た時、彼が十字を結ぶとホロホロチョウが蘇り飛んで行ったとか、燃え盛る宮殿に祝福されたパン(ミサに使うあれかな。。?)を投げ入れた所無事消火したとか。。1305年に没する迄はキリストレベルに近いの色んな奇跡を起こしていた様です。そりゃ列聖されますね。
カレル四世は彼を大いに崇拝していたらしいので、その関係でここに祀られているのかと。
↓

聖アウグスティヌス 1708年作
教科書に出て来るあの人。キリスト教の教父です。
若い頃は結構やんちゃしてたそうですが、386年、32歳の頃隣の家の子どもに読め、と言われた渡されたパウロ書簡にはまりようやく回心。
翌年に洗礼を受けてから修道院にはいりめきめきと頭角を現して行ったそうです。
たとえ洗礼を受けてからたった一年後の387年に彼が定めた修道院の規則、「アウグスティヌスの戒則」はキリスト修道会規則の一つとして知られていて、あの「聖アウグスチノ修道会」はそれを会則として創設されて今に至るわけだし。素質は充分に持ってたって事ですね。
人生のやり直しはいつからでも遅くない!と言う事を教えてくれる聖人です。
↓

で、この次に紹介すべきなのが1712年に建った聖ウィンケンティウスと聖プロコピウスの彫刻なのですが、写真がとんでもない逆光で影と化していたので。。。
いつか来るであろうプラハの旅第2弾の際、リベンジの撮影をしようと思います。
大分飽きて来た聖人の説明もその時迄保留します!
そして次がタダイのユダ。 1708年作
初12使徒キタ━(゚∀゚)━!
超有名どころです。
ただ可哀想な事に、キリストを裏切ったイスカリオテのユダと混同する為、「忘れられた聖人」と呼ばれ基本的に軽視されて来た存在だとか。
この橋にいる12使徒は彼一人。きちんとしてもらえて良かったね。
↓

聖アントニウス 1707年作
修道生活創始者の聖アントニウス。
20歳で両親と死別した後財産を貧しい物にあたえ、自分は砂漠に籠って苦行生活を。
マーラを退けた後説教をはじめ人々が集まって来て。。。あれ、いつの間にか仏教に。
宗教って根本ではどれも繋がってると言う事ですね。
彼の説教に心打たれた修道僧たちは修道院を始めたけれど、彼自身は修行を続け105歳で亡くなったそうです。
↓

聖フランチェスコ 1855年作
別名アッシジの聖フランシスコ。こういえば誰でもわかるかな。
超有名人です。
なんで有名かっていうと、ブラザーサン、シスタムーンと言う映画が出来たからかな。
彼の平和の祈りも有名だと思います。
聖画ではよく鳥と話している姿を描かれてます。
今でもあるフランシスコ会の創始者と言うのが一番わかりやすいか。
↓

聖ルドミラと聖ヴァーツラフ 1730年
ご当地聖人聖ヴァーツラフのおばあちゃま。
彼女はボヘミアの守護聖人で、実在した人。
貧しい人、寡婦、孤児に気を配った方だそうです。
夫と死別後は息子のヴラチスラフが公務を次いだけれど彼は若死にし、息子嫁が政務を継いだ。
けれど彼女はルドミラの影響力に嫉妬して2人の男を送りルドミラを殺させたそうな。
ちなみにこの後成人したヴァーツラフは、祖母を殺した母を追放しています。
母親より祖母の影響の方が強かったんだね。
主君としては正しい事をしたと思います。
この彫刻は在りし日のルドミラと語らう幼いヴァーツラフを模したもの。
もともとはプラハ城の礼拝堂前にあった物を1784年に移して来たそうです。
↓

これで15体目。やっと一息!
真打ち登場、聖ヤン・ネポムツキー。
彼についてはヴィート大聖堂の記事を読んで頂けると助かります。。
この方はチェコの守護者として知られる聖人ですが、この像の下にあるプレートは触ると幸せになれると知られているそうでぴっかぴかになってました。
↓

苦行がだいぶ堪えて来た。
これって読む人にとっても苦行なんじゃ。。?
































