今回の気付きは、「待つ」と「無理しない」、「完璧を求めすぎない」、「失敗を怖れない」です。

 「待つ」は「焦らない」にも通じるかと思います。

「感じてるより考えてるより  からだがはや」くて、とにかく焦ってことをし損しがちなので、気を付けようと思っています。
(「」内は東京事変『乗り気』より)

 もうひとつの「無理しない」は、集中しすぎて時間感覚や疲労感を忘れてしまう私には難しかったことです。

疲労のサインを感じたら、早め早めの対策を打っていこうと思います。

 「完璧を求めすぎない」は、その日その日の体調が100%でなくても、今日の体調でのベストを尽くせばいいという考えに至りました。

 「失敗を恐れない」は、もし失敗してもまた挑戦する勇気を持つこと。

経過が思わしくなかった時期に落ち込んで、「また失敗だ……」と落ち込んで泣いていた私を担当した看護師さんが励ましてくれました。

 まだまだあるかもしれませんだ、今日はここまで。

 前の記事でも書きましたが、今回の入院で得たたくさんの気付きがあります。

ひとつは、苦しみを周りのひとに打ち明けてもいいということ。

今まで誰にも相談できず、自分だけで解決しようとしていました。

そして疲れてしまい、うつになってしまっていたのです。

周りの意見をなるべくたくさん聞いてみることをたこっぺ姉様に学び、迷惑をかけてもいいんだと大ちゃんから学びました。

おふたりともありがとう。

 もうひとつは、一歩一歩着実に進むこと。

今までは、元気になるといろいろなことがやりたくなってしまって欲張っていました。

結局疲れてしまい、なにも出来なくなっていきました。

今回はリハビリを受けていくうちに、ひとつずつ出来ることが増えていくことがうれしかったです。

「できたことを数える」を教えてくれたのはさちでした、ありがとう。

 まだ入院は続きますがまた気付きが増えればと思います。

躁うつ病なので、「死にたい」という気持ちに負けそうになったことは星の数ほどあります。

「そんなことで悩んでんの!?」
「なんでそうなっちゃうの!?」

と言われるのが嫌で相談できず、ひとりで抱え込んでしまってました。

「もういい歳なんだから、自分でなんでもしろよ、私!」

と思ってもいました。

躁状態になると、眠れなくなって休むことが出来なくなります。

眠ろうとするのがもったいなくて、仕事や趣味に没頭するほか、買い物に走ったりもします。

主治医の先生によると、わたしの躁状態はまだ可愛い方らしいです。

そんな大きな感情の波にさらされ、本当に疲れてしまいます。

今回は口腔内の化学熱傷ということで大学病院のICUに入り、精神科とは違う病気へのアプローチをしました。

今まで飲んでいた薬を見直し、トータルバランスをとったところ、朝・夕・就眠前だった投薬が就眠前のみになりました。

また、リハビリ専門病院で言語療法と理学療法を受けたため、肉体改造が叶いました!

でも「痩せすぎ!」といわれ、おやつに高カロリーのゼリーを食べるように言われました。

耳鼻科の先生から手術が必要と告げられ、人生初の全身麻酔を体験することにもなりました。

手術中の記憶はなく、「よく寝たー!」と母に筆談で伝えました。

その夜からしばらく薬の投与がなかったので、眠れなくて辛かったです。

食事も経管栄養を脱し、ムースから形のあるものを食べられるようになりました。

「食べることすなわち生きること」とはリハビリの先生の言。

食べられ、飲めることが幸せだと感じながら毎日生きています。

「深刻な心的外傷を負わない限り、生きることを誓います」と今なら言えます。

今回の入院は実りあるものなのです。

まだ治療が続きますが、一歩一歩地道に歩んでいきたいと思います。
この間、病院に松山中央高校の吹奏楽部が演奏しに来ました☆

中央高校は全国大会に出場経験のある吹奏楽の名門です。

今回は1・2年生のお披露目講演だったそうで、元気一杯のパフォーマンに圧倒されました。

育英は演奏会がなく、大学の演奏会(年2回)では踊ったりはしなかったので、若いうちに経験したかったなぁ、と羨望。

でもそのかわりに甲子園に行って応援してるからイーヴンかな??

大学では年2回の定期演奏会のほか、学校やディズニーランド(!!)で演奏した経験があります。

ディズニーよりバックス・バニー・ショーの青い鳥・ロードランナーやピンク・パンサー、うちの人気ナンバーワンぬいぐるみである『ふしぎの海のナディア』のキングを愛する私にとってはそんなに嬉しくないのです、ごめんなさい。

開演前、tutti(トゥッティ=全員)で基礎練習をやっている様子を見ていて、「懐かしくて意味もなく涙こぼれそうにな」りました。
(「」内はLINDBERGの『胸騒ぎのafter school』より本家取り)

曲目は文科省唱歌やドラマ『花子とアン』の主題歌など、誰もが知っている曲と、パーカッション(打楽器)が活躍するノリノリのラテン・ナンバーという構成。

お年寄りが多い病院なので、アンコールがなかったのが残念でした。

母と一緒に吹奏楽を鑑賞するのが初めてだったので、母にとっても楽しい時間だったのではないでしょうか。

あー、私も市民楽団はいろうかなぁ……。
それは体調が一時期を除いて絶不調だった為です。

時系列で振り返ってみますね。

超々長文、ご覚悟!

最終更新日のすぐあと、なぎなた(直心影流[じきしんかげりゅう])の試験で大阪まで出掛けました。

医療事務となぎなたのW試験対策、のぼせ隊の仕事で私は疲れていたのですが、それをおしてフェリーで大阪に向かいました。

直心影流の試験は講習会も含み、丸1日行われました。

結果は3級をいただきました。

私と同じ時期になぎなたを始めた人は別会場で2級をいただいていて、それに対する嫉妬と疲労で即うつに落ちました。

お風呂もひとりで入れない、食事は1日1食、あとは寝てました。

やっと元気になったらもう12月でした。

オンセナートの「ホテルホリゾンタル」を全室攻略し、「ひかりの実」のワークショップ~撤収~打ち上げまでなんとかこなせました。

私の誕生日頃までは体調を維持してました。

しかしまたうつへ……。

今回は医療事務の講座にライブ・アースのCM作りがうまくいかない、親から自立出来ないことに対する不安と焦りのトリプルパンチを喰らってしまいました。

今回は大学病院のICUに3ヶ月入りました。

最初の1週間は眠っていて、夢と現実の区別がつくまでに2週間かかりました。

気管内挿菅のあと気管切開をしたので声を一時的に失いました。

食事は点滴と経管栄養で命を繋げていました。

そんな私を支えてくれたのが、スタッフの皆さん。

私と同い年で、笑いのツボがちょっと変わったところにある同い年の先生と、7つ下の癒し系の先生が担当でした。

驚くべきは、チームワークの良さ(当たり前か)と女子力の高さ!

美人も多く、こちらもいろいろまなばせていただきました。

また、ドラマで診たまんまの回診が8:00から始まるんです!

実習生や新人さんも、私のところで経験を積んでいきました。

体調が安定してから、リハビリのため専門病院に転院しました。

転院初日、リハビリをこなすことしか考えてなかった私に、担当になる院長先生が将来のビジョンについて質問攻めをしてきて、答えられずに泣かされました……。

そして手術が必要になり、また大学病院に復活転院し、受傷後3週間目が現在です。
のぼせ隊のお姉さま・沙希さんと歳を教えてくれないイナイさんと一緒にGRAYSに行ってきました。

のぼせ隊の統括ご一家が営むこちらのカフェは、ケーキ店・GIVを併設する、創業1981年の老舗です。

のぼせ隊の可愛い後輩・かなこちゃんもここで働いています。

ケーキはもちろん、ヘルシーなランチが美味しいうえ、ナチュラル系ハンサムマダムな女主人(ミストレス)のファンになり、医療事務の勉強のあとのランチに伺ってました。

連れだってお邪魔するのは初めて。

私は11:30の待ち合わせより少し早く行って、雑誌を読んでいました。

雑誌のセレクトがすごくステキなのもポイント高いです。

GRAYSの店内は、イギリスやフランスのアンティークのお店のようなたたずまい。

本当に落ち着く、素敵な空間です。

おふたりとは、オンセナートの運営を仕切った「道後アートプロジェクト」の打ち上げがはねたあとに2次会をして以来。

みんなでわいわいしながら食べたランチは全粒粉バケットのチキンサンドを。

おふたりはカレーライスを注文していました。

ランチセットは、ランチ+ドリンク+ケーキで900円と破格!

メニュー(ドリンク・ケーキ以外)は以下の通りです。

・カレー(ナン/ライス)
・サンドイッチ(種類がありすぎて迷います)
・キッシュ

楽しい会話のなかでひとつショックだったのが、

「七瀬ちゃんって、エレガンスがないよね」

と沙希さんにばっさりやられたこと!

私、病棟内で「女子力高~い」って言われてるのに……。
 
マンガ「働きマン」の松方みたいに、仕事になると男スイッチが入っちゃうのかも。

私と沙希さんがべらべらしゃべっている横で、イナイさんがにこやかに聴いてくださってました。

おふたりともありがとうござおました(深々礼)。

今度はアサイーボウルかワッフルを食べにいくつもりです!

GRAYS
松山市千舟町4-6-2
(千舟町3丁目交差点近く)
私が活動しているメディアはアメブロだけではありません!

前に書いていたブログがこちら。
http://ameblo.jp/k8vb

このブログの更新状況をいち早く知るなら、Twitter(http://twitter.com/7216Qi_Lai)をフォローしてください。
相互フォローします!

最近はまってるのがクリエイターの為のSNS・noteです。(http://note.mu/qilai

ここでは美容・健康ネタや構想20年の小説、街角で見かけた可愛いものの写真なんかをupしています。

どうぞ、ごらーんくだぁさーい (デパートの売り子風)!

今まで書いたことがなかった、高校受験~大学受験のお話しを、長々としたいと思います。

超絶長文、御覚悟!

中学(石川県金沢市)在籍時、県立は金沢泉丘、私立は星稜を受けようと思ってました。

泉丘は自宅から徒歩3分。
通っていた中学が徒歩15分だったので、もうここしかない!くらいに思ってました。

星稜は松井秀喜さんの母校です。
野球やサッカーでご存知の方も多いと思います。

星稜へは80番のバスでdoor to door。
時間はかかりますが、私には魅力的でした。

泉丘と星稜、どちらも共学です。

しかし父の転勤に伴い、宮城県の高校に進学することが中3の夏に決まりました。

宮城県は当時男女別学。

夏休みに宮城一女・宮城三女・仙台育英(宮城野校舎)を見学して帰ったのですが、いまいちイメージがわきませんでした。

金沢の塾で資料を集めてもらうと、県立では宮城一女か泉館山(共学)が妥当と言われました。

一女の方が泉館山よりもレベルが上で、大学の指定校推薦も多かったそうですが、

「一女じゃ甲子園に行けません!!」
「女子校、嫌です!!」

と反論してました。

ただ、学区外から受験するには事前申請が必要だったので、一女に申請を出しました。

成績がふるわなかったテストのあとの三者面談で、

「この偏差値じゃ一女、危ないですね」

と担任の先生に言われました。

「偏差値で判断?宮城のこと何も知らんくせに!!」

とふてくされて勉強してると、当時小5の妹がキャッキャキャッキャしてるのでブチ切れました。

苦手な数学の勉強がはかどらなかったせいもあり、モノ投げて荒れたんじゃなかったかと記憶しております。

塾の冬期講習はその日からボイコット。

心配しているのか、毎日塾の先生から電話があり、ウンザリ。

自習もやめて、ずーっとぼーっとしてました。

それを見かねた母親が、受験予定校の入試問題をひとりで解き始めても無視してました。

仙台に赴任していた父親から「一女を受けて欲しい」と手紙が届きましたが、すぐさま破いてゴミ箱へ。

でも、高校に進学して東京外大の英文科に行きたいと思っていたので、「国際教育が盛んな仙台育英には合格したい!」と一念発起。

なんとか入試を受ける体制を整えました。

試験会場は宮城野校舎ではなく、さらに北にある多賀城校舎でした。

入試前日、多賀城校舎に行ってみると、目の前にはレンガ造り風の大変綺麗な校舎が!

「絶対ここ受かって通う!」

と誓って、特進コースに合格しました。

そのあと、母親が「加藤利吉記念奨学生採用のお知らせ」を隠していたことが発覚。

これにも相当怒りました。

普通、奨学生になるには一般入試より先に行われる「奨学生試験」に合格することが必要です。

奨学生試験の問題に全問正解すると、慶應義塾の普通部に入れると言われているほど、難しい試験なんだそうです。

なんて名誉なお話!と思いましたが、母親には、

「勉強、きっと大変だよ」
「部活なんてやってる暇ないよ」

とさんざん言われました。

勿論無視です。

かくて特進コースに奨学生として籍を置くことと相成りました。

中学の先生も、塾の先生も、育英の先生も、

「東大か東北大、もしくは早慶上智へ」

と思っていらっしゃったようですが、

東大→無理。
東北大→そんなのあるんだ、知らなかった。
早慶→興味ない。
上智→凄い憧れ。

と思ってました。

今思うと、「皆様、本当に本当にごめんなさい!」と平謝りしなければならないですよね……。

特進の子はみんな、中学でトップをキープしていた子たちばかり。
私みたいなテキトーな子はいませんでした。

部活は基本禁止でしたが、吹奏楽部に初心者で入り、勉強も頑張っていくつもりでした。

クラスでは席次が良かったというだけで室長に選ばれて、それもプレッシャーでした。

持って帰るのを忘れたロッカーの鍵に、噛み終わったガムが付けられて机の中に置かれていたことがあり、泣くのをこらえてこっそり水道で洗いました。

父親は仕事一筋、母親は旧友との再会に喜び、妹は上手く仙台に適応していく……私だけ取り残されていきました。

金沢に帰りたい、でも帰れない。
勉強の悩みも、部活の悩みも話せるのは金沢の親友のみ。
みんな頑張ってるから、私も頑張ろう。

そうやって、寂しさを埋めるように手紙や日記を書きまくって、週末には親友のたこっぺ姉様に長電話をし、なんとか頑張ってました。

そして迎えた初めての定期テスト。

席次は落としましたが、英語も数学も上位クラスを維持できました。

「部活やってるのに凄いね~!」

という素直な友達の言葉が、嫉妬にしか聞こえませんでした。

その後、進路に関しては

「英語だけ出来てもしょうがない」
「翻訳家?良い大学出ないと無理」
「小説家?バカ言うのもほどほどにしろ」

と言われ、勉強する意味がわからなくなりました。

不登校になったのは、こんな経緯からです。

そんなとき、励ましてくれたのは保健体育のM先生。

保健室で泣いていたわたしの話を聴いて頂き、テストの答案には「人生いろいろあるけど、頑張れ!」とありました。

また、私を心理学に導いてくれたのは日本史のS先生。

「縄文人の精神構造は、今の人間の精神年齢で言うと3歳程度。あらゆるモノに魂が宿っていると考えていた」

というお話から、心理学に興味がわきました。

専攻を決めたら、あとは大学と受験科目選び。

日本史と化学を選択して、数学はセンターのみと決めました。

あと、英語教員の資格が欲しいと思い、広島大学の教育学部・心理学科を第1志望にしました。

私立は、学外交流が盛んな京都へと思い、立命館大学の文学部哲学科(心理学専攻)にしました。

しかしセンター試験で失敗、立命館大学も玉砕して、3日くらい泣き暮らしたら涙が出なくなりました。

そして、両親に許可をもらい、広島にひとり傷心旅行へ。

初めて愛媛の対岸から瀬戸内海を眺め、宮島では日本史の教科書に記述のある「平家納経」をガラス越しにみることが出来ました。

そして、宮島で出逢ったドイツの方と英語でしか話せなかったことをきっかけに、ドイツ語を勉強しようと思いました。

仙台に帰って来ると、吹奏楽部の後輩から、

「追いコン、来ませんか?」

とお誘いが。

追いコン=追い出しコンパ、です。

先輩としての責任を放棄したのに、後輩たちは優しかったです。

そんな後輩のひとり・Sくんが中心となって部活の本拠を宮城野校舎から多賀城校舎に移しました。

Sくんは育英に就職し、今の吹奏楽部の指導にあたり、部活史上初めての全国大会出場目指して燃えています。

卒業式の式次第にある私の志望校が立命館大学だったため、同期のM(トランペット)には、

「ナイナイの岡村の後輩だね、おめでとう」

と言われて即座に否定。

後輩には、

「浪人してどこ受けるんですか?」

と訊かれたので、素直に広島大学と答えておきました。

お腹の足しにはならなかったようですが、参考にはしてくれたみたいです。

その後浪人し、代々木ゼミナールで出逢ったのが、今井宏先生(英語)。

授業が分かりやすいうえ、授業内のフリートークは大爆笑!

長文速読の超絶技巧「パラグラフリーディング」の師匠です。

代ゼミの同期では私ひとり今井派(というか狂信者)だったので、

「今日今井先生の授業あったのに、何で休んだの?」

とよく言われてました。

一緒に授業を受けてた当時の彼氏は今井先生の話題についていけなかった模様で、

「授業中、凄い笑ってたね」

と呆れ顔でした。

現在、今井先生は東進に在籍されていますが、相変わらず爆笑必至の授業だそうです。

その今井先生が、2/16(私の誕生日!)に松山にいらっしゃるそうなので、お手紙を差し上げようと画策しております。

詳しくはブログ(http://ameblo.jp/imai-hiroshi)へ。

ん??

結局失敗しまくったせいで今生きてられるのか、となんともつまらないサゲで、今日はお開きです。

皆様、ご自愛くださいませね。
最後までおつきあい頂き、誠に感謝です、ごきげんよう。
我が母校の同窓会の日程が決まりました。

私は当日伺えないのですが、以下の日程となります。

2015/3/21(Sat.) @Sendai

詳細はぶれくん(幹事)までご連絡をお願いします。

以上、業務連絡でした。

昨日はアートイベント「道後オンセナート」のボランティアスタッフ「のぼせ隊」の仕事でした。

7/20(日)17:00から行われるアートパレード『LIVE BONE 道後オンセナート2014バージョン』に使う白鷺をかたどった帽子を作るお手伝いをしました。

写真は私が作っている白鷺の帽子です。

アートパレードは、地元の子どもたちが参加する『道後BONEおどり』と森山開次さんが道後温泉本館北側に出る霧の中で踊る『LIVE BONE』の二部構成になっています。

参加アーティストは以下の通りです。

森山開次さん(『道後BONE踊り』振り付け、ダンス)
ひびのこずえさん(白鷺帽子の指導と森山さんのコスチューム)
川瀬浩介さん(『道後BONE踊り』と『LIVE BONE』の音楽)
です。

ワークショップの途中、 仕事の合間にこっそり帽子をデコってたら、「(ワークショップ)初めてなんだから仕事に集中して!」とひびのさんに怒られてしまいました。

帽子は好きな布(白鷺の帽子なので用意があるのは色々な白っぽい布ばかり)を必要な分だけ切っていって帽子にボンドで仮止めし、あとで糸で縫い付けます。

2時間の制作時間でしたが、子どもたちはよく集中していて、思い思いの帽子を仕上げたようです。

途中、興味が無さそうにしていた子も、ひびのさんに一声かけられるとやる気を取り戻し、素敵な作品に仕上げていました。

布の置き場にずっといたのですが、布を取りに来た小学生が「今度のバレエの発表会が終わったら、トーシューズはけるんだ!」と誇らしげに語っていて、「私もなぎなた頑張ろう!」と思った次第です。

本番はなぎなたの試験に向かうバスの中なので、観にいくことが出来ないのが残念です……(涙)。

このあと、森山さんとひびのさんのトークショーがあったので聴きに行きました。

その様子はまた今度。