みなさん、部活入ってましたか?
学生時代は〇〇部一筋!って方も、いろんな部活に顔を出していたって方もいらっしゃるでしょう。
私は後者です。
それでは、ナナセの部活遍歴をば。
工作クラブ(小4)
和太鼓クラブ(小5)
バスケットボールクラブ(小6)
ソフトテニス部(中1〜中3)
吹奏楽部(高1〜大2)
なぎなた(大人になってからほんのちょこっと)
こんな感じです。
小4の時は和太鼓クラブを第1希望で提出するも、通らずでした。
工作用紙を思いっきり使ってた、というおぼろげな記憶しかありませんf^_^;
小5では第1希望で和太鼓クラブへ。
担任の先生が顧問で、リズム感をビシバシ鍛えてもらいました。
毎年、運動会で和太鼓のパフォーマンスをしていたはずなのに、私の代にはなかったのは残念無念。
小6も太鼓が叩けるかな……と思っていましたが、まさかの転校(トホホ)。
バスケットボールクラブでは男子と一緒にプレイしてました。
ここでも担任の先生(教員のバスケチーム所属)が顧問で、シュートの基本をみっちりと教えていただきました。
ちょうどその頃、NBAのブルズとレイカーズが強くて、みんな放課後はバスケ、バスケ、バスケ!
跳び箱の一段目を踏み台にして、ダンクの真似事をしてた男子がいましたし、バスケットボールアメリカ代表の真似で男子が結成した「ドリームチーム」に対して女子が「ドリカムチーム」を結成して対決してました。
ミニバスのなかった我が校は、他校との球技交歓会で惨敗でした。
バスケは今も好きな球技で、ウインターカップをよく見てます。
中学・高校の体育の授業でもバスケが出来れば必ずやってました。
そんな流れで中学でもバスケを続けようかな……と思っていたのですが、入部の条件が「髪をショートカットにする」で、当時おかっぱの私はそれが嫌で。
バスケ部は厳しいと聞いて怯んだのもあり、中学生っぽいような気がしてソフトテニスを選びました。
(「ソフト」テニスなのは中学に硬式の部があったので)
ひとつ上の代の先輩の人数が少なかったので、1年の新人戦からレギュラーでした。
以降、3年の春季大会までずっとBチームで出てました。
試合では1回も勝てずに引退しました。
実を言うと、試合中に緊張しすぎてカウントがわからなくなっていました!
ペア組んでたみんな、本当ごめん!
それに、ダブルフォルトを連発して自滅……というパターンで、1回戦が終わるとメンバーから外されてしまうのでした。
生徒会などで忙しくしていたので、私がテニス部だと忘れている人も多いようです。
中学では部活をよくサボってもいて、吹奏楽部にも出入りしてサックスを吹かせてもらっていました。
それから高校では甲子園で自分の楽器を演奏したい!と思って吹奏楽部へ。
サックスかトランペット希望でしたが、どちらも希望者多数。
するとクラリネットの先輩から、
「クラリネット吹ければサックス吹けるよ」と言われ、1週間迷ってクラリネットを選びました。
決め手は「この先輩方と部活をやりたい!」という気持ちでした。
「勉強優先でいいよ」と部長さんに言われたのですが、早く上手くなりたくて勉強を諦めました。
クラリネットに入ってみると、出番が多くて面白かったので大学まで続けました。
大学は全国大会常連のバンドで、指揮者・音楽監督のお二人の先生がクラリネットの専門でいらして、個人レッスンもありました。
大学では主専攻が臨床心理学、副専攻がクラリネットのような生活で、部活で22時帰宅、そのままレポート書いて仮眠して学校が普通でした。
高校時代から心療内科にかかっていた身体はもういっぱいいっぱいで、部活だけでなく学校も辞めざるを得ませんでした。
大学の吹奏楽部では、普通の楽器編成でなく、アンサンブル(私はクラリネット6重奏とクラリネット4重奏)もやってました。
それから、大学の部には部内にサークルがありました。
サッカーチーム「FCブラス」に、麻雀、各都道府県人会、のど自慢の鐘の「ド」の
パイプより身長が低い人しか入れない「ちびっこ会」などなど……面白いですよね。
最後のなぎなたは、部活紹介でカッコ良かったのと高校の体育の授業で面白さに目覚めたのとで、どこかできるところはないものかと探してちょこっとだけ。
埼玉では「4年続けたら国体選手になれるわね」と言われていましたが、仕事と両立出来ずに断念しました。
愛媛に帰ってきて、全日本と直心影流のふたつをやっていました。
しかし、車の免許を持っていない私は、雨の日には誰かに送り迎えしてもらわなければならないですし、仕事と両立するのに平日午前の稽古に出るのは難しいのでやめました。
それでも一応5級はいただいたのですよ(*^^*)
また余裕が出来たらなぎなたはやりたいと思っています。
叩き合いの試合に出るのが目標なので……!
そんな感じの青春の何十ページです。